« なんともマグマな夜だった。 | 最新記事 | クリスマス・プレゼントの思い出。 »

鎮魂歌としての漫画本、ふたつ。

otonamanga.jpg


 【写真上】
 文藝春秋漫画賞の47年
 文藝春秋編/文藝春秋/2002年12月刊
 ISBN4-16-321510-7   装丁/石崎健太郎
 【写真下】
 夏目&呉の復活!大人まんが
 夏目房之介・呉智英編著/実業之日本社/2002年12月刊
 ISBN4-408-32166-4   装丁/吉見聖
 
 
 2002年の暮れに相次いで出版された漫画本から2冊。いずれも、ある種の漫画が一時代を築いたことについての証言であり、ある時代へのオマージュでもある。

 《文藝春秋漫画賞の47年》は、題名の「47年」というのが、その無念さをよく表していると思う。あともう少しで、半世紀だったのに!
 「文藝春秋漫画賞」という名前が絶大な権威を誇っていた時代が、確かに存在したという歴史的事実。同時に、その栄光の日々は意外に短かったのだなということも、本書を通読してよくわかった。結局、文春漫画賞にとって、この47年間という月日は「何が漫画か」という問いとの戦いの日々でもあったのだ。
 
 昭和三十年から平成十三年まで続いた文藝春秋漫画賞。その歴代受賞者は、途中「該当者なし」という年を含みながらも、全部で73人を数える。本書には受賞作がすべて収録されていて、こちらはただひたすら面白がって眺めていればいいのだが、それよりも同時に掲載されている講評がスリリングである。審査委員たちの思惑や理想をあざけるかのように、次々産み出される<軽薄な>ストーリィマンガや劇画やテレビ用こどもアニメ群。その黎明期こそ無視し、あるいはこっぴどく酷評していれば済んでいたが、あっという間に漫画の主流がそれらに取って代わられる。それでもなお劇画に過剰に反発する者が一方にいて、「文春漫画賞という権威」の枠内でなんとか評価したくて悩む声が一方であがる。漫画という表現ジャンルが、ある時から、彼らの思いもしなかったとんでもない場所に飛んで行ってしまって、どうすればいいかわからずにうろたえている、そのオロオロぶりが、なんとも痛々しい。文藝春秋漫画賞は「自滅した」というのがもっともふさわしいだろう。
 
 
 
 権威と言い無念と書いたが、その具体例を現代のマンガ読者向けにやさしく解説しているのが《復活!大人まんが》である。私は、夏目・呉両氏の「大人まんが」という言い方(なぜか本文中では「大人マンガ」という表記になっているのだが)に賛同するものではないし、ここでとりあげている作品も、現代に復活させることに必ずしも意味があるものばかりではないと思うが(両編者の懐古趣味的嗜好が含まれすぎではないか)、漫画という刹那的サブカルチャー分野において、過去の資産を検証してみるという提案自体は、けして悪いものではないはずだ。少なくとも、番組改編期のテレビがたれ流す「なつかしアニメ特集」などよりも、遙かに意味のあることには間違いない。
 
 「大人まんが」といい、文春漫画賞といい、ふたつの本が理想としているものは、ごく冷静に言ってしまえば、単なる特定の時代の産物であったに過ぎない。具体的には1950年代からせいぜい1970年代頃までの、約二十数年ほどだ。日本で言うなら、それは《漫画讀本》(1954年〜1970年)の時代にほぼ重なる。敗戦後の混乱が落ち着きはじめてから、劇画が市民権を得るまでの期間と言えばわかりやすいだろう。もちろんこの潮流は世界的な傾向で、アメリカのNEW YORKER誌、イギリスのPUNCH誌、フランスは…えーと何だったっけ、ともかく欧米先進国の一流雑誌には、ヒトコマからせいぜい数コマの、ウィットとユーモアとカリカチュアとエスプリに満ちた漫画作品が、百花繚乱・群雄割拠でこの世の春を謳歌していた。文字通り綺羅星のごとき才能が、世界のあちこちにいたのだ。フランソワがにやりとさせ、ペイネがほんわかさせ、アダムスがゾッとさせ、サンペが大笑いさせ、スタインベルグが目を瞠らせ、ホフヌング(注)がうっとりさせて、そして我が日本では近藤日出造がニラミを効かせ、横山隆一が絶好調で、加藤芳郎が猛烈に売り出していた、そんな時代であった。(などと偉そうに書きながら、実は筆者もリアルタイムに経験した世代ではないのだが :-P)
 
 
 
 これらの本を喜ぶのは、おそらく<かつて青年だった>年代層がほとんどだろう。現代の若きマンガ読者にとっては、おそらくただの古典作品としてしか受け取れないのではないか。残念ながら、両書が理想とし規範としたがっているようなタイプの漫画が、ふたたび隆盛を極める時代はもう二度と来るまい。<大衆文化>というのは、そういうものなのだ。そして、そのことを誰よりもよくわかっているのが、文春漫画賞に関わった人たちであり、夏目・呉両氏であろう。私が冒頭に「ある時代へのオマージュ」と書いたのは、そういう意味でもある。
 
 っていうより、いまの日本で、マンガという表現ジャンルじたいがどうなのか。「今の子どもはアニメばかり眺めていて、マンガ本すら読まない」っていうセリフは、筆者のまわりでは数年前から聞くのだが、現在はどうなんだろう。まさか、アニメすら見ずに、ゲームすらやらずに、ひたすらうつむきながらケータイメールばかりしているってことはあるまいが…。

【注】ジェラード・ホフヌ(ナ)ングについては、別記エントリに詳しく触れています。ご参考までに。

2003 12 23 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

「booklearning」カテゴリの記事

comments

追記:この種の本の影響力は、今ではむしろ「漫画」以外のアーティストに有効であることを付記しておきます。この時代の絵のタッチや、ユーモアのセンスなどを正統に受け継いでいるのは、むしろアドバタイジングやエディトリアルで活躍するイラストレーターでしょう。知人のサイトをいくつかあげておきます。
http://www.cubicface.com/">nita!
http://www.kobouzu.net/index.html">kobouzu.net
http://www10.big.or.jp/~tuesugi/">TADAHIRO UESUGI

posted: とんがりやま (2003/12/27 15:48:53)

 

copyright ©とんがりやま:since 2003