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カルロス・ヌニェスを聴いて考えたこと

 すでに何度か来日しているはずだが、私はこれが初めての生カルロスである。彼のアルバムは初期の数枚を聴いたことはあるけれど、その動向が常に気になるというふうな、熱心なカルロス・ウォッチャーではない。
 だから実のところ、ライブにものすごく期待していたわけではなかったのだ。まあ、一応見ておくか、くらいの、軽い気持ち。
 

 ここんとこしばらく、アイルランド方面のライブにばかりかまけていたので、たまに他の国から来た人を聴くと新鮮ですね。大陸的というのか、南国的というか。明るい日差しがパァーッと降り注ぐような、陽性でパワフルなライブを堪能しました。それにしても、ガイタの音は狭いライブハウスには不向きですな。こいつは真夏の野外フェスなんかで聴くと最高だろうなあ。
 
 
 カルロス・ヌニェスといえばガリシアっていう程度の知識しかないので、ガリシア音楽をたっぷり聴けると期待していた私としては、ちょっと肩すかしを食らった気分だった。ブルターニュ・スコットランド・アイルランドからキューバまで、「汎ケルト」および「移民の地」(キューバにはガリシアからも多数が移民したそうである)の音楽が次から次へと出てきて、それはそれで飽きないのだけれど、じゃあ「ガリシア音楽ってどんなの?」ということになると、どうも焦点がぼやけたような構成だったからだ。アイルランド音楽好きが多いだろう日本人向けの、サービス満杯のステージってことだったのかな? などと思いつつ帰宅して、会場で買った新作CDを開けてみてようやく少し腑に落ちた。
 新作アルバムのテーマが“ブルターニュ”だったのだ。ああ、なるほどね、である。以前からBagad KemperやDan Ar Brazと共演するなど交流があったのは知っていたし、ブルターニュには並々ならぬ興味があるんだろうなとは思っていたが、ずばり新作のテーマに持ってきていたとは知らなかった。…冒頭にも書いたように、私は、ほとんどのミュージシャンの最新動向などには、まるで疎いのだ。新譜情報のたぐいもほとんど右から左なんであります。
 
 カルロス・ヌニェス自身もステージのMCで多用していたが、「ケルティック・ミュージック」という言い方がある。日本では「ケルト音楽」という訳(?)を与えられることもあるが、要するにアイルランドやスコットランドやブルターニュやウェールズやガリシアや…など「古代ケルト人の文化が今なお残っている土地の伝統的な音楽」と一般には解されているように思う。Festival Interceltique de Lorientが長年続いていることからもわかるように、この呼称は、少なくとも西欧では市民権を獲得していると思われる。
 私なんかがここで異議を唱えるのもどうかという気がするのだけど、「ケルティック・ミュージック」というのは、ヨーロッパの人たちが考え出した壮大なフィクションだと、私は思っている。コンセプトとしては面白いし、ロマンティックですらあるんだが、あくまで虚構としての面白さであって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか、というのが正直な感想である。とくに、「古代ケルト文化」とは無関係のはずの日本では、このことばは単にレコードセールス上の符号のようなものでしかない。CDショップの棚の上にしか存在しない、ただの「音楽ジャンル」としての「ケルティック・ミュージック」。だから、私は「ケルティック・ミュージック」ということばには少なからず抵抗があり、自分の文章にはなるべく使わないようにしている(「ケルト音楽」という中途半端な訳語に至っては、論外だ)。私はずっと「アイルランド音楽」とか「ガリシア音楽」などの限定したいいかたの方が、好ましいと思ってきたのだ。
 
 ところで、カルロス・ヌニェスがこのライブで演奏したのは、ひとことで言うと「ケルティック・ミュージック」なのだった。いっぽう私は、ひとことで言うと「なんでケルティックなんだよぉ、ガリシアやってくれよぉ」なのだった。両者の間には「ケルティック・ミュージック」という概念に対するとらえ方の温度差があったことはあきらかだ。
 私にとってはガリシアもケルトの文化も、所詮は異邦人として眺めることしかできない。<ガリシア>ということばがその土地の人たちにとってどういうポジションにあるのかということについてさえもロクに知らない、きわめて無責任な立場だ。対してカルロスは、あくまでその当事者なのだ。カルロス・ヌニェスにとってこのことばは、私なんかが思っているよりもっとはるかに切実な概念であろうことが、今回よぉくわかった。少なくとも、カルロス・ヌニェスは「ガリシア音楽家」であろうとはしていない。まったく別の地平を見つめている。
 
 
 さもライブが期待はずれだったとでも言いたそうな書き方をしているけれど、「デレク・ベル、そしてチーフテンズに」とコメントして吹いたエアー<Mná Na h-Eireann>には、さすがに心に沁みた。そういえば、はじめてカルロス・ヌニェスをわれわれに紹介したのは、アイルランドでも稀代のクロス・ジャンル・ミュージシャンだったっけ。そう考えるとなおさら、カルロス・ヌニェスに向かって「ガリシアだけ」のプログラムを求める方が間違っていたんだろうなあ。ううむ。
 
 私が「ケルティック・ミュージック」ということばを自分のものとして使いこなせる日は、おそらく来ないかもしれない。私にとっては、やっぱりとても難しい概念だからだ。この日のライブでそのことが確認できただけでも、よしとすべきだろう。
 いや、なにもこんなメンドクサイことを考える必要はなく、感想文としてはスカッと気分爽快なライブだった、だけで充分なんでしょうけどね、ホントは。アンコールの<Music for a Found Harmonium>に思いっきりタテノリジャンプしつつも、ガラにもなくあれこれ考え込んでしまった次第。

 <12月13日 大阪・バナナホールにて>

2003 12 14 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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