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ホフナングを知っていますか。

 世に「音楽漫画」というジャンルがあるとして、また「音楽漫画家」という称号があるとして、それがもっとも似合う人は、ジェラード・ホフナング Gerard Hoffnung(1925〜1959)ただひとりだと思っています。
 ホフナングといえば、冗談好きのクラシック音楽ファンのあいだでは、彼の名を冠した音楽祭の方が有名かもしれません。しかし、ホフナングは単に「面白おかしいコンサートを企画した人」だけではありません。その短い生涯のあいだに漫画家からラジオ・キャスターまで幅広い活躍をみせた天才でもありました。そして、没後半世紀近くが過ぎようとしている今となっても、彼の漫画の面白さは少しも古びていません。


 ホフナング漫画のいちばんの魅力はなんといっても、描かれた人物たちが「ちゃんと楽器を演奏していること」でしょう。漫画の登場人物がたとえ二頭身や三頭身で描かれようとも、基本を間違えなければ人間に見えるのと同じように、彼の描いた楽器はどんなにデフォルメされカリカチュアライズされようとも、きちんと「音が出る」ように見えます。
 ホフナングは自身がチューバ吹きでもあったので、オーケストラを漫画の主な題材にしています。交響楽団で使われる全ての楽器を残らず描いていますが、これはそれぞれの楽器がどんな構造をし、どういう仕組みで音を奏でるのか、細かく正確に理解していなければできる芸当ではありません。ピアノだけとかヴァイオリンだけとか、特定の楽器をそれらしく描ける漫画家はたくさんいますが、コールアングレとオーボエをちゃんと描き分けられる作家はどれだけいるでしょう? ユーフォニウムのあの複雑な管を、ティンパニのリムとネジを、手を抜くことなくきちんと描けたひとは何人いるでしょう?
 しかも、たんに奏法を正しく絵解きするだけなら音楽図鑑になってしまいますが、彼が活躍したのは1950年代という“カートゥーン黄金時代”。現代のコミックプロダクションのような、主役とその他大勢と背景とをそれぞれ違う人間が描くという奇妙な作画方法は、もちろんここにはありません。画面のすみずみまでひとりの作家の個性で統一され、どの絵のどの部分を見てもひとめで彼だとわかる個性に満ちています。一方で古いエッチング図版をコラージュしてみたり、キュビズムのパロディ(ショーンベルグを描いた作品で、これがまたおそろしく質の高い冗談になっています)まで、意外といっていいほどたくさんの実験的な手法も試みています。
 
 余談ですが、インターネットでホフナングに言及しているサイトがないかざっと探してみたところ、「漫画」と断言せず「絵本(漫画?)」と書いてらしたページがありました。別のサイトでは「イラスト」ともあり、そうか、今の日本のふつうの感覚では、もはや漫画とは認められにくくなってきたのかとちょっと寂しくなりましたが、むろんホフナングはまごうかたなき「漫画」です。
 
 楽器を演奏している絵が非常に音楽的だと書きましたが、しかし実は、たとえ楽器をいっさい出さなくても音楽を表現できるところに、ホフナングの本当の凄みがあります。彼が出したはじめての音楽漫画集《The Maestro》(1953年)は、譜面台を前にしたひとりの指揮者を延々と描くだけで、一曲の交響曲を——第一楽章から終楽章、そして万雷の拍手喝采まで余すところなく——「聴かせる」ことができる、ほとんど奇跡のような一冊です。各ページのキャプションが楽想記号になっていて、これがまた絶妙。彼の代表作をひとつだけ挙げろと言われれば、おそらくこの本を推す人が多いのではないでしょうか。
 
 私がホフナングを知ったのはずいぶん遅く、1980年代の半ば頃でした。その奇想天外なユーモアとデッサンの的確さにほれぼれし、当時発売されていた新書サイズの SOUVENIR PRESS 版をせっせと買い集めました。生前に刊行された音楽漫画集6冊と没後に再編集された《Humoresque》、それに音楽漫画以外の作品集2冊の計9冊が、今も私の大切な宝物として手元にあります。そういえば、この SOUVENIR 版でホフナングを「再発見」した人が多かったのでしょう、1988年には同じ装幀の日本語版が刊行されたこともあります。
 
  
 ジェラード・ホフナングには公式サイトがあり、彼の生涯と作品はここで詳しく知ることができます。
 ここのトップページに掲載されている6人のピアニストの指の漫画だけでも、ホフナングの魅力の一端がわかると思います。それそれのピアノからどんな音が出るのか想像できそうですし、もっと具体的に、著名ピアニストの誰それを連想できる人もいるかもしれませんね。

2004 01 29 [booklearning, design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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