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これもまた“ボーダー・ミュージック”なのだ。

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Kentucky Mountain Music
YAZOO RECORDS 2200
Produced by Richard Nevins/2003年

 1920年代から30年代にかけての、マウンテン・ミュージックの歴史的録音のアンソロジー。CD7枚組・全167曲収録のボックスセットだ。全部聴き通すだけでも、なかなか大変であります。
 

 二十世紀初頭、アメリカでは、人びとの娯楽の形態がそろそろ新しい次元に突入しようとしていた。レコードが普及しだす、ラジオ放送が軌道に乗る、スクリーンに映し出された写真が動く。これら先端テクノロジーが、金儲けと結びつく「巨大産業」として急成長しはじめるのだ。1927年には映画がついにしゃべりかつ歌いだし、以後現代にまでつながる<マスを相手にしたエンターテインメント>がほぼ(テレビジョンはまだ登場していないけれど)全て出そろったことになる。
 これは大きな変革だった。それまでの芸人は目の前にいる客だけを相手にしていればよかったのに。町から町へ、酒場から酒場へと客を求めて全国を放浪する旅芸人も、その逆に、ひとつの劇場におおぜいの客を集める大名優も、その点には変わりがなかった。ところが、ラジオやレコードや映画が発明されたおかげで、行ったこともない土地の会ったこともないひとたちにまで、自分のパフォーマンスが届くようになってしまった。そしてそれが国民的な人気を集め、あまつさえ巨額の富を手にすることも不可能ではなくなった。1920年代は、演じ手(あるいは歌い手)と受け手との関係が大きく様変わりをはじめた転換期なのである。
 
 そういう時代に吹き込まれた、これはアメリカ大衆音楽の一断面である。ティン・パン・アレイのような「プロフェッショナル」の手になるものと違って、ここに収められた音楽は、自分と自分のまわりのごく近しい人のために歌われたごくパーソナルなうたから、まったく無関係な誰かさんをもこちらに振り向かせるために作られ演じられたうたまで多種多様で、その振幅の大きさが面白い。もっと言えば、音楽が自分の声の届く範囲で生きていた時代から、テクノロジーの力を借りて想像もつかない場所にまで届く(にしても、はるか極東の地にまで、しかも世紀を越えて届くなんて、当時は誰ひとり考えなかったに違いない)ことを前提にした時代へ。ふたつの時代の境界線上を揺れているさまが、なんとも面白いのだ。テックス=メックスのような、複数の国境線上の音楽を「ボーダー・ミュージック」と呼んだのはライ・クーダーだったっけ。そのデンでいうなら、1920〜30年代は時代がまるごとボーダーラインにあったのだ。そういう時代の音楽が面白くないわけがないでしょ?
 
 
 写真機が誕生した頃「魂が抜かれてしまう」といって、カメラに写るのを拒否した人も多かったという話をどこかで読んだ記憶があるけれど、同じように、自分の声が円盤に閉じこめられてしまうことを忌避した人はいなかっただろうか。自分のうたが、時空を越えてそこに残されてしまうことに、生理的な恐怖を覚えた人はいなかっただろうか。
 このCDボックスセットの資料的価値ということでは、収録年月日など楽曲ごとの詳細なデータが、どこにも記載されていないのが残念といえば残念だけど、まあ、それはいい。結果としてレコード盤に刻まれた、たくさんの音を聴きながら、結果として記録されることがないまま、時間の彼方に消えてしまった、もっともっとたくさんの音にも思いを馳せる、私でありました。

2004 01 08 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

よさげだなあ。音源は何ですか。SP,それとも研究家の個人録音? 聞いてみたいけど7枚組は腰が引ける。せめて2枚組にまとめた入門用のが欲しいな。

posted: わたなべG (2004/01/09 2:04:32)

 音源はさまざまのようです。個人所有のレコードコレクションからのものと、American Folklife Center のライブラリにあるフィールドレコーディングからのものと。どの曲がどれかは、にわかには判断できないですが。
 確かに7枚組はちょっと勇気が要りますね。詳しい曲目リストと試聴はYAZOOのサイトでどうぞ。

posted: とんがりやま (2004/01/11 0:01:46)

 

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