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革命期を生きた死刑執行人の物語

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 死刑執行人サンソン——国王ルイ十六世の首を刎ねた男
 安達正勝著/集英社新書0221D/2003年12月刊
 ISBN4-08-720221-6  装幀/原研哉

 
 前にも書いたことがあると思うけれど、私はお馬鹿なギャグマンガから小難しい学術書まで、どんな本でも布団の中で寝っ転がって読むクセがある。寝る前くらいしかゆっくり本に集中する時間が取れないのが大きな理由なんだが、この方式ではたまにシマッタと思うときがある。
 面白すぎて夢中になって、気が付いたら空がしらじら、寝る時間がなくなっちゃった、という場合と、いろいろ考えさせられることが多く、本を閉じても頭が冴えて眠りにつけない場合だ。

 この本の場合、上のふたつに加えて、さらにもうひとつ「シマッタ」と思った。だって、これ、とってもコワいんだもの。

 死刑執行人の話だから、当然、その職務を全うするシーンがたくさん登場する。すなわち、死刑囚に刑を施す場面だ。いやあ、これが恐ろしい。もともとホラーもスプラッターも苦手な方だから、二晩くらい、悪夢にうなされそうになりました。
 なかでも一番えげつなかったのは、やはり「八つ裂きの刑」だろう。これは囚人の四肢にそれぞれ馬をつなげ、せーのでひっぱってバラバラにさせる刑である。よくもまあこんな方法を思いつき、しかも実際にやったものだ。ただ、人間の身体はけっこう頑丈なつくりになっていて、単に引っ張るだけでは「八つ裂き」にはできないのだという。だから、あらかじめ関節を叩いて、切り離しやすいように壊しておくのだそうだ。もちろん囚人、生きたままですよ。ああ、こうやって書いてるだけで気分が悪くなってきた。おええええ。
 この「八つ裂きの刑」が、数ある死刑の中でもっとも重い刑なんだそうだ(そりゃそうだ)。昔の死刑執行は公開処刑だから、すなわちこの刑は史上最大の「エンターテインメント」でもあったのだ(いや、不謹慎な言い方だけど、お上にとっちゃ「見せしめ」のつもりでも、大衆にとっては「見せもの=娯楽」になっていた時代が、洋の東西を問わず確かにあったのだからしょうがない)。さらにもっとえぐいのは、この「八つ裂きの刑」を高台から見物しながら、その間ずっと性交していた貴婦人なんかがいたという話である。ううむ、異様に興奮するんだろうねえ。いやはや。

 そんなふうな、怖い怖い本ではあるけれども、もとより猟奇的趣味で書かれたものではない。

 とある事情から死刑執行人になってしまった初代サンソンは、パリでその職務に就くことになる。人を殺すという恐ろしい役目を担った職業である。一般市民からは徹底的に疎まれ避けられ差別される、そういう職業である(興味深かったのは、人間の身体のどこをどうすれば死に至るかを熟知している職業のゆえに、一方で医者を副業にしていた、ということだ)。
 王の名の下に行われた戦場での「殺人」は英雄的行為なのに、なぜ裁判にかけられた囚人を扱うというだけで、同じように王の名の下に命令されたはずの「殺人」を実行する者が、かくも嫌われなければならないのか。サンソン家の歴史は、そうした世間の不当な差別とも戦うことを余儀なくされた歴史でもあった。
 本書の主人公は、そんなサンソン家の四代目当主、シャルル-アンリ・サンソンである。歴史の闇に紛れているはずの死刑執行人が、なぜ表舞台に立ってしまったかというと、彼の生きた時代が、ちょうどフランス革命という大きな転換期に当たってしまったからである。

 殺人を職業にしていることの苦悩を、サンソンは、敬虔な信仰心とフランス国王への忠誠心でなんとか克服してきた。そういう精神的拠り所がなければ、とっくに狂気に犯されてしまう、そんな過酷な役目だからだ。いっそ死刑制度が廃止になってくれたら! そうすれば、人を殺すことの苦しみも、世間から迫害される哀しみも、すべて消えてしまうのに!
 本書のハイライトは、フランス国王を敬愛して止まなかった男が、こともあろうにその首を刎ねなければならないハメになってしまう場面だ。もちろんサンソンはそんなことはしたくない。その苦悩と動揺が、そして刑を執行してしまったあとに極秘で行ったミサの模様が、まるで見てきたかのように鮮明に描かれる。「小説を超えた驚きの連続!」と本書のオビにあるけれど、著者のドラマティックな筆致(出典としてバルザックの著作に多くを負っているとはいえ)はむしろ、ほとんど映画のようだ。全編を通じて累々と築かれる屍体の山に、私なんかはたとえば『王妃マルゴ』あたりを連想した。もちろん、あの映画のようなエロスはないけれど。

 先に紹介した「八つ裂きの刑」のような残酷きわまりない刑が廃止され、処刑方法がすべて「ギロチン」ひとつにまとめられたのは、フランス革命の直前だ。瞬時に死に至らしめるので「もっとも人道的」だというのが、この機械が採用された理由である。どなたもご存知の通り、ルイ16世も断頭台の露と消えているが、そのギロチン台の設計上の仕様決定に、国王みずからが関わっていたという話は本書で初めて知った。これにはびっくりしました。


 結局、サンソン家は6代続いたという。フランスで死刑制度が廃止されたのは1981年。ルイ16世の死から188年が、そして誰よりもこの制度がなくなることを願っていたシャルル-アンリの死から、175年がたっていた。

2004 02 24 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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