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文化に値札をつけるということ

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 マンガ原稿料はなぜ安いのか?
 竹熊健太郎著/イースト・プレス/2004年2月刊
 ISBN4-87257-420-6  装幀/関善之 for VOLARE inc.

 総本家漫棚通信でこの本の存在を知り、さっそく買いに走った。

 たいへん面白く読み終えた私であるが、いきなり疑問で申し訳ない。本書の表題エッセイ、マンガの原稿料がここ30数年間ほとんど変わらないということだが、マンガ家だけが不当に安くこき使われているとは、特に言えないのではないか。
 経済アナリストみたく国民総生産やら賃金上昇率やら消費者物価やらの分析をした上での反論ではなく、ごく漠然とした印象でしかないけれど、かの泡沫景気崩壊以降、モノの値段って久しく上がっていない気がする(むしろ下がってる)。
 「新人が週刊誌連載をした場合の一ヶ月の収入は、時給になおせばコンビニのバイトより安い」と、具体的な例をあげて収支の明細まで掲載されているのだが、マンガ業界とはなんの関係もない私からすれば、まぁこんなもんじゃないのという気もする。もちろん「儲かるショーバイだなあ」とは決して言えない金額だが。
 「マンガ家のキツさを知らないからそんなことが言えるのだ」などと言われるかも知れないが、なに、今どき仕事がキツいのは別にマンガ業界だけに限るまい。コンビニのバイトも、また然り。


 マンガは安いのか。本は高いのか。CDは値下げすべきなのか。…こういう議論の行き着く先は、音楽や出版を「文化」として見るか「産業」として捉えるかという話題になってしまいがちだ。「文化」に値札を付ける際に、原価計算を誰がどこまでやるのか、考え出したらキリがない。結局この種の問題は、立場によって意見が対立せざるをえない、永遠に平行線な話題なんだろう。    ところで、本やレコードや映画やお芝居やコンサートや…の値段は、私はうんと高くしてもいいと思っている。こういうことをヌケヌケと書くと、あっちこっちから集中砲火を浴びるかもしれないけれど。  ビンボー中・高校生の頃は、2,800円のLPレコード一枚買うのに清水の舞台から飛び降りるほどの決意が必要だった。今ではそれが、脚立の上から飛び降りる程度くらいにはなった。働いて得たカネのいくぶんかをCD代に割り当てられるほどには、ゼータクな身になったのだ。ありがたいことである。  CDの値段は現在も邦盤新譜で3,000円前後。ビンボー時代とそんなに変わっていないから、むしろ「昔に比べて安くなったなあ」という感慨が先にたつ。で、つい買いすぎてしまって、一回聴いただけで「これダメ」などと簡単に決めつけてしまったりもして、けっきょくは音楽を使い捨てているようでもあって、なんとなく後ろめたかったりもする。

 暴論をひとつ。いちど、思い切って新譜(あるいは新刊本)の定価を今の5倍くらいに設定してみてはどうだろうか。ま、おそらく九割以上は売れなくなって、おそらくレコード会社(出版社)の大半はつぶれてしまい、おそらくレコード歌手(作家)のほとんどが廃業に追い込まれる…のかもしれない。しかしはたして、それでも聴きたい・読みたい・買いたい・所有したいと思える作品が、ゆえに自分にとって生涯の宝物になるだろう作品が、そんな中からでもあらわれてくるのか、こないのか。私は「その先」に興味がある。
 「文化」ってえのはもっとお高いもんだろうという、これは一種のロマン主義である。われわれが現在「文化」と名付けている存在を大手資本のもとで「産業」として流通させるというシステムは、そろそろ黄昏を迎えていいんじゃないか。“後世にまで残すべき名作や名盤(と喧伝されているモノ)”が、投げ売り特価で店頭のワゴンのホコリにまみれている光景は、はたして本当に「文化的」なのか。そう問いかけたい気分が、私にはあるのだ。


 話がズレまくってきたので、本書の話題に戻す。竹熊さんの主張のなかで、私も諸手を挙げて賛成したいのは「長編マンガが長すぎる」というくだりであった。ホント、最近の長期連載ってイヤになるくらい長いのだ。一話完結型の読切連載ならまだしも(それだって限度がある)、一貫した起承転結のある物語がえんえん何十巻も続くのはたまらない。上の原稿料が安いという話題はここでシンクロしていて、連載の稿料だけでは食えない→収入は単行本に頼るシステムが確立→だから人気作品は簡単には終われない、という悪循環が起こっているのだと指摘している。なぁるほど、である。
 著者は怒っている。マニアでもない普通の人々が、30巻も40巻も続くようなコミックスを買い続け、しかも自宅に置き続けられるわけがない、と。マンガ喫茶やブックオフに代表される大型古書店の登場はだから必然であり、そのせいで新刊書が売れなくなったというのは、結局はマンガ界の自業自得なのではないか、というのだ。またもや、なぁるほど、である。


 とまあ、いろいろ考えさせられることの多い本書だが、最後にもうひとことだけ。漫棚通信さんも指摘されているが、こういう真面目な本のオビに「爆笑エッセイ」と書く版元のセンスは、一体いかがなものか?
 
【2004.12.20追記】
 著者の竹熊健太郎氏が自前のウェブログを開設された。どうやらトラックバックを欲しておられるようなので、ずいぶん前の読書感想文ですが、このエントリを恥ずかしながらトラックバックさせていただきます。

2004 02 26 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

CD店にせよ書店にせよ巨大店舗へはほとんど足が向かなくなって久しい。どちらも数量が多すぎて目眩がするようになったからなのですが,一度,作家数,作品数,利益率・・等々の精密な統計資料を見てみたいものです。テレビを見なくなったのもラジヲを聞かなくなったのも根は同じ様な気もしますが,さて。

浪漫主義過激派・とんがりやまさんの面目躍如たるご意見,こういうことを言う人がもっともっと現れなきゃ,崩壊寸前の文系産業は反省の一つもしないまま自壊してしまうのではないでしょうかね。

posted: わたなべG (2004/02/27 13:54:04)

 どうもです。
 
 竹熊さんの提言をもうひとつ記しておきますと、安い週刊誌には徹底したマスプロ化によってひたすら効率よく生産されたマンガを載せ、月刊誌や描き下ろし単行本で作家性を追求したマンガを、高めの価格で売る。こういう二極分化が必要なのではないか、という主旨のことも書いておられます。

 私には、この提案の実現性や有効性をにわかには判断できませんが、「二極分化」というキーワードは、これからの文化産業の手がかりのひとつになるだろうとは思います。
 すでに始まっている試みとしては、インターネットで無料もしくはうんと安い値段で提供し、カタチのあるモノとして要望があった際に、それなりの値段で売る、というスタイルがそれにあたるでしょうか。出版分野では「ウェブサイトで連載→単行本化」というのは定着しつつありますし、流れはちょっと異なりますがオンデマンド出版も面白いですね。
 音楽ジャンルでは、日本でももうすぐ始まると噂のネット配信には、やはり興味があります(自分自身はあまり利用する機会がなさそうですが)。1曲100円程度のネット配信で充分な場合と、少々高くてもパッケージとして手元に置いておきたい場合とを選べるというのなら、客としてはありがたいはず。

> 数量が多すぎて目眩がするようになった
 情報流通の主流を、紙に印刷されたモノや、プラスチックの板に記録されたモノから、いかに上手に解放してあげられるかどうかってことなんでしょうね。大半のテキストや音楽や動画がネット配信だけで完結し、パッケージものとのジャンルの棲み分けができた時にはじめて、お店で目眩をおこさずに済むようになるかも。ま、そんな時代になったらなったで、最近のパソコンはアレだねえ、新着情報が多すぎて目眩がするよー、って言ってるでしょうけど。
 
> 崩壊寸前の文系産業は反省の一つもしないまま自壊
 崩壊している、あるいは自壊しているという自覚が薄いままに、別のなにかに変質していく、今はその最中なのかなとも思ったり。別のなにかって何よ、というのは、ええと、後世の歴史家に決めてもらいましょう(^^;

posted: とんがりやま (2004/02/27 20:14:02)

 

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