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「名前を売る」ということ

 大阪近鉄バファローズの「名称売り出し」構想があえなく頓挫した。ていうか、事前の根回しもナニもなしで突っ走った近鉄の「世渡りのヘタさ」ってのもなかなかのものだが(^^;)。

 
 「野球協約に違反」というのが理由になってはいるけれど、協約うんぬんはおそらくあとづけの理由で、コミッショナーや他球団の各オーナーには「名前を商売にする」ということへの、ほとんど生理的と言っていいほどの嫌悪感が根っこにあるんじゃないだろうか。「名付け」に対する畏れ、とでもいうとなんだか民俗学ちっくなハナシになってしまうが。
 ヤフーBBや味の素のように、スタジアムのような「モノ」には名前貸しを認めても、あるいはサーパスのように二軍ならかろうじて許容できても、仮にもプロ野球の一軍にはそれだけの威厳と風格と権威がなければならんのじゃあ、と。要するにプロ野球球団に「人格」を見ているわけで、人間の名前が簡単に変更できず、ましてや命名権を売り買いするなどとんでもないと考えるのと同じだ。球団名を「神聖なモノ」と考える、これは容易には変えがたい倫理観だと思う。
 
 一方で、この件に触れているいろんな個人サイトやウェブログ(数が多すぎるので、どこにもリンクもトラックバックもしませんが)をさくっとザッピングしてみたが「金額が高いのでは」など部分的な異議はあるにせよ、おおむね好意的な感想が多かったようだ。プロ野球ファンであろうとなかろうと所詮「第三者の発言」なんだけど、ひとつ共通して言えるのは、球団に「人格」まで見る人はほとんどいないんじゃないかと。球団はあくまで「球団」なのであって、経営悪化を改善するためなら名前くらいいいじゃん、という感覚。
 
 ふと思うのは、スポーツチームに限らず、いま「人格」まで感じさせるほどの集団・団体ってどのくらいあるんだろうか。いや、それこそ「球界の盟主」を自任する某金満球団なんかはその筆頭だと、関係者ご一同様は信じてらっしゃるんでしょうけど。

 ともあれ、経営者側と一般ファンとの「感覚の乖離」がこういうカタチでも起こっているのかなあ、などと思ってみたり。ごく一部を除きどの球団も経営が非常に苦しいことなど、今や日本中の誰もが知っている事実なんだし、「新しいビジネス」を編み出そうとしたアイディア力を素直に認めてあげりゃあいいのに、ねえ。

2004 02 05 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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