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“見晴らしの良い”ダンスの本

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ダンス・クリティーク 舞踊の現在/舞踊の身体
尼ヶ崎彬著/勁草書房/2004年2月刊
ISBN4-326-85183-X  装丁/セシル・アンドリュ+金吉子

 わたしはここで『踊る阿呆を、観る阿呆。』なんつうサイト名を掲げているが、これはもちろん「同じ阿呆なら、踊らにゃソンソン」というフレーズを、気分のどこか隅っこに含んでいる(もっとも、原文?は「踊る阿呆に見る阿呆」なので、ニュアンスは微妙に違うのだけど)。ダンスなんてえ踊ってナンボ、指をくわえて眺めているだけっていうのはやっぱもったいねえだろ、という気分だ。
 
 そんなわたしにとって、舞踊学とか舞踊論っていうのは、あまり面白くないものだと思っていた。というのも以前、オビに「楽しくわかるダンス基礎知識!!」とでかでかと書かれた、現代舞踊についての解説本のようなものを読んでみて、何のことだかさぁぁぁああっぱりわからなかったからだ。作家・批評家3人による鼎談形式のその本は、結局のところ自分たちの知識の豊富さと見識の高さの自慢大会みたいに見えて、腹をたてて途中で放り投げたことがあるのだ。
 今にして思えば「観る阿呆」が「踊る阿呆」を一方的にあれこれ言うことへの違和感、というのがあったように思う(その本を読んだのはまだウェブログを開設する前、自分がこういう題名のサイトを持つなんて想像もしていなかった頃だ)。ま、ダンスに限らず「批評」ってどうしてもそういう側面がありますわな。ともあれ、以来わたしはなんとなく「舞踊論」そのものを敬遠してきた。
 
 そんなわたしだが、この本はとても面白かった。それでは具体的にどこがどう良かったのかというと。

 

 …と書き進めようとして、しばらく悩んでしまった。実のところ、非常に難しい本だからだ。正直、内容をきちんと把握し理解できたかというと、はなはだ心許ない。にもかかわらず「面白かった」という感想が出たのは、なぜなんだろう?
 
 まずとても共感できたのは、〈「観る阿呆」が「踊る阿呆」を一方的にあれこれ言う〉内容ではなかった、ということがある。というより、「観る阿呆」への考察がたくさんなされていて、これがとても新鮮だった。
 〈「主体」ー「客体」〉なんつう用語で書かれるとちょっと引いてしまうのだけれど、わたしなりに言い換えてみると、これは「踊る阿呆」と「観る阿呆」のどちらが主導権を持つのか? って話だと思う。アラレちゃんふうにいうと「どっちがツオイ?」ってやつだ(古いなぁ ^^;)。著者は両者を対立するものとして捉えるのではなく、双方向のコミュニケーションという観点で〈場〉に着目する。事件は現場で起きている、その「現場」こそがもっともツオイのだ(わたし、なんだかトンデモ解釈をしている気が、ものすごぉくしてますが、ま、誤読もまた楽しからずやということで)。
 著者の試みる観客論は興味深いもので、要はコンサートなどでの演奏者と観客との「一体感」や「グルーヴ」「ノリ」というものを理論的に解明しようというものだ。本書がそれに成功しているかどうかは別として、〈踊らにゃソンソン〉というポジションをちゃんと押さえつつ、さらにその先へ目線を広げているのが面白い。
 
 
 ところで、ダンスというのはあんがい間口が広く、高い入場料を取ってステージで演じられる大公演もあれば、名も知らぬ村で静かに伝えられてきた民俗芸能もある。学校帰りに通うダンス教室もあれば、残業やめてクラブでひと騒ぎっていうのもあるだろう。そのどれもがダンスと呼ばれる以上、ダンスをダンスたらしめる共通の要素というものがどこかにあるはずだ。ところが最初に書いた「さぁぁぁああっぱりわからなかった」解説本がそのいい例なんだけど、そこんとこはあまり突っ込まずに、自分の都合のいいフィールドだけでダンスを「解読」して、それでなにごとかがわかったような気になる、っていうのが世の中にはわりと多いように思うのだ。この本でも指摘しているが、たとえば新聞に舞踊の話題が載るのは芸術欄の「ダンス公演」批評が大半で、いっぽうアマチュアのダンス活動は社会面か生活情報欄での「地元のダンス愛好会」紹介、みたいな〈棲み分け〉がされている。アマチュアのダンス活動というのは内輪で閉じたものなので、「批評」のような外に向けた行為は似合わない、というのがその理由。でも、日本の舞踊界でプロとアマの境界線なんてあるのか、と著者は言い放ち、次のように書くのである。

 実は私にとってこの年もっとも深い印象を受けた舞踊はアマチュアのものである。(「欲望と内輪——ダンスワールド1996」、p58)

 It's so cool!
 
 
 コンテンポラリー・ダンスに疎いわたしでも楽しく読めたのは、著者のこういう「見晴らしの良さ」によるところが大きい。いちいち挙げられる例やたとえも守備範囲が広く、シェイクスピアが引かれるかと思えば柴門ふみがさらっと出てきたりで、読んでいて退屈しないのだ。ピナ・バウシュ名香智子の名前が一冊の本の中に出てくるっていうあたりの、著者の胃袋の強さがなんともたのもしい。
 
 惜しむらくは、索引がついていないこと。日本では索引をつける習慣がないからなあ。ま、わたしにとってこれから何度でも読み返す本になることはまず間違いなく、よくある言い回しを使えば「今年のベストは決まった!」級の評価に揺るぎはないんだけれども。
 ここに収められたのは長めの論文ばかりだが、短い批評文などは著者自身のウェブサイトに掲載する予定とのこと。現在はまだ under construction のようだけど、こちらもとても楽しみであります。ていうか尼ヶ崎教授、ニフティの会員とお見受けしますので、いっそのことココログにされてはいかがでしょう(^_-)?

2004 03 29 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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【追記/2004年5月25日】
毎日新聞に書評が掲載されました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20040523ddm015070144000c.html">http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20040523ddm015070144000c.html

情報感謝!>Mícheál Hさん

posted: とんがりやま (2004/05/25 13:07:15)

 

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