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Cartier×Sottsass×Daigo_ji

エットレ ソットサスの眼がとらえた「カルティエ宝飾デザイン」展
期 間:2004年3月13日(土)〜5月2日(日)※休館日なし
会 場:醍醐寺 霊宝館
主 催:醍醐寺、日本経済新聞社
後 援:フランス大使館
特別協力:カルティエ
協 力:エールフランス航空
監 修:エットレ ソットサス
トーベ・ヤンソンやロシア絵本など、ここのところ展覧会づいていて、すっかり展覧会熱に火がついてしまった(笑)。今日は朝からずっと雨だったが、思い切って出かけることにした。会場は桜の名所なだけに、悪天候をものともせず何台も観光バスが出入りし、予想以上ににぎわっていた。快晴だったらもっと超満員だったことだろう。今日出かけたのはある意味正解だったのかもしれない。
イタリアの建築家/デザイナーのエットレ・ソットサス Ettore Sottsass がカルティエの歴史的名品をセレクトし、会場の構成を考え、展示台をデザインし、しかも自ら写真まで撮っているという、これはなかなか刺激的な展覧会である。これまでミラノとベルリンで開催され、日本ではこの醍醐寺のみだそうだ。わたしが手にした入場チケットの半券には「013831」という通し番号が振られていた。ということは、すでに1万3千人を越える観客が集まったと言うことなんだろうか?
ジュネーヴにある「アート オブ カルティエ コレクション」に眠る1000点に近いコレクションからソットサスが選んだのは、1903年に発表された「シダの枝葉のコサージュ/髪飾り/ネックレス」から1975年の「クロコダイルネックレス」まで、計209点。大半が1930年代までのいわゆるアール・ヌーヴォー/アール・デコ時代のデザインのもので、もちろんめったにお目にかかれない貴重なものばかりだ。
ただの「世界の超一流ブランドの展覧会」とはひと味違うのは(もちろん、それはそれで観客のため息の数に変わりはないだろうけど)やはりソットサスが一枚噛んでいるという点と、会場が美術館でも博物館でももちろんデパートでもなく、世界文化遺産にも選ばれた古いお寺である、という点だろう。カルティエはもちろん、ソットサスも醍醐寺もある意味「世界ブランド」なわけで、つまりは(嫌味な言い方をすれば)ブランドの3乗だ。これを「わーステキ」とみるか「ケッ、やだねー」とみるかは人それぞれかもしれない。
とはいえ、日本では「ソットサス? 誰?」な観客の方が多いような気がするし、会場がお寺であることの意味を考え込む人もあまりいないと思う。花見に来たら宝石の展覧会もやっていて、桜とダイヤ、うーんなんてゼイタクなんでしょ、というだけで充分なのかもしれない。
わたしにはカルティエの宝飾デザインそのものを云々できるほどの眼はないので、ここではソットサスの仕事について語りたい。
入口でポストカードサイズの小冊子を渡された。中を見ると、展示品の品名と仕様、制作年代などが記された解説書である。おやまあ、ご丁寧にこんなものまで配るのね、と思いながら中に入って納得。展覧会にはつきものといっていい解説プレートのたぐいが、一切ないのだ。暗い会場には主役である宝飾品が、黒いディスプレイ・ボックスの中でそれぞれ品良く輝いている。デザイン画がディスプレイ・ボックスの高さにまで大きく引き延ばされてライトパネルにはめ込まれ、それが会場ぜんたいのアクセントになっている。観客の目に入るのはそれだけで、余分な要素を一切そぎ落とした、ずいぶんピュアでストイックな構成だ。
ソットサスは、展示品を「説明」することをやめ、かわりに観客が展示品と一対一で「対話」できることに最大限の意を注いでいる。「説明」が欲しければ、各々小冊子を読んでくれ、というわけだ。
これがどういう効果をもたらすか。
観客は解説書を見ない限り、展示品がいつ作られたものでどういう使われ方をされていたのか、あらかじめ何も情報が与えられない。ただただ眼前の宝飾品の煌めき、意匠の妙、職人技の精緻だけに集中すればいい。もっとも、観客の多くはひとつめの展示品から手元の小冊子をパラパラやってはいたけれども。だがしかし、主役たるべき作品よりも脇の小さな解説プレートの方が観客の滞在時間が長いという、一般的な「展覧会」のあり方を思えば、今回のように「説明」という行為を観客の自由意志に委ねたということの意義は大きいと思う。
カルティエの名作と観客の目を可能な限りストレートに結びつけるという、非常に「正しい」ディスプレイ・デザインを、ソットサスは行った。かれは会場ではあくまで黒子に徹したわけだ。コロンブスの卵とでも言おうか、実現されてみれば「なあんだ」となるのだけれども、やはりここまでラディカルな(根元的でもあり急進的でもあり徹底的でもある)デザインを提示できる人は、そうはいないと思うのだ。たいていは展示品をくどくどと説明したがるか、あるいはディスプレイも負けじと主張したがって、結果としてノイズの多い展覧会となるのがふつうだからだ。
…というふうなことに、実は、帰宅してから気がついた。会場でわたしがどういう動きをしていたかといえば、一巡目はとにかく作品だけを眺め、二巡目には気に入ったものを重点的に見、それからはじめて小冊子を読んでいた。会場のぜんたいを把握するまでは解説プレートなどの「ノイズ」はなるべく目に入れないというのは、展覧会場でのわたしの昔からの作法だから、今回もごく自然にそのようにふるまっていたのだ。ただ、他の展覧会よりもなんだか見やすいなあとは思っていた。「解説プレートが会場になく観客の手元にあった」という仕掛けとその効用にはあとから思い至り、改めて感動した次第なのである。
「ソットサス? 誰?」という人がほとんどであっても、おそらくソットサスは「それが本望だ」と答えるに違いない。これはあくまでカルティエの美を魅せるための展覧会であって、かれの展示会ではないからだ。しかし、ソットサスはここで実にすばらしいデザインをやってのけたのではないかと、わたしは思う。
主役となるべき宝飾品があり、それを最大限生かす見せ方をデザインした人がいて、さて最後の問題はそれが繰り広げられる「場」だ。はたして醍醐寺は、カルティエとソットサスに拮抗できるほどの「磁場」になり得たか、どうか。
ここには秀吉の茶会という「歴史の記憶」があり、世界文化遺産という「お墨付き」がある。まあそれで充分なのかもしれないが、それ以上でもなかった、というのが正直なところ。会場内に入ってすぐに、観客はまず醍醐寺所蔵の国宝や重文級の仏像を見せられるのだが、ただそれだけだった。もし許されるものなら、ソットサスは重文級の仏像をも好きなように「ディスプレイ」したかったに違いない。
限定5000部の展覧会図録はハードカヴァーで紐の栞まで付いている美しい仕上がりのもので、わたしも一冊買い求めた。会場では巨大なサイズに拡大されていたデザイン画もちゃんと収録してあるし、とても見応えのあるいい本だ。3600円だったが、これはむしろ安いと感じた。眼福とは、まさにこのことであります。
2004 04 04 [design conscious] | permalink
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