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[Live]:ピエール・バルー、幸福の魔法使い。

 午後3時すこし前に開場、3時30分開演。で、全て終わったのが9時15分ごろだった。ふぃ〜っ、疲れたぁ。
 
 何の話題かというと、4月11日、大阪・バナナホールでの「ピエール・バルー・フィルム・フェスティバル」のことなのだ。東京では昨年10月、吉祥寺バウスシアターで3夜連続イヴェントがあったようだが、関西ではおそらく今回が初めて。これは見逃してはならぬとばかりに、たっぷり堪能してまいりました。それにしても、お尻が痛ぇ(笑)。
 
 オープニング・アクトは地元・大阪のトリオvosê。10年以上のキャリアのあるグループなのだそうな。すみません、ワタシは初見でした。フライヤーに「ウチナー・ボサ」と書いてあって、うーん“いかにも”な感じなのかなあ、とちょっと思っていたんだけど、実際に聴いてみてナットク。ハイレヴェルでハイセンスで、とてもゆったりと気持ちの良い音楽で、これはモロに好みです、ハイ。そういやギターのカオリーニョ藤原さんってどっかで聞いた名前だなあと思って帰宅後CD棚をごそごそ。あ、なるほど「演歌BOSSA」の人だったんだ! と、ふたたびナットク。

 それにしてもさすがはピエール・バルー、客層が幅広い。小さな子供連れの若夫婦(長時間だったから子供も大変だったろう)からいまどき風学生カップル、初老のおじさま方まで、立ち見の人も大勢いたほどの盛況ぶりだった。
 
 
 さて、フィルム・フェスティバル。なにせ3本立て一挙上映なので、それぞれ細かな部分をいちいち書いていたらきりがない。とはいえ忘れないうちに書き留めておきたいエピソードにも事欠かないのだけれども。
 たとえば『Nuits de Nacre '91 真珠貝の夜』でのタラフ・ドゥ・ハイドゥークス。朝はツィンバロムの弦を使って魚釣り。昼間は街の広場で延々演奏、そのまま楽器を弾きながらコンサート会場に向かいステージでさらに一暴れ、コンサートが全て終了して客がみんな帰った後も延々舞台の上で演奏し続け、さらにホテルに帰る途中も歩きながら弾きっぱなし、部屋に帰ってからもまだ…という24時間営業のハイテンションぶりで、大いに笑わせてくれた。1991年当時はまだ彼らが世に出る直前で、ピエール・バルーが録った演奏を彼らに聴かせた時の、メンバーの「生まれて初めて自分の声を聴いたぜ」ってコメントにも爆笑。
 また、たとえば『Ça va ça vient bis』でのサンセベリーノ。ストリート・ミュージシャンとしての活動の後、レコード・デビューするやいなやたちまちレコード大賞を獲得する異才ぶりを発揮。そんなイキのいいフランスの新スターが、ブルターニュはヴァンデ(ここにもバルーの家がある)でかぼちゃ商会と異色のセッションに挑戦。コンサート終了後のサンセベリーノのコメントが泣ける——「一度きりと思うからこそ、美しいんだ」(かぼちゃ商会の2002年7月と2003年8月〜9月のフランス行の模様は、オフィシャルサイト中の“Maki日記”にも詳しいので、ぜひご一読を)。
 
 
 
 ピエール・バルーってつくづく「ひと」に興味があるんだなあ、と、3本のドキュメント・フィルムを立て続けに見て、改めて思う。いちばん古い1969年の『SARAVAH』は本人出演なので撮影した人は別だけれども、『Nuits de Nacre '91』と『Ça va ça vient bis』はほとんどが自分で家庭用ハンディカメラで撮ったものだから、彼の「目線」をそのまま追体験できる。とにかく人の顔のアップがとても多い。それも、だれもがみなとびきりの笑顔だ。音楽がその場のコミュニケーション・ツールとして、とてもいい具合に機能している瞬間、音楽を通じてひとが幸福を感じているその一瞬を、ピエール・バルーは見逃さない。今の自分の思いをありったけの絶叫で歌う男、はじめて触るアコーディオンでおっかなびっくり『Non, Je Ne Regrette Rien』の音階を押さえる女性、生まれて初めて目にするちんどん太鼓の奇妙な形と不思議な音にびっくりしながらも、恥ずかしそうに一緒に踊る子どもたち、それからそれから…。
 音楽っていいな、とごく自然に、ごく素直に、そう思える。
  
 
 3本のフィルムが終わって、最後にピエール・バルーと娘のマヤ・バルー、そしてヴォセとのジョイントライヴ。あれ、ステージ上のスクリーンを片づけないの? と思っていたら、演奏の前にもうちょっとだけつきあってね、と再び映像が。
 青森県新郷村の「キリスト祭り」を撮ったヴィデオが流れる。ここは「キリストの墓」がある村として知られているそうだ(それにしてもまあこの人もいろんな土地に行ってるなぁ)。カメラはキリスト祭りのステージの模様——といっても地元の人たちが民謡や演歌に合わせてアテ振りで踊るような演目ばかりで、少なくとも音律的には賛美歌などの「西洋的」な要素は皆無なのだが——を追う。そのなかのひとつ「婦人会音頭」というのをピエール・バルーが気に入ったようで、村の人に歌詞を教えてもらい、フランス語に訳し…というところで映像がふっつり終わり、スポットライトが点いてライヴが始まる。もちろんフランス語版「婦人会音頭」だ。歌い終えてから、このメロディはまるでナポリ民謡のようだ。地球は大きくて丸いけれど、「その土地の伝統」という大きな木の根っこが、地中の深いところまでのびていくと、地球の反対側にまで届くんじゃないだろうか、というふうなことを語ってくれた。
 そういえばヴィデオの中でも、出会った人たちと一緒に記念植樹をしているシーンがいくつもあったっけ。彼はそうやって、また新しい大きな木を育てようとしているのだろう。
 
   
 ここ数日、CD輸入権関係のサイトをあちこち渡り歩いたり、遅ればせながら『ディジタル著作権』(名和小太郎/みすず書房)を読み始めたりして、眉間に皺寄せながらただでさえ足りないアタマをガチガチにコり固めていた。そんな重く疲れる気分を、ピエール・バルーがずいぶん解きほぐしてくれたようだ。権利を主張することとかレコードビジネスとかの議論を、きちんと理解しておくに越したことはないんだろうが、それよりも、そもそも自分は権利が好きなのでもビジネスが好きなのでもなく、音楽が好きなんだっていう、もっとも基本的なことを再確認させてくれた感じ。
 上映された映像は、かしこまって観る「映画」というよりも、ほとんど彼のプライヴェート・フィルムと言ってしまっていいものだったし、また、なんとなく始まって静かにフェイド・アウトするライブの演出も含めて、なんだか彼の自宅に招かれたような、バナナ・ホールが彼のリヴィングルームになってしまったような、そんな一日だった。その場の雰囲気をあっという間にごく親しいものに変えてしまう魔法を、たしかに彼は持っている。だからこそ、彼がカメラを向けた先の人たちは、あんなにも幸せそうな笑顔を見せてくれるのだと思う。
 
 
 「一度きりと思うからこそ、美しいんだ」——サンセベリーノがつぶやいたこのことばは、しかし、そのままピエール・バルーのそれであっても少しも違和感がない。だって、『ITCHI GO ITCHI E』(オーマガトキ・OMCX-1035、1988年)というタイトルのアルバムさえ作っているんだもの。

2004 04 13 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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