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CD輸入権問題シンポジウムを聞いて思ったこと
昨日新宿で行われたCD輸入権問題シンポジウムですが、音楽配信メモさんで紹介されていた輸入権シンポジウム暫定配布ページのMP3で聞くことができました。
遅ればせながら、シンポジウムを開催された関係者の方々に敬意と賞賛の拍手を贈ります。ありがとうございました。そして、どうもお疲れさまでした。
「実態を知る」ことが目的の会だったんでしょうが、当初の目的以上にいろいろ勉強になることが多かったです。たとえば次世代CDには、DVDと同じようなリージョンコードをつける予定という話もそのひとつ(どうもこの件はまだオフレコ話のようでしたが)。
シンポジウムの主催者のひとりである高橋健太郎さんのブログ(サイトトップ最下段の「column」から2004年5月4日の項参照。いちおう直リンクもしておきます)で、シンポジウム終了直後の心情が述べられてます(あたりまえかも知れませんが、この文章はシンポジウムを聞いてから読む方がより理解しやすいと思います)。ここでも気になる話題がいくつもあって、たとえば
が、僕にはこんな風にも思えてきたのだ。文化庁やレコード協会はひょっとしたら、再販制度にはすでに見切りをつけているのかもしれない。だからこその輸入権創設ではないか。そして、二重の保護に対する批判が強まったら、切り捨てるのは再販制度であろう、と。
…てことは、五大メジャーの主導による(と思われる)輸入権創設は、未来の歴史家から見れば一種の「黒船」とも受け取られるんでしょうか。いや、輸入権もまだ成立してないし、再販制度にもまだまだ強い執着心を持っている関係者は多いでしょうから、今からこんなことを言うのもナニなんですが。
再版問題と輸入権問題は、今のところはとりあえず切り離して考える方がいいのかもしれませんが、かといって両者が全く無関係というわけではないはず。ごく近い将来、この問題が大きくフォーカスされることはまず間違いないでしょう。しっかし、これ、「究極の選択」ってやつですかね?
再販制度は基本的には価格の問題だ。再販制度によって、日本のCDは高価格になっているが、しかし、だからこそ世界中の幅広い音楽を日本盤としてリリース出来てきたという側面も確実にある。高価格ではあるが、カタログの充実ぶりは世界一といってもいいのが、日本のレコード業界だったのだ。しかも、僕達はより安価であると同時に、恐ろしくマイナーなところまで網羅した輸入盤文化というものも享受してきた。
20年以上も世界のアチコチでレコード店を巡り巡ってきた経験から断言するが、今の渋谷の街ほど、世界中の様々なレコードが簡単に買い求められる場所はどこにもない。日本の音楽ファンに与えられている「選択肢の自由」は巨大だ。
であるからこそ、「売る側」からすればどこかで強制的に交通整理をしたいんだろうな、というのはかんたんに想像できます。リスナーの「選択肢の自由」が世界でも有数ということは、正反対の立場の眼には「無秩序な無法地帯」のように映っているのかもしれず、だからこそ「秩序あるコントロール」をこの日本で是が非でもやらなきゃならないんだ……そんな風な「屈強な意志」が存在しているように思えてなりません。
権利を行使されたらどうなるか? 高価であろうがおかしな規格(CCCD)であろうが、どんなカタチであれ間違いなく日本盤が出るような有名アーティストの場合はまだしも幸いで、日本盤が出るかもしれないし出ないかもしれない、って微妙なラインにあるジャンルのファンが、いちばんワリを食うおそれがあります。また、メジャー移籍したらそれ以前のマイナー時代の作品が一気に入手不可になる可能性も、という指摘もシンポジウムの中でありました。さらには、自分が海外旅行先で買ったCDでさえ税関で足止めを食らうことだってある、とも。実際問題としてどこまで現実のものになるかは不明ですが、少なくとも、そういう可能性だけは否定できないわけで、私のようなミーハー的なワールド・ミュージック好きなんかはまったく致命的ですなぁ、これ。もとより「音楽・イコール・CD」という気は私にはさらさらないですが、かといって、じゃあ今の手持ちだけで残りの人生を過ごせって強制されるいわれは全くないんだし。
今となってはソースの明示も難しいのですが、昨年だったか一昨年だったか、メジャーレーベルが続々と「かつての大物アーティスト」との契約を打ち切っている、というニュースを読んだことがあります。この不景気の中、やたら経費のかかる大物をリストラしなければやっていけないほどに身動きできなくなった「メジャー」という巨人が、かつてのように「大がかりなプロモーションで一枚のCDを大量に消費させる方法論」が通用しなくなったいま、編み出された起死回生の一発が「輸入権」なる奇怪面妖な概念なのではないでしょうか。いわばこれもまた「バブルの後始末」の一環ではないのかと、シンポジウムを聴きながら考えていました。
あっちに音楽をやりたい人がいて、こっちにそれを聴きたい人がいて、その間をとりもつ人がいて、っていう図式に「もっと儲けたい人」が入り込んでくるのが、そもそも鬱陶しい。「たかが文化のことに、経済も政治も口出しするなよぉ」って言いたいのに、グローバリゼーションという名前の妖怪が徘徊している(おっと、どっかで聞いたようなフレーズだ(笑)せいで、そうも言ってられなくなった。
…いやな渡世だなぁ。
2004 05 05 [face the music] | permalink
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