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最近の気になる話題から
私的リンク集を兼ねて、いくつかピックアップ。
クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森):パッケージ
坂本龍一の言うように、今年が「CD永眠の年」であるとして極論すると、来年以降、CDを確実に聞ける保証はなくなる。ハードが無くなるのだ。フロッピー・ディスクを考えてみればいい。今、5インチのフロッピー・ディスクを読むことのできるハードが、どのくらい生き残っているか。音楽のパッケージとは結局このフロッピー・ディスクでしかない。モノ以前、あるいはモノ未満の存在である。
おお、と思わず膝を叩いてしまいました。「モノ以前」という指摘は言われてみればなるほどその通り。コンパクト・ディスクに比べるとLPレコードには「モノ」としての魅力もあると思うけれど、冷静に考えればそれも思いこみに近いですね。ちなみに上の引用文中の「坂本龍一云々」については、先見日記:輸入盤規制を参照してください。
「モノ」としての脆弱さ、という点では、fbeatさんのダイアリー(5月15日付)で教えていただいたこういう記事も。
AP通信:CDやDVDの寿命は意外に短い?
バイヤー氏によると、メーカーはこういったディスクの寿命を長いもので100年と謳っているが、試験基準が定まっていないため、メーカーの主張が本当かどうかを調べるのは非常に難しいという。状況をとりわけ困難にしているのは、ユーザーの知らないところでメーカーが頻繁に素材や製造法を変えていることだ。音楽記録メディアも家庭用ヴィデオも、iPodのようなハードディスク媒体が主流になりつつあるけれど、HDとて絶対ではない、ということもちゃんと頭に入れておくべきでしょうね。結局のところ、音楽は本質的に「消えていくもの」なのであって、生演奏なら瞬時だが、録音したものならそれがもう少しだけ先延ばしにされる、という、たかがその程度のことなのかもしれません。
おなじくfbeatさん経由で。
O' french club!:<<< 2004年5月 CDはどこへ行くか >>>。
誰もレコード屋に足を運ばなくなったというのはウソで,レコード屋はメジャーレコード会社と大規模流通網によって消されてしまったのです。今でも憶えていますが,私の住む人口10万人の町ブーローニュ・ビヤンクールから,最後まで残っていたたった一軒のレコード店が消えたのは1986年のことでした。それ以来この町の人たちはスーパーやハイパーマーケットでしかレコード/CDを買えなくなったのです。売れるものしか置かないそういう店で並んでいる音楽ソフトを見たら,おのずとチョイスは貧困で,買うというよりは買わされるはめになり,買わされるのはTV広告で流されるメジャー商品ばかりということになります。さあ,この状況を作ったのは誰だ,とパトリック・マテは言っているわけです。
フランスのレコード事情。日本もいずれこうなる?
そしてもうひとつ、高橋健太郎さんのコラムには、毎回深く共感させられます。
MEMORY LAB:ようやく
こういうこと全てに僕はもうゲンナリしているわけで、疲れがドッと出たせいもあってか、こう思ったりもする。もういいっか。レコード買うのは。一生かかっても聞ききれない量のレコードは持っているわけだし、これからの余生は二十世紀音楽研究だけで十分につぶせる。新しい音楽が聞きたくなったら、自分で作ればいいだけ、とね。
* * *
「あのCD輸入規制問題は、われわれが音楽を聴くという行為、レコードを買うという行動の意味について、あらためて考えさせられるいいきっかけだったんだ」と、のちのち笑いながら言えるようになりたいものです。
2004 05 17 [face the music] | permalink Tweet
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comments
こんにちは。
今回のことでは、ほんとにそういうことを考えさせられますよね。
僕なんぞもまさに一生困らないだけの音源が手元にはあるし、
CD聴けなくなったって、アナログもあるし、
その分ライヴを見に行けばいいのだし
(高橋健太郎さんのように「自分で作る」のはちと無理かもですが)。
そこまで極端なこと言わないまでも、
仮にメジャーのレコード会社ががたついたところで、
世に素晴らしいレーベル(制作者)はいくらでもある。
確か萩原健太さんが書いてらしたと思うのですが、
音楽そのものはこんなことで消えるわけがないので。
なんだけど、しかし今回のことはあまりに目に余るから、
ナメんなよ、って意思表示ぐらいしないと、という感じですね。
えー、とりとめなくてすみません。
posted: beeswing (2004/05/17 13:32:56)
こんにちは、コメントありがとうございます。
>ナメんなよ、って意思表示ぐらいしないと、
一連の動きをひとことで言ってしまうと、まさしくそれですよね。
必要以上に悲観も楽観もしないけれども、「今後はアンタんトコとのおつきあいはよぉく考えさせてもらいまっせ」っていう一種の「覚悟」を、日本中の音楽ファンに植え付けたっていうのが一番大きいかも知れません。
>一生困らないだけの音源
beeswingさんちの古いCDは、まだちゃんと聴けてます?私の手持ちのも調べなきゃなんですが、なにしろ山を崩すのがメンドウだっていう…(苦笑)
それでなくても私の部屋は、カビの生えかけたLP・すっかりワカメになったカセットテープ・デッキが壊れたらハイさようならのbetaヴィデオ・プレイヤーのトレイが壊れたままのLD・ホコリをかぶったMDなどなど、ホントどーすんだよテメエ、っていうくらい種々雑多な「パッケージ」に占領されてます。嗚呼。
posted: とんがりやま (2004/05/18 0:15:52)
音楽とのつきあい方を突きつけられた点でまったく同感。それと「政治」との関りですね。否応なく関わらざるを得ないのが政治であることを改めてこれも突きつけられた。
それと、そう、音楽パッケージは結局「ゴミ」になっちゃう。本はもう絶対一生読まないとわかっていても、例えば子どもがふと手にとって読んだりしています。でも、目の前にある大量のLPには目もくれません。
posted: おおしま (2004/05/18 11:59:39)
コメントありがとうございます。
>目の前にある大量のLPには目もくれません。
そうなんですかぁ。LPにココロときめかせていた者としては寂しいですが、そのうち「シーディー? ナニそれェ」な世代も登場するんでしょうねえ。
音楽にかぎらず、人間の世代で2代か3代くらいは続いてくれないと、それを「文化」とは呼べないと思います。LPレコードはかろうじて「文化」だったかもしれないですが、CDにこの先未来がないとすれば、後の世からみれば「アレは単に時代の徒花だったのだ」とかいわれてしまいそうで、コワイですね。
それにしても、パッケージ=新しい規格が猛烈なスピードでゴミになっていく様は、離れて眺めたらグロテスクな「コマ落としギャグ」にしかみえないのがスゴイです。5年後にはどんな規格が主流になっていることやら、10年後にもまだDVDってあるんだろうかとか、いろいろ考えてしまいます。
「もっと良い技術を、もっとよい規格を」とみんなで頑張りすぎたおかげで、技術の進歩が普通の人間の生きるスピードを軽く抜き去ってしまったのが不幸のはじまりなんでしょうか。およそ100年前、レコード産業なるものが育ちはじめた頃には、まさかこんな結末になるとは誰も想像していなかったと思うんですが。
posted: とんがりやま (2004/05/19 15:26:16)