« 賃貸専門らしい。 | 最新記事 | [magazine]:季刊 本とコンピュータ »
9|11
あえて望んではいないにもかかわらず、歴史の瞬間に立ち会わざるを得なくなってしまったとき、ひとはどうするのだろうか?
●9・11 N.Y.同時多発テロ衝撃の真実
A Film By Jules & Gedeon Naudet And James Hanlon
パラマウント ホームエンタテイメント ジャパン
PDA-2000/2001年
本編128分、別にインタビューが53分収録されたDVDである。日本発売のこのディスクは、英語とポルトガル語の音声に、英語・ポルトガル語・スペイン語・韓国語・日本語の字幕が付く。
2001年9月11日の朝、兄弟の映画制作者ジュールとゲデオン・ノーデは、ニューヨーク市消防署の新人についてのドキュメンタリーを撮影中だった。空からの轟音に気づき、ジュールはカメラを頭上へと向けた。それが世界貿易センタービルに最初の旅客機が激突するのをとらえた、唯一の映像となったのである。(パッケージ裏面より)
正直、こういうビデオを観るのは辛い。最初に観たときは、一晩中眠れなかった。
ノーデ兄弟が撮りたかったのは、あくまでも新人消防士が一人前になるまでの物語、のはずだったのだ。フィルムは、だから「事件」のはるか以前から始まる。養成所での訓練と研修の日々。そんな中で、兄弟はドキュメンタリーの主題としてひとりの「主役」を選び出す。「ヒーローになりたくて」この職業を選んだというその若者は、名前をアントニオス・ベネタトス——トニーと言う。彼が配属された先が、WTCのすぐ近くにある消防署——第1はしご車隊と第7ポンプ車隊の本拠だったのだ。
トニーの初任給は2週間で672ドル25セント。命を賭ける職業にしては安いとも思うし、どの社会でも新人のあいだは厳しいのは共通なのかとも思う。
しかし配属されて以来、トニーはちっとも「現場」に向かえなかった。彼の勤務時間に限って、火事が起こらないのだ。自分が一人前であることを、なによりもまず自分自身に証明したいこの若者にとって、ある意味こちらの方が厳しかったかもしれない。もちろん、火事など起こらないで済むに限るのは、当然ではあるのだが。
そして「その日」の朝が明ける。天気は快晴。北西の風2.7メートル、湿度70%。気温は19度、予想最高気温は27度。いつもと変わらぬ一日が、今日も始まる。
午前8時半、ガス臭いという通報があり、消防士たちは出動する。現場に着いて検証をしていた最中の8時46分、異様に大きい飛行機の爆音が聞こえ、みんなが空を見上げたとき——惨劇が起こった。
それからあと、この作品に記録された出来事は、ここには書けない。「新人消防士の成長物語」というドキュメンタリー作品は、この瞬間に消し飛んだ(いや、厳密に言えばエピローグとして付け加えられているのだが)。かわりに、歴史に残る大事件を記録するノンフィクション作品が、生まれることになったのだ。
ヴィデオを見終わって、考える。たとえば自分が映像作家としてその場に居合わせていたら、どういう行動を取っただろうか?
ノーデ兄弟だって、この日の朝までは、作品に緊迫した「絵」も欲しいから、ちょっとは火事でもおこらないかなあ、とは心のどこかで思っていたという気がする。確かに不謹慎な話なのだが、気分としてはよくわかる。しかし現実に起こったことは、想像を遙かに超えた未曾有の大惨事だったのだ。
現場に駆けつけたすべての消防士にとっても、もちろんはじめての「仕事」である。どんなに規模が大きく人間の手に負えないと思っても、しかし彼ら消防士たちは見事にプロフェッショナルだった。そして、このふたりの映像作家もまた、とてつもなくプロフェッショナルだったのだ。
いや、プロだのなんだのという前に、とりあえず無我夢中だったろう。あとから冷静に振り返ったとき、彼らだってぞっとしたに違いない。よくあんな場所にまで足を踏み入れたな、と。
進行中の現場というのは情報が錯綜しかつ全体像が見えないから、かえって大胆に動き回れたとも言えるかもしれない。いずれにせよ、消防士達が最後までホースを離さなかったと同様、この兄弟もずっとカメラを構え続けていた。職業意識? いや、それはむしろ「何かせずにはいられない」という、身体の内側からの何者かに突き動かされた行動ではなかったか。それを本能と呼んでもいいのかも知れない。
確かなことは、彼らはカメラを放り出して一目散に逃げることをせず、その場に踏みとどまり、最後まで消防士たちと行動を共にしたという事実だ。彼らをしてそうさせた理由のひとつには、実は「新人消防士の密着取材」を行っていたそれまでの数ヶ月間にあったのではないか。文字通り寝食をともにしたそれまでの時間がなければ、ひょっとすると彼らだって真っ先に避難していたかも知れない。…いや、これ以上、分かったような言葉を重ねるのはよそう。「その場」にいた人たちの心など、そう簡単にわかるものではないし、また軽々しく分析するものでもないだろう。圧倒的な現実に立ち向かっていった人間たちがここにいた。それ以上、何を言うことがあるだろうか。
最後に、このとき命を落としたたくさんの消防士たちの写真が次々と写される。 Ronan Tynan が無伴奏で歌う『ダニー・ボーイ』がそのバックに流れ、ヴィデオは静かに終わる。
2004 09 11 [living in tradition] | permalink
Tweet
「living in tradition」カテゴリの記事
- みんぱくで見世物(2016.10.02)
- はつもうで(2016.01.02)
- さよなら、丸善京都店。(2005.08.14)
- おかえり、丸善京都店。(2015.08.21)
- 突然の閉館「京の道資料館」(2008.03.28)