『ブレーメン II』は『鉄腕アトム』である
川原泉『ブレーメン II』第5巻(白泉社ジェッツコミックス245 / ISBN4-592-13245-9 / 2004年10月刊 / カバーデザイン:mugen kanzaki)。え、まだ終わってなかったんだ。なんとなく中途半端な終わり方だなあとは思ってたものの、てっきり4巻までと勘違いしてました。今度こそ最終巻のようだけど、なにせ第1巻が出たのが2000年、第4巻でさえ2002年末の出版だから、ストーリィの細部などすっかり忘れている。で、改めて最初から読み直してみました。
*****
よく指摘されていることだと思うが、川原泉は少年マンガ好きである。この人の代表作をひとつだけ挙げるとすればおそらく『笑う大天使(ミカエル)』で決まりだろうが、これに突然「北斗の拳」のケンシロウ(の模写)が出てきた時には大笑いした。この作品には他にも、主人公たちがいきなり鉄腕アトムや超人ロックやウルトラマンと化して、ぼろぼろ泣きながらええじゃないかを踊り狂うというシュールなシーンもある。さらに主役のひとりは『ベルばら』を知らず、「オスカル様」を「あらいぐまラスカル」と混同しているのである。
そういえば『甲子園の空に笑え!』には「巨人の星」が出てくるし、また芸の細かいところではいしいひさいち風ヒロオカ監督のカットも出てきたはずだ。
それから、これもまたよく言われていると思うけれど、川原マンガの特徴である膨大な情報量の詰め込みは、青年コミックの主要ジャンルである「蘊蓄マンガ」を思わせる。この人は、できることなら青年誌に描きたかったんじゃないんだろうか。
さて、『ブレーメン II』はSF冒険ファンタジーである(旧作『アンドロイドはミスティ・ブルーの夢を見るか?』の設定をほぼそのまま引き継いでいる)。西暦2306年、銀河連邦一のスーパー宇宙飛行士キラ・ナルセと、遺伝子工学とバイオテクノロジーによって創り出された働く動物たち「ブレーメンズ」が、最新鋭の宇宙輸送船に乗って大宇宙を飛び回るというおはなし。「ブレーメンのおんがくたい」にはじまって「ジャックと豆の木」「やぎさんゆうびん」「イザナギとイザナミ」「不思議の国のアリス」などの有名な童話・昔話のタイトルと骨子を借りて、怪物退治から決死の救助作戦まで、「スタートレック」ばりのさまざまなエピソードが展開する。もちろん、川原マンガの真骨頂である蘊蓄も、宇宙物理学から風水までたっぷりてんこ盛りだ。そうそう、骨子を借りると言えば、突然いしいひさいちの名作「地底人」シリーズのパロディが出てきて笑わせる。この人ホントに好きなんだねえ。
ところで、川原マンガの主人公といえばどこか世間とズレていて、のんき者というか世渡り下手というか、社会との折り合いをつけるにはちょっと不器用、というキャラクターが多い。そのかわり、黙々と努力することにかけてはそれはもう愚直という表現がぴったりするぐらい、けなげだったりするのである(そのくせ、実は勉強が上手だったり才能が人並み以上にあったりするのがいかにもカーラ教授的なのだけど)。
どこまで作者自身が反映されているのかは知らないが、やっぱり川原泉その人も、どこか愚直でけなげで、同時にあまり器用ではないんだろうなあと思ってしまう(たぶん勉強だって上手だったはずだ)。
もともとこの人の描く登場人物は時に判別が難しいくらい皆同じような顔で、捨てキャラになると今度は別人が描いたんじゃないかと思うくらい全くタッチが変わったりする。圧倒的な画力で大向こうを唸らせるようなタイプとは正反対の作家だ。『ブレーメン II』ではその傾向が特に顕著で、舞台が宇宙だからロケットだの宇宙ステーションだのといったシーンがたくさん出てくるのだが、律儀に定規を使ってキレイに作図された宇宙船は、しかしながらとんでもなく無機質で、マンガ表現と呼ぶにはちょっと躊躇してしまいたくなるような描線だったりするのだ。第1巻の冒頭、主人公達が乗り込む宇宙貨物船が見開きで大きく描かれるのだが、それを見た時は「川原泉はいったいどうしちゃったんだ〜」と思わず叫んでしまったくらいだ。まあ、今となっては慣れてしまいましたが。
それにしても、今どきかなり正統派の冒険ファンタジーである。もちろん、作者の好みを反映してRPGの要素もふんだんだ。それだけでもじゅうぶん古典的だし、またヒーローとヒロインのラブロマンスが省かれるなどある意味相当にストイックなのだが、それにもまして重要なのは、この作品を貫くテーマだろう。
先に書いたように、『ブレーメン II』のいちおうの主人公はキラ・ナルセである。若い女性だが、百戦錬磨で銀河連邦最高クラスのパイロットであり、史上最年少で念願の「船長」の座を得たエリートでもある。しかし、ドラマを受け持つ本当の主役は、彼女の部下である大勢の動物たち、すなわち「ブレーメンズ」である。身体は科学的な処置により人間並みの知能を授けられ、人間と同じ仕事をこなし、しかも彼ら彼女らは私利私欲もなければ他人を騙して出し抜こうというふうなズルさを一切持ち合わせていない。とことん善良で愚直でけなげで、という点で、彼らこそまさしく川原マンガの正統キャラクターなのである(本作品中、唯一屈折したキャラクターの持ち主は、おそらくキラ・ナルセの会社の社長であるナッシュ・オリジナルだろう。もっとも、彼とて凄腕のビジネスマンにしてはとんでもなく善良で屈託がないのだが)。
人間の手によって創り出され、人間ではないけれども人間並みかそれ以上の能力を持ち、人間と同じように泣き笑いし、けれども人間達からは人間じゃないという理由だけで人間以下の扱いしか受けられず、人間が避けたがる過酷な労働を引き受けているにもかかわらず冷たい偏見の眼に晒され、それでも人間たちを愛して止まない——と書くとわかりやすいかもしれない。そう、彼ら「ブレーメンズ」はそのまんま『鉄腕アトム』なのだった(人語を解する動物なら『ジャングル大帝レオ』かもしれないが、人間が造ったもの故に人間に疎まれるという点では、やはり『アトム』でしょう)。ロボットであるが故の言われなき差別や偏見に苦しみ、悩み、戦っていた手塚マンガ最大のスーパー・ヒーローは、川原泉の中でこうして生き続けている。そういう風に、私はこの作品を読んだ。
第5巻の最終話、ある星で奴隷のように扱われていたブレーメンズを救うために、キラはもちろんそれまでの登場人物たちが銀河の各地で一斉に立ち上がる。物語はもちろんハッピーエンドで終わるのだが、これほどまでにストレートな昔ながらの「少年マンガ」は、今や本家本元の少年誌にさえ見られないのではないか。このあたり、メルヘンをメルヘンのままで完結させられるのは、もしかすると少女マンガの特権なのかもしれないが、それにしたって今の時代のマンガとしてあまりにクラシカルで屈折がない。善良で愚直でけなげで、けれどもどこか不器用で、というのはなにも登場人物のキャラクター設定だけの話ではなく、ここではテーマやストーリィまで及び、これまでの川原マンガ以上に作者自身をそのままストレートに映し出しているのである。
「少年マンガ」読みだった川原泉は、やはりとことん「少年マンガ」好きで、しかもここでは「少年マンガ」のエッセンスとも言うべき「手塚マンガ」が多量にふりかけられているのであった。ま、とは言えそこは川原泉。少々バニラ味のエッセンスではあるのだけれど。
ところで、いま『鉄腕アトム』を語るなら、浦沢直樹の『PLUTO』に触れないわけにはいかないだろう。つい先日、大々的なプロモーションのもとに第1巻が出たばかりだが、そちらについては機会があればまたいずれ。
2004 10 02 [booklearning] | permalink
Tweet
「booklearning」カテゴリの記事
- 中川学さんのトークイベント(2018.07.16)
- 《モダン・エイジの芸術史》参考文献(2009.08.09)
- ある日の本棚・2015(2015.11.28)
- 1913(2015.02.22)
- [Book]ロトチェンコとソヴィエト文化の建設(2015.01.12)