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それまで持つのか、知りませんが。

 ITmediaライフスタイルで、10月半ばから約1ヶ月間にわたって断続的に掲載されていた興味深い対談が、先日最終回を迎えました。
 
特集:私的複製はどこへいく? 対談 小寺信良×津田大介
(1)——「CCCDはみんながやめたいと思っていた」
(2)——音楽ファンとレコード会社の“思い”は、なぜすれ違うのか
(3)——コンテンツ業界は今、なにをするべきか
(最終回)——著作権問題に、解決の糸口はあるか?
 
 とても面白い対談なので、ぜひご一読を(ま、あちこちのブログでとっくに話題になってるので、ナニを今更なネタかも、ですが)。
 以下、対談を読んで思ったことをつらつらと。

 
 ここで語られている問題をひどく大ざっぱに言い換えてしまえば、旧弊のビジネスモデルから脱却できないという点で、これもまた「バブルの後遺症」ということになるのかもしれません。金融業界の再編や、有名企業の相次ぐ不祥事発覚などとも、あるいはいまだ先行き不透明なプロ野球業界とも、たぶん根っこの部分では同じでしょう。何十年かのちの日本史の教科書には、おそらく「21世紀初頭の日本は経済界からサービス産業・スポーツ界まで、あらゆる業界がその形態の再編成と再構築を余儀なくされた」などと書かれていると思います。
 そういう意味で言うと、まだ未整理な(つまり火ダネになりそうな)「業界」って、あとどこが残っているのかな? どこか大手広告代理店あたり、そろそろ持ちこたえられなくなりそうなものなんだけど(中小規模の印刷会社や代理店の倒産はずっと以前から続いてますが)。
 
 
 ところで、最終回の3ページ目に<日本人は、デジタル技術に「憶病」>という小見出しがあります。より正確に言うなら、これは「技術に」というより、「技術がもたらす変革の急激さ」に臆病になっているんだと思います。そうでなくとも、不景気なときにはひとは保守的になりがちです。今は、バブル時代にめいっぱい拡張した既得権益を死守するのが精一杯で、新しい技術をスマートに使いこなす余裕などなく、その技術をもっぱら保身のために使おうとしているのでしょう。CCCDに代表されるコピープロテクトがその具体例で、なにしろ発想の基点が企業の保身なのだから、それはユーザー側から眺めれば非常に奇妙な光景に映るのもあたりまえでしょう。
 同じ最新技術でも、かつて『JAPAN as No.1』などと叫ばれていた頃の日本人なら、もっと強気でかっこいい使い方をしていたんじゃないかと思うんですね。まさに貧すれば緞子、じゃなかった「貧すれば鈍す」ってぇヤツを地で行っているのが現在の「技術立国ニッポン」なんではないかと。
 
 
 社会人になりたてとバブル経済の膨れあがりがちょうど重なり、若さと金の両方を武器にして思う存分イケイケだった連中が、現在も会社員を続けているならば、そろそろ組織の中で管理される側から管理する側になっていることでしょう。プロ野球の、球団オーナー達の相次ぐ辞任騒ぎの前後に「老害」なんてコトバを各種メディアで聞きましたが、それよりも、いま部下の企画に対してGOサインを出す/出さないを現場で判断しているのは「バブルの春をもっとも謳歌した世代」っていうのが、そもそもの話とてもビミョーな気がします。
 
 今後、バブル期の記憶が比較的希薄な、若い体質の企業なり業界なりが<出る杭は打たれ>ながらも少しずつ出てくるようになれば、日本の風景もちょっとは変わるかもしれません。
 
 それまで持つのかどうか、知りませんが。
 

2004 11 13 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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