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[exhibition]:痕跡〜TRACES

 

Traces

 
 面白かった。
 

 
  
●痕跡 ——戦後美術における身体と思考
 TRACES Body and Idea in Contemporary Art
 
 2004年11月9日〜12月19日 京都国立近代美術館
 2005年1月12日〜2月27日  東京国立近代美術館
 
 主催:京都国立近代美術館、東京国立近代美術館
 カタログデザイン:宮谷一款(株式会社エヌ・シー・ピー)
 ISBN4-87642-173-0
 
 京都展はもうすぐ終了なので、気になる方は東京展へどうぞ。かわりに京都は、来年の草間彌生展(1月6日〜2月13日)がものすごく楽しみです。
 と、そんなことはともかく、この「痕跡」展。地味な内容かなぁ、などとほとんど期待せずに行ったのがかえって良かったのかどうか、非常に見応えのある展覧会でした。
 
 カンバスに向かって、ジャクソン・ポロックが絵の具をひたすら垂らし、あるいはフォンタナがナイフで切り裂いた戦後美術。その流れを、「痕跡」という切り口で追いかけてみよう、という企画です。
 あらかじめ8つのキーワードが用意してあって、順に「表面ーSURFACE」「行為ーACTION」「身体ーBODY」「物質ーMATERIAL」「破壊ーDESTRUCTION」「転写ーTRANSFAR」「時間ーTIME」「思考ーIDEA」となっているけれど、もちろんそれぞれの作品がひとつのキーワードだけで語り尽くせるものではなく、展示されたどの作品だって以上の8つの要素をすべて備えているでしょう。だからこの分類はあくまで便宜上のものでしかありえません。
 
 
 「絵画はいったい何を描いているのか」を問いかけたのが近代絵画で、結局のところ我々が描いているのは「絵」なんだ、というふうな結論に至ったわけですが、その「答え」を律儀に、しかし極端に拡大してみせたのが、とりあえずは「現代美術」のスタートだった、という理解では乱暴すぎるでしょうか。本展第一部「表面」に飾られている作品群をずっと見ていると、絵画とは「絵の具と支持体(カンバスとかパネルとか)が絵筆もしくはペインティング・ナイフによって出会う事件」以外のなにものでもないこと、と宣言しているように思えます。それは、アイロンとコウモリ傘が手術台の上で出会うほどにはセンセーショナルではないかもしれませんが、アタマのなかだけで考えられたものではない、つまり作家の「行為」と、行為を行うための「身体」と、絵の具や支持体という「物質」と、カンバスを切り裂いたり絵の具をぶちまけたりするという「破壊」と、そうした行為の経過が残されたという意味での「時間」と、行為がカンバス上に「転写」されたという事実と、そしてそんなことを思いついてしまう「思考」が、結果として「表面」にあらわれている…あ、これで8つのキーワードを全て語ってしまったことになるな(笑)。
 
 ダダイストがどれだけ絵画を否定しようとも、絵描きってのは自分のカラダを動かさないことにはナットクしないもの、なんでしょう。だからデュシャン以後も絵画は絵画であり続けます。自分の身体のおなかを剃刀で傷つけ、流れ出る血をもって「作品」だと言い張る「画家」が出現(1975年、マリーナ・アブラモヴィッチ)し、そうかと思えば自動車のタイヤに絵の具を付けて紙の上を走らせ、それをそのまま「作品」として提示(1953年、ロバート・ラウシェンバーグ+ジョン・ケージ)したり、さらには京都市内の公衆電話ボックスから見える光景を、手当たり次第に口頭で実況するという「現代美術」まであらわれる(1970ー1976、野村仁)。いやあ、これらを面白いと言わずして、いったいナニを面白いと言うか、でしょう。
 
 というわけで、ハプニングの時代を含む「現代ゲージュツ」の歴史が存分に堪能できる展覧会でしたが、大いなる不満がひとつ。
 第一部をはじめとしてほとんどの作品に共通するのが「魅力的なマテリアル」なんですが、やっぱ作品に手を触れてはいけないんですかねえ。絵の具の過剰すぎる盛り上がりや疾走あるいは迷走する絵筆の痕を、ぜひ触って自分でも追体験したい欲求に、会場にいるあいだしきりに駆られておりました。監視員の眼が光っているのでおとなしく腕組みなどして眺めておりましたが、こういう作品って、触ってみたくなりますよねえ。
 それと、作家がこれだけカラダを張って作品つくってるんだから、観る方だって全身で受け止めたいもの。思わず爆笑したい「作品」もたくさんあったんですが、美術館ってどうして観客に「厳粛な態度」を暗に求めてるんでしょう。「ぐはははは」でも、あるいは「うぎゃあなんじゃこりゃああ」でもいいから、ともかくそういうダイレクトな「身体反応」を、現代美術の作家はもっとも欲しがっているんじゃないんでしょうかしらん…ああ、フラストレーションがぁぁっっ。
 
 

2004 12 16 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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