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Värttinä聴きまくりっ!(6)
【もくじ】
◆Värttinä聴きまくりっ!(1)
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◆Värttinä聴きまくりっ!(4)
◆Värttinä聴きまくりっ!(5)
ところで、ノルウェイ人/フィンランド人混成でスウェーデンを拠点とする ヘドニンガルナ HEDNINGARNA というロックバンドに、『KARELIA VISA』というアルバムがあった(1999年、邦盤『ヘドニンガルナ●IV』 MAR99502/ベル・アンティーク)。ブックレットにはカレリアで撮影されたとおぼしい美しい写真が満載で、もちろん音楽のほうもカレリアの伝承音楽をモチーフにした力強いものだ。
「カレリア」という土地が、フィンランドの人たちにとってどういう存在なのか。この点については、私自身がよく理解していないこともあって、ここまでわざと触れてこなかった。ヴァルティナを結成したカーシネン姉妹(とその母親)がカレリアの人であり、ヴァルティナがカレリア伝承音楽をロックのイディオムに載せることによってワールドワイドな支持を得たことは事実だが、そもそもの出発点となった「カレリア」とはどういう土地なのだろう。いい機会だから、軽くお勉強してみよう。
いくぶん古い資料だが、平凡社の『ロシア・ソ連を知る事典』(1997年増補版)によれば、ロシア領カレリア(カレリア自治共和国)の項にはこうある。
(前略)1940年から56年の間はソ連邦構成共和国でカレロ・フィン Karelo-Fin 共和国と称していた. 面積17万2400平方km2, 人口79万2000(1989). このうちカレリア人11.1%, フィンランド人2.7%, ロシア人が71.3%を占める(1983年).
(中略)
カレリア人はフィンランド人と人種も言語(カレリア語)も同類であるが、スウェーデン, ロシア二大勢力の対立の中で, フィンランドがスウェーデンに支配されたのに対し, カレリアはロシア領に属していたことが, 両族の運命を別なものにした. (後略)(127〜128ページ)
一方、フィンランド政府観光局のサイトではカレリアの歴史をこう記述している。
カレリア地方の歴史はまさに波乱万丈である。カレリア地方に人々が定住し始めたのは9世紀前半だといわれる。その後12世紀には東西の宗教戦争に巻き込まれ、カレリア地方は戦場と化す事になる。更に16世紀にはロシアとスウェーデンの領土侵略戦争でカレリアの領土は9回に渡り境界線が引き換えられたのだ。 1917年にフィンランドは独立したが、最終的にロシアとカレリアの境界が確立したのはたった50年前のことだ。(後略)
次いで、上の『KARELIA VISA』に附された内田哲雄さんの解説を引用させていただく。これは1999年に書かれた文章である。
(前略)カレリア地方はフィンランド東部とロシアの国境に位置し、ロシア(ソ連)とドイツの軋轢の板挟みとなり、常に苦しい立場に置かれていた。1940年代にこの地はフィンランドがドイツと協定を結んだことに端を発してソ連軍の猛攻を受け、戦乱の影響で多くの難民を生んだという。その後の休戦によってフィンランドはカレリア地方をソ連(現ロシア)に譲渡することを余儀なくされるのだが、それでもカレリアの人々の魂は故郷フィンランドにあった。
カレリア周辺の国境線は何度も変わっており、フィンランド領とロシア領を行ったり来たりしていた。フィンランドに移住した人も少なくなかっただろう。そして、もちろんサリ・カーシネンはフィンランド側に生まれ育った人である。
そして、民族的叙事詩カレヴァラ(カレワラ)。これは医師/フィンランド語学者のエリアス・リョンロート(レンロートとも表記)がカレリア地方の口承の物語を採集・復元して1835年に出版したもので、フィンランド近代文学の出発点でもあり当時のフィンランド独立運動の精神的支柱ともなった重要な作品だ(フィンランドの完全独立は1917年12月)。サリ・カーシネン、そしてヴァルティナの歌う歌詞は、その多くがカレヴァラに典拠しているんだそうだ。
さて、現在のカレリアはどうなんだろう。国際ニュースなどではついぞ聞かないので、例によってネットをうろうろしてみると、こういう記事がヒットした。
ロシアの Putin 大統領がフィンランドを訪問していて,9時半から大統領官邸の庭と官邸前の道路で,歓迎の式典が行われました。
(中略)
テレビの画面に 「ロシアはフィンランドから出ていけ」 という英語のプラカードが写りました。もちろん 「カレリアをフィンランドに返還せよ」 という意味です。現在,フィンランド国内にロシア軍の基地があるわけではありません。
Putin は,ペテルブルクの出身なので,フィンランドの政治家や財界人には知り合いも多いようです。カレリアに夏の別荘をもっているそうで,「カレリアを返せ」 というプラカードは解釈によっては意味深長といえます (^^)
(松村一登のホームページ:Kazuto's What's New 2001 (Archive)より、2001/09/03 (2)の項)
あるいは、広島大学の浅野晃助教授によるこういうレポートも。
(前略)この歴史のため,両隣の大国に対する感情は複雑で,大学の掲示板にスウェーデンを消して海にした地図が貼ってあったり,またソ連に割譲したカレリア地方の返還運動が現在もあります.しかし,同時にこの両国は最大の貿易相手国です.また,フィンランド軍の装備は自国製,ロシア製,スウェーデン製,アメリカ製などが混じりあっていて,スウェーデン製の機関銃をのせたロシア製の戦車もあるそうです.このあたりが,大国の狭間で生きる小国のしたたかさのようです.(浅野 晃の私的ウェブサイト:Suomen kieli - フィンランド語:フィンランドのいろいろ:森と湖と携帯電話の国で〜フィンランド滞在記(1995年))
凄惨な戦争状態になっているわけではない、しかし、全くの平穏でもない、といったところか。いずれにせよ、こういう機微は我々にはなかなか難しい面があるし、すっぱりと割り切れる問題でもないのだろう。
ということで、今日は世界史のお勉強をしているだけで力尽きた(笑)。ディスク紹介はまた明日。(以下、続きます)
2005 01 18 [face the music] | permalink
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