« Värttinä聴きまくりっ!(7) | 最新記事 | Värttinä聴きまくりっ!(9) »
Värttinä聴きまくりっ!(8)
【もくじ】
◆Värttinä聴きまくりっ!(1)
◆Värttinä聴きまくりっ!(2)
◆Värttinä聴きまくりっ!(3)
◆Värttinä聴きまくりっ!(4)
◆Värttinä聴きまくりっ!(5)
◆Värttinä聴きまくりっ!(6)
◆Värttinä聴きまくりっ!(7)
●Sari Kaasinen / emo
WPCR-5306/1998年
ワーナーミュージック・ジャパン
ヴァルティナとは別の道を歩むことになったサリ・カーシネンだが、レコーディング活動はコンスタントに続く。シルマッカとして2枚目のアルバムを出した2年後、今度はソロ・アルバムを制作している(ああ、この頃はサリのソロ作までも日本盤が出ていたんだなあ)。
ブックレットには [ emo, the hybrid of ancient and modern ] とある。タイトルの「emo」とは「母」の意味だそうで、彼女の母親から伝統音楽を教わった(サリの言葉によれば「ヴァルティナは実は私の母が結成したバンド」)こと、そして今や彼女自身が母親でもあり、次世代を育てていく立場になったこと、そんな思いが詰まったようなタイトルだ。
全曲オリジナルで、楽曲もサウンド・プロダクションもかなりノーマルな(という言い方はヘンかな)北欧ポップスだ。伝承だとか何だとかをことさらに意識しない、等身大の現在の自分を素直に表現してみた、という感じ。もちろん、サリ・カーシネンならではの個性もたっぷり含まれているし、ヴァルティナ〜シルマッカのようなスリリングなスピード感も健在。しかし、もっと大らかな、いわば「母性」とでも言うべきものに全体がくるまれている、そんな気がする。洗いたての毛布のような手触り…とでも言おうか。
発売当時、ヘビー・ローテーション・アルバムだった。今聴き直しても、やっぱり傑作だと思う。
●ILMATAR
BVCF-31059/2000年
BMGファンハウス
ヴァルティナ通算8作目。この年、ヴァルティナは3度目の来日を果たす(今はなき、お台場のトリビュート・トゥ・ザ・ラブ・ジェネレーション)。グローバルな“ワールドミュージック”ぽさを強く押し出した前作『Vihma』に比べ、より素直な音づくりに好感が持てる。全11曲のうち6曲がトラッドをベースにしていることも関係しているかもしれない(ちなみに前作ではわずか1曲だけだった)。もっとも、そのぶん大向こう受けするようなド派手さはなくなったわけだが。
それでも、相変わらずヴァルティナ節は健在。だが、いくぶん手触りが硬質になってきているようにも感じられる。それが、『Vihma』という過激な実験を一回経由したからなのか、あるいはサリ・カーシネンという一方の柱がいなくなったことに由来するものなのか、そのへんは分からない。ただ『Vihma』を抜きにして『kokko』とこのアルバムを聴き比べてみても、質感の違いは明らかだ。タイトに引き締まった筋肉質な感じとでも言おうか。
例えば [06] 「Äijö 気まぐれじじい」のような呪術的で重厚なナンバーというのは、以前のヴァルティナには見あたらなかった要素だ。メンバーももう以前のように、ユーモラスに青春を肯定するだけの年齢ではなくなってきたのか。あるいはこの地球上から、邪気の無さを許容できるほどの余裕が、世紀をまたぐ頃から徐々に失われつつあるということなのかもしれない。「父も、たったひとりの兄弟も、みんな海が奪い去ってしまった」という内容の [11]「Meri 海」の哀しい響き、特にあいだにインサートされる泣き女(?)のつぶやき——1959年にハンガリーで録音されたものだという——は、大津波の直後のいま聴くには、つらすぎる。(以下、続きます)
2005 01 20 [face the music] | permalink
Tweet
「face the music」カテゴリの記事
- ブルガリアン・ヴォイスにくらくら(2018.01.28)
- 55年目のThe Chieftains(2017.11.25)
- blast meets disney!(2016.09.11)
- ホールに響く聲明(2014.11.01)
- YYSB2014『展覧会の絵』『新世界より』(2014.06.29)