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[exhibition]:草間彌生展

この展覧会は2004年10月から2005年10月までの一年あまりをかけて、日本国内の5つの会場を巡回する大規模なものだ。
東京国立近代美術館/2004年10月26日〜12月19日
●草間彌生ー永遠の現在
京都国立近代美術館/2005年1月6日〜2月13日
●草間彌生ー魂を燃やす8つの空間
広島市現代美術館/2005年2月22日〜4月17日
●草間彌生ー無限の大海をいく時
熊本市現代美術館/2005年4月29日〜7月3日
●草間彌生ー魂のおきどころ
松本市美術館/2005年7月30日〜10月10日
このうち東京展と京都展は同じ副題なので同内容だろうと推察できるのだけれど、広島以降は全て副題が変わる。それに伴い出展内容にも変化があるのかどうか、あるいは現在進行形で変容していくこともあるだろうから、熱心なファンなら全国を駆け回るのではないだろうか。で、とりあえず私は京都展を観てきた。
草間彌生をひとことでいうと、芸術家である。何をいまさらと言われそうだが、他にふさわしい称号など見あたらないのだからしょうがない。間違ってもテレビのバラエティ番組でニコニコ愛嬌を振りまくような「アーティストもどき」ではないことは誰しも認めることだろうが、もちろんそれだけではない。創り出す作品のどれもが、作家の内側からの止むに止まれぬ要請のもとに突き動かされるように迸り出たナニモノカであり、そこに「ナントカ流派」も「ナニナニ主義」もあるいは「損得勘定」も入る余地のない、まったくのオリジナリティに貫かれているからこその芸術家、である。かつて<ナンバーワンよりオンリーワン>みたいな歌が流行ったことがあったが、草間彌生を見ているとまさしくこの人こそオンリーワン、草間彌生以外のなにものでもないなと思う。
よく知られているように草間彌生の創作の源流には、物心がつくころ以来彼女をずっと支配してきた精神のはたらきがある。それを「病」と言っていいものかどうかは私にはわからないが(自ら公表しているところによると、統合失調症と躁鬱の感情障害が合併した「非定型精神病」という診断をされている)、余人には見えぬものを観、あるいは聴き続けてきたからこその作品群であり、そのことは展覧会場に一歩足を踏み入れたとたんに誰しも了解することだろう。じっさいこのひとの作品は、たとえそれがカンバスに描かれた絵であっても、たんに「絵を観る」だけでは終わらない。全感覚を総動員して「感じる」あるいは「体験する」ようにつくられているから、印刷物などの複製と実物との間にこれほど決定的な落差があるものなのか、とあらためて愕然としてしまう。
無限に増殖する異様な突起物や無数のミラーボールに囲まれていると、あるいは多角形の鏡の部屋にひとり立っていると、そのことが特によくわかる。草間彌生の作品はなによりもまず「体験する=全身をフルに使って受け止める」べきものなのだ。
ちょっと上手く言葉にできにくいのだが、絶え間ない自己消滅願望とも戦いながら制作を続ける草間彌生を観ていると、あぁこのひとがこの世にいてくれてよかった、と思うときがある。じっさいのところ「このひとによって救われた」という人は案外多いんじゃないかという気がする(「キモチワルイ」という反応を示す人も同じくらい多いとは思うけれど)。「魂の救済」と書いてしまうとなんだか宗教じみてくるのだが、しかし、もし仮に芸術が人類にとって有用であるとするならば、宗教とは別の論理で悩める魂を救済しようとするはたらきをこそ認めないわけにはいかないのではないか。そして草間彌生こそは、そんな救済をもたらしてくれる希少な作家なんだと思うのだ。
2005 02 07 [design conscious] | permalink
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comments
何年も前に東京都現代美術館の「草間彌生展」(+「荒木経惟展」)で彼女のドットの作品群を観て、酔って気持ち悪くなったのを思い出しました。三半規管が狂ったようで。
作品はそんなに好きじゃないけど、本人自体-特にその人の作る姿勢-に惹かれる芸術家・作家に美術館などで時々行き当たることがあって、草間彌生は私にとってはそんな匂いがします。作品から目を逸らすというのは邪道なことだとは思いますが。
(ちなみに「荒木経惟展」ではほとんどポルノなビデオが流れる中、親子連れの幼児や児童が走り回ったりうろうろしたりしており、「やっぱ東京ってすげえ所だな」と思いました。)
posted: liyehuku (2005/02/10 12:17:34)
コメントありがとうございます。
>作品から目を逸らすというのは邪道なことだとは思いますが。
いえいえ、そのへん、わかるような気がします。同時に、それでも見ずにはおれない、というか魅入られてしまう力を持っている作品群ではないかとも思いますが。
>ちなみに「荒木経惟展」ではほとんどポルノなビデオが流れる中
あはは。かつては裸婦画の下半分がシーツで隠されていた時代だってあったんですよねえ。
posted: とんがりやま (2005/02/10 21:00:57)
案外、自己消滅願望の実現として制作行為があるような気がしてなりません。そんなふうに感じました。
posted: kiku (2005/02/12 23:53:38)
コメントありがとうございます。
もうかなりのご高齢と言っていいと思いますが、作品だけを観ていると年齢をまったく感じさせない、というかそんなことを考えるスキを与えませんね。私は、近年になればなるほど創作がどんどん若くなっているようにも感じてしまいました。
そういえば、聞くところによると、京都展は当初予想の倍、のべ3万人近い観客を集めたらしいです。10月までの残り3会場も、どこも盛況になるんじゃないかと思います。
posted: とんがりやま (2005/02/13 21:10:10)