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これでフィレンツェがよくわかる…ワケはない
●フィレンツェ 〜芸術都市の誕生展
[東京展]
2004年10月23日〜12月19日
東京都美術館
[京都展]
2005年1月29日〜4月10日
京都市美術館
総監修:Antonio Paolucci
企画構成・監修:Maria Sframeli
カタログ/デザイン:笠原麻里苗
発 行:日本経済新聞社(2004年10月刊)
[東京展]
2004年10月23日〜12月19日
東京都美術館
[京都展]
2005年1月29日〜4月10日
京都市美術館
総監修:Antonio Paolucci
企画構成・監修:Maria Sframeli
カタログ/デザイン:笠原麻里苗
発 行:日本経済新聞社(2004年10月刊)
京都とフィレンツェが姉妹都市を提携して、今年40周年を迎えるのだそうだ。その記念事業として、同展覧会のほかにも講演会やセミナーやコンサートなどさまざまなイヴェントが、いま京都市内で行われている(詳細はフィレンツェ/トスカーナプロジェクト 2004-2005参照)。(←とリンクしておきながら言うのもなんだけど、このサイト、もうイヴェントは始まっているのに(案)ってどうよ(笑)。というか、日本経済新聞社のサイトではきちんと宣伝してるのに、共同主催者でもあるはずの京都市美術館のやる気のなさが面白すぎ。そんなにどーでもいい催しなのかねえ。だったら姉妹都市の提携なんて解消すればぁ?<京都市)
…とまあ、京都市および京都市美術館のダメダメぶりはどうでもいいんだけど(東京展先行ということは、京都単独では収支合わないんだろうなあ、きっと予算が出なかったんだろうなあ、とか、いろいろ裏事情を邪推できる楽しみもあるワケですが(爆))、展覧会そのものも、なんだか中途半端な印象だった。
14世紀から16世紀にかけて職人たちの技と創造性を礎に、見事に花開いた芸術の誕生の過程と、こうした芸術と密接に結びついて、生き生きと展開したフィレンツェの生活スタイルを検証しようというものです。(NIKKEI EVENTS GUIDE)
というコンセプトのもと、フィレンツェという街がもっとも光り輝いていた14〜16世紀に焦点を合わせたこの展覧会は、「都市」「絵画」「彫刻」「金工」「建築と居住文化」「織物」「医学・科学」という6つのセクションから成っている。のではあるけれど、どの展示もフィレンツェの全体像を具体的に提示するほどではなく、この街の歴史的光景をイメージさせるにはあまりにも断片的ではないかと思った。特に<生き生きと展開したフィレンツェの生活スタイル>など、全然見えてこない。なんというか、そもそもの初めから「みなさまご存じのあのフィレンツェですよ」的ニオイがぷんぷんしていて、ちょっと困ってしまったのだ。いやあの、フィレンツェったって、日本にゃな〜んにも知らない人だってたくさんいると思うんですけど。
たとえば入場してすぐの「都市」。まず目にはいるのが「フィレンツェ市の百合の紋章」で、13世紀末から14世紀はじめごろのものだという。さすがに年期の入った風格あるレリーフで、これには思わず見入ってしまった。で、さて「都市」という章題がついてるからには、この街の成立事情だとか都市計画的な展示が続くのかなと思ったらさにあらず。左側に今回の展覧会のために新たに修復されたという「『神曲』の詩人ダンテ」のテンペラ画(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)が大きくそびえ、以下ペトラルカ、ボッカチオという、14世紀ごろのフィレンツェ文化に大きく寄与した文人の肖像画が続く。が、それだけ。「コレがダレであるのか」「どーゆーヒトであるのか」などは脇の解説パネルをじっくり読まなければ理解できないのはまあしょうがないとしても、そこから先は各自自習せよ、ということなのかしら(そう思ってカタログを買って帰っていま眺めているんだけど、これまたよほど本気になってかからないと歯が立たない)。その隣には、唐突に当時の金貨や両替商の看板が並んでいて、経済的に豊かな都市だったということが言いたいんだろうけれど、で、それで? なのである。
どうもそれぞれの出品作が単発すぎて、収拾がつかないというか未消化のままで終わってるというか、どうにも宙ぶらりん。まあ今思えば、オプションの音声ガイドを借りればあるいはもう少し親切に解説してくれたんだろうな、とは思うけど。で、そんなこんなで「都市」の章、おしまい。いったい、これだけでどう<フィレンツェという都市>をイメージせよと言うのだろう。
他のコーナーも、まぁ似たようなものだ。「絵画」ではボッティチェッリが見られるとか、「彫刻」ではミケランジェロ作と言われている「磔刑のキリスト」(これはとても美しかった)だとか、それぞれ目玉というか見応えのあるものもあるけれど、それぞれが点でとどまっているのが惜しまれる。点が線になり立体になって、おぼろげながらも各鑑賞者の頭に「フィレンツェ」という像が結べるようにならなければ、わざわざ<芸術都市の誕生>と銘打っているからにはコンセプトとしてはマズいんじゃないだろうか。
別に観光案内をせよと言っているワケではない。けれどもここが歴史的な都市であり、かつそこが最大のウリである以上、つまり現在<観光都市>として食っている以上、「フィレンツェという街」を見せる展覧会ならば、ある程度「観光案内」的な内容ともかぶってしまうのは仕方がないのではないか(逆に言えば、フィレンツェに住んだことがあるとか、何度も旅行に行ってるとかのプロパーな方には、それなりに興味深くかつ楽しめる展覧会かもしれない。今さらフィレンツェのイロハを教えてもらわなくとも、そういう方にはそれぞれ予備知識やら思い入れやら自前のイメージがあるだろうから、比較的スムーズに展示内容に入っていけるかも)。
まあ、この展覧会をいちばん単純に楽しむとすれば、「6つの章構成」だとか「芸術都市フィレンツェとは」だとか何だとかは一切無視して、次々に目に入ってくるモノにとにかく目を瞠ること、でしょう。絵画にしろ彫刻にしろ金細工にしろ、どれもさすがと言うべき逸品が多いから、それぞれをひたすら感嘆しているだけでもそれなりに楽しめます。いくつかの彩色写本の、その鮮烈な青色に釘付けになってみたり、メディチ家の別荘を描いた油彩画に「なんでコイツらこうも左右対称が好きなんだ」とツッコミ入れてみたり、<金斗雲に乗った孫悟空>みたいな、ベルセウスの怪獣退治の絵を見てついSFファンタジーを連想してみたり、賭けに負けた男がカッとして馬糞を聖母マリア像に投げちゃったために逮捕され死刑になっちゃったという「9コママンガ(笑)」で笑ってみたり、あるいは貴石ラピスラズリのまるごとカタマリから掘り出されたという水差しの豪華さと繊細さに目を奪われてみたり。で、出口にはちゃぁんとアクセサリーや香水なんかの名産品も売ってますし(なんだ、結局落としどころはソレなんじゃねーか・笑)。
ま、フツーは「芸術都市としてのフィレンツェが云々」などと訳知り顔になる必要など全く無いワケだし、なぁんかよくわかりまへんけどキレイやったねぇ、という感想だけでも全然OKじゃないの、という気もしてみたりする今日この頃なのでありました。まる。
2005 02 01 [design conscious] | permalink Tweet
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