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『メリーポピンズ』とミュージック・ホールのこと

 
 原作者のP.L.トラヴァースが、映画化にあたって脚本や制作内容に口やかましくチェックを入れたのは有名な話です。トラヴァースはキャスト全員英国人にせよとまで要求しました(最終的にはアメリカ人も含まれましたが)。そんな事情もあったためか、主役に抜擢されたジュリー・アンドリュースも英国人なんですが、彼女は「Feeds the Birds」やもうひとつの子守歌「Stay Awake(眠らないで)」のような静かな歌が映画をダレさせないか心配だったと語り、一方で「Supercarlifra(以下略)」や「Step in Time」には往年のヴォードヴィルの懐かしさがある、と指摘しています。
 すると作曲者のリチャード・M・シャーマンは「実はこの2曲は、イングランドの古い曲をもとに作ったんだ」と明かします。「Step in Time」は「Knees Up Mother Brown(google検索)」、「Supercarlifra(以下略)」は「Boiled Beef and Carrots(google検索)」という曲が原型とのこと。ナルホドこの2曲、どちらも「古いミュージック・ホールのヒットナンバー」と解説しているサイトが多いようです。

 シャーマン兄弟はこの映画のためにたくさん曲を書きましたが、ブロードウェイ風なものはボツになり、20世紀初頭のイングランドを彷彿とさせるナンバーだけが残された、と。つまり、子ども心に私が「ガチャガチャと騒々しく、いかにもディズニー風」だと感じていたのは、実は物語の設定に合わせて作られた英国ミュージック・ホール風だった、と。あの音楽は特別ディズニー的でもアメリカ流でもなかったんだ、と。
 をを、これぞ40年目の真実!
 
 じゃあ、ミュージック・ホールってどんな世界なのかな。
 

MusicHall_in_GB

 
●大英帝国はミュージック・ホールから
 井野瀬久美恵著/朝日選書395/朝日新聞社/1990年2月刊
 ISBN4-02-259495-0
 装幀/多田進
 
 たとえば、同書より<ロンドンのアイドル>ヴェスタ・ティリーが1895年に初のアメリカ公演をした時の項を引いてみます。
(前略)彼女の何がアメリカ人に受けたのかには、ひとつの共通点を認めることができる。それは、アメリカ人がヴォードヴィル(アメリカではミュージック・ホールで見せる演し物をヴォードヴィルと呼ぶことが多い)と聞いて連想する、下品な歌詞を連発して笑いをとろうとする質の悪い芸人とはまったく違った「賢明さ」を、ティリーが備えていたという点である。彼女の賢さは、(中略)多少の皮肉を込めながら、実にこっけいに、それでいて決して下品や猥雑にはならず、それなりのレスペクタビリティを保って演じ、歌うことに見られた。(第八章 ロンドンからハリウッドへ/378〜379ページ)

 引き写しているうちになんだかジュリー・アンドリュースへの評を読んでいる気分になってきました。ジュリー自身は『メリーポピンズ スペシャル・エディション』の中で「ヴォードヴィル」という表現を使っていますが、これは彼女自身アメリカ暮らしが長いのと、アメリカ人向けに言葉を選んだ結果でしょう。それはともかく、ミュージック・ホールにしろヴォードヴィルにしろ「下品で猥雑なもの」というイメージが強く、だからこそ大衆的な娯楽たりえたことがうかがえます。ディズニー映画『メリーポピンズ』では——なにしろ健全な家族向け娯楽映画ですし——半世紀前の猥雑さ下品さは注意深く取り除かれ、陽気なけたたましさだけが残されたのでしょう。子どもの私が「ガチャガチャと騒々しい」と感じたのは、まさにそれが「ガチャガチャと騒々しく」作られた音楽だったからだったと。ただ、それが英国スタイルであることなど当時誰も教えてくれなかったから、短絡的に「ディズニー映画って騒々しいなぁ」と考えてしまったフシがあって、いやはや思いこみというのは恐ろしい。以後も、私はさほどディズニー映画の良い観客ではありませんでした。
 
 他にもナルホドねぇだったことがあって、たとえば「Supercarlifra(以下略)」のバックバンド。あの貝ボタンをやたらにつけたコスチュームもイングランドの伝統的なスタイル(バーリーズと呼ぶそう)なのだそうです。1964年のワールド・プレミアのニュース映像には、実際に人間がそのコスチュームで演奏しているシーンがちらっと映っていて、あれはアニメーションをそのままリアル化させただけなのかと思ってたら、実はその逆だったんですねぇ。こういうバンドのスタイルもミュージック・ホールならではのものなのか、あるいはたとえばモリス・ダンスなどのような、別の伝統から来ているのか。もしご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示くださいまし。(続く)
  

2005 02 13 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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