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Paris, 1924-1925

 前回の続きです。オスロで見つけた古いアルバム、その2冊目。

 

1920_02

 
 同じ革表紙ですが、こちらはずいぶんと細工が細かいです。何かの名画を元にしているのかな。
 
 で、中身の方なんですが、これが前回のと同じカメラマン氏によるものなのかというと、どうもそうではないような。写真の並べ方とか、余白に白インクでキャプションを書き込むというスタイルには共通性があるんですが、ペン書きの書体なんかは微妙に違うように思えます。

1920_09 「Paris 1925-24」とあるように、こちらは1924年から25年にかけてのパリに限定したアルバムのようです。けれど、貼っている写真をよく見ると、その多くは当人が撮ったものではないようにも思われます。今で言う観光絵はがきというか、当時スーベニアとしてパリの風景写真がたくさん売られていたんでしょうね。このアルバムに収められたパリの風景は、その多くがそういう「プロの写真」の手になるものじゃないかという気がします。
 
1920_10 その根拠はと言えば、たとえばこのページでもそうなんですが、それぞれの写真の右下に、小さく「数字」が焼き込まれいるのがおわかりでしょうか。これって、なんらかの通し番号、つまり「カタログ番号」だったんじゃないかと。それと、アングルや構図が妙に決まりすぎていて、つまりどの写真も堂々としすぎていて、あまりアマチュアっぽくないなあと。いや、このへんはさしたる確証があるわけでもないんですが。
 
1920_11 とはいえ、私的なスナップ写真が全くないわけではありません。11ページ目に出てくるこの親子(写真下左および右)は、カメラマン氏の家族でしょう。1924、5年というと今から80年前ですが、カメラマン氏とその妻はともかくも、ここに写っている子供は、ひょっとして今もご存命なんでしょうか。ちなみに、ページ上部はルーブル宮ですかね。写真右下にサインらしき焼き込みが見えるので、これもたぶん「絵はがき」のたぐいではないかと。
 
1920_12 前回のアルバムは総計100ページ近くもあったんですが、こちらはわずか14ページで突然終わってしまいます。これがその最終ページ。剥がされた写真が1枚、剥がしかけたけど剥がれず、途中であきらめたかのような状態のが2枚。なにか奥深い物語を感じさせるような「終わり方」で、最初にこのページを見たときは、何か見てはいけないモノを見てしまったかのようで、思わずはっと息を呑んでしまいました。
 
 
 以上2冊のアルバムは、やはり別人の手によるものと考えた方が自然でしょう。全体の雰囲気は実によく似ているんだけれども、撮った写真を整理する方法として、1920年代当時こういうスタイルが流行っていたんだろう、と推測するにとどめておきましょう。
 この種のアルバムに、どれほどの「価値」があるのか、私にはよくわかりません。歴史上の著名人が関係しているのならともかく、たとえ復刻出版したところで誰も買いそうにないでしょうし。当方、写真史の専門家でも近代風俗の研究家でもないし、だから私が持っていてもしょうがないモノではありますが、さりとてどこかに寄贈しようにも思い当たるフシもなし。私が古道具屋で買った値段はもう忘れてしまいましたが、そんなに高価ではなかったことは確か(高かったら買ってませんし)。あちらでは、この手の古いアルバムなど別に珍しくもなんともないんでしょうね、たぶん。
 
 
 で、上のパリ氏はともかくも、前回のカメラマン氏などはやはりそうとうな趣味人だったんじゃないかなあと、改めて思えるわけで。彼とその家族が訪れた地は高原から都会まで、スイスの雪山からコーンウェルの海岸までと実に幅広く、しかもすでに見たように、1920年代を通じ毎年必ずどこかに出かけています。人生楽しんでいるよなあ、と、ホントうらやましい。
 
 けれど、はたしてこの人の「30年代のアルバム」は存在したんでしょうか。
 
 よく知られているように、1929年10月にはウォール街で株価が大暴落します。世界規模の大恐慌、おそらくは人類史上初の「バブルの崩壊」を、彼らは経験するわけですね。1920年代に優雅な暮らしを満喫していたアルバムの主人公(とその一族)が、大恐慌の嵐に全く無関係でいられたというのは、どうにも考えにくい。しかも大恐慌に続いて第二次世界大戦という暗黒までもが、ぽっかり口を開けて待っています。
 カメラマン氏だけでなく、このアルバムに写された人たちそれぞれに、このあとどんな運命が待ち受けていたんでしょうか。そして、パリで記念撮影していたあの家族の「その後」は…。
 
 が、いずれにせよ、ここから先は想像の世界。小説家だったらこれらのアルバムから短編小説のひとつでも編み出すことでしょう。けれども、今はただ、これら写真の中の世界に想いを馳せることにしましょう。
 「幸せな日々」って、本当にアッという間に崩れ去るんだなあという、運命の理不尽な残酷さに、畏れを抱きつつ。

2005 04 27 [wayfaring stranger] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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