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Streamline Jazz, 1935

 
 服部良一が昭和10年(1935年)に発表した作品に「流線型(がた)ジャズ」というのがある。タイトルからは想像できないが、驚くなかれ、歌謡曲だ。当時の言い方では「流行歌」となるんだろうか。ためしに、三番まである歌詞のうち、二番を引いてみる。

恋のウィンク 流線型よ
ラッシュ・アワーの
ブロック越えて
想うハニーに すぐ通う
あっと云う間に すぐ通う
スピード スピード
ハイ・スピード
(藤原山彦/作詞)

 歌は志村道夫という人。今の耳からするとぜんぜん「ハイ・スピード」じゃない歌いっぷり(笑)なのはご愛嬌。けれどもバックの演奏じたいはすばらしい。間奏のスウィングしまくるアレンジなどは、何度聴いてもほれぼれしてしまう。ちなみに、服部良一、このとき27歳である。
 
* * * 
 
1945 『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(上田賢一/2003年7月/音楽之友社/ISBN4-276-21128-X)という本があって、私はつい最近手にしたのだけれど、これがやたらおもしろく、一晩で夢中で読み終えてしまった。服部良一の、戦中までの歩みを中心にまとめられた伝記読み物である。
 昭和20年、日本が降伏する直前に、上海では服部良一の作・編曲・指揮による「夜来香ラプソディ」というオーケストラ作品が大評判を呼んでいた…という<伝説>は、野口久光の『私の愛した音楽・映画・舞台』(中村とうよう編集/1995年6月/ミュージック・マガジン/ISBN4-943959-12-1)に詳しいが、この本では服部その人の動きに焦点を当てて、上演にいたるまでの詳細な経緯がかなりドラマティックに描かれている。小説風と言うのだろうか、ところどころ装飾過剰気味の文体が気になる箇所もあったけれど、そのぶん視覚的で読みやすかった。本書の主題は1945年の「夜来香ラプソディ」なのだけど、個人的には、上海に行くまでの若き日の服部良一がたっぷり描かれているのを興味深く読んだ。
 なので、ここでは話を「夜来香ラプソディ」の10年前、つまり「流線型ジャズ」の頃に戻す。この曲が作られた1934、5年頃といえば、RKOでのアステア=ロジャーズ映画の全盛期である。このコンビの最高傑作とも言われる『トップ・ハット』が、ちょうど1935年封切りだ。それを踏まえた上でもういちどこの曲を聴くと、軽快にスウィングする間奏部分に、たとえばカタカタと乾いたタップ・ダンスが聞こえてきたとしてもまったく違和感はない。メロディ・ラインは確かにまだまだジャズっぽくない(ましてやヴォーカリストの歌い方は言わずもがな)が、作曲者はこのとき、可能な限り<本物のジャズ>を目指していたはずだし、その中でアステアの歌やダンスもしっかりイメージしていたんじゃなかろうか…と、このへんはあくまでも想像でしかないんだけれども。
 
 ところで、戦前の日本のタップ・ダンサーといえばすぐに思い浮かぶのが中川三郎である。そういえばこのふたり、なにか接点はあったんだろうか。
dancingalllife と、気になったので『ダンシング・オールライフ 中川三郎物語』(乗越たかお/1996年6月/集英社/ISBN4-08-783064-0)を見てみると、あった。
 昭和13年、中川三郎は松竹楽劇団を率い、帝国劇場のステージに立っている。この公演の音楽担当のひとりに、服部良一が起用されているのである。昭和13年といえば、『上海ブギウギ』によれば服部がはじめて上海に渡った年である。同書にはこう書かれている。
 上海から戻った服部さんには、新しい仕事がたくさん待っていた。従来からのレコード会社の仕事、ダンスホールの仕事、放送局での作編曲に加えて、新たに映画音楽、ステージ・ショウの依頼が来て、仕事の量は一挙に膨らみ、収入は普通のサラリーマンの十倍にも達した。(91ページ)

 この「ステージ・ショウの依頼」が、ひょっとすると、中川からのものだろうか。
 『ダンシング・オールライフ』には、このときのショウの最大のハイライトは、なんと中川三郎のソロによる「トップ・ハット」だったと記されている。あのアステア映画のナンバーを、メドレーで踊ったということだ。
 わたし個人的には、このくだりを読んで思わず「おおっ」と声を出してしまったんだけれども、服部良一的には特別どうこう言うべきものでもなかったのかもしれない。この公演では指揮もしていなかったようだし、そもそも「ダンスのための編曲」という仕事そのものにも、いったいどこまで力を注いでいたのか。ま、少なくとも、当時の中川のダンスを何度か観ていたのは間違いないと思うんだけど。
 
 
 服部良一の関心は、ダンス音楽よりもヴォーカル・ミュージック、それもコーラス主体のそれの方により向いていたのだろう。あるいは1945年の「夜来香ラプソディ」に結実したように、オーケストレーションそのものにも向かっていたことだろう。
hattoriCD けれど、この時期<ジャズ>という名でひとくくりにされていた舶来ポップスは、その根本のところは常に「ダンス・ミュージック」だった筈だ。冒頭に掲げた「流線型ジャズ」を含む、戦前からの服部作品を多く収めた3枚組CD『日本のポップスの先駆者たち:服部良一 —僕の音楽人生—』(日本コロムビア/72CA-2740〜42)を通して聴いていても、そのことはよくわかる。タンゴ、ブルース、ボレロ、ルンバ、ワルツ、そしてもちろんブギウギまで、服部ポップスはいつだって「踊れる音楽」だったし、それこそが、服部作品を今でも新鮮に感じさせる最大の理由じゃないか。
 これまで、「ダンス音楽」はなにか不当に「少し低いもの」とみられ続けてきたような気が、どうもしてしまう。もちろんそれを服部良一のせいにしたいわけではない。そうではなくて、服部作品を聴けば聴くほど、日本のダンス音楽の受容史とか発展史のようなものを、もっと詳しく知りたくなってくる今日このごろ…なのであります。

2005 07 12 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

『上海ブギウギ1945』をお読みいただけてうれしいかぎりです。娘さんやお孫さんにもお会いできて、感激しました。コロムビアの3枚組CDはもうちょっと安くして出し直せばいいのに、といつも思います。服部良一の自伝『ぼくの音楽人生』もいずれ復刻できないかな、と。

posted: (2005/07/13 11:37:24)

コメントありがとうございます。
この本を読んだあと、久しぶりにオンシアター自由劇場『上海バンスキング』のビデオまで見てしまい、ただいま気分はすっかり上海です(笑)。
服部さんの自伝、私も読みたいです。beeswingさんのお力で、ぜひ復刻してくださ〜い。
「夜来香ラプソディ」は、かつてテレビでやったことがあると聞きましたが、できることなら、これもいちど聴いてみたいものです。

posted: とんがりやま (2005/07/13 13:21:46)

『夜来香ラプソディ』、見てみたいですね! 自伝は再来年が生誕100年なので、そのあたりを目指してがんばります。

posted: (2005/07/14 2:09:10)

はじめまして。ワタクシ黒テントという劇団で制作をやっているものです。
来る12月に「上海ブギウギ1945」と服部良一の生涯を下敷きに、劇団の座付き作家・山元清多が書き下ろした音楽劇を上演いたします。「上海バンスキング」のような素晴らしいお芝居になるかどうかはわかりませんが、きっと愉しいお芝居になると思います。元自由劇場の稲葉良子や服部良一の次男・服部吉次、斎藤晴彦も出演します。おヒマがございましたら黒テントホームページをのぞいてみてください。

ご興味を持っていただけるのではと思い書き込んでしまいました。不適切であれば、お手数ですが削除して下さい。

何かございましたら私、足立にご連絡ください。

長々とありがとうございました。

posted: 足立昌弥 (2007/11/15 19:32:13)

 

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