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はじめてのTAKARAZUKA(*^o^*)

takarazuka
 
●宝塚月組公演「JAZZYな妖精たち/REVUE of DREAMS」
公演/2005年9月23日〜10月31日
会場/宝塚大劇場
主催/阪急電鉄
制作/宝塚歌劇団
※写真は公演プログラム


 なにしろナマでタカラヅカを観るのは、ワタクシ生まれて初めてであります。ドキドキものであります。うんとおサレにドレスアップしてなきゃ中に入れてもらえないんだろうかとか、両手を広げて朗々と歌い踊りながら劇場の門をくぐらなきゃならないんだろうかとか、そんでもって入場チケットを渡すときはやっぱビシッとポーズをキメて小指も立ててなきゃなんないんだろうかとか、あれこれ考えはじめると昨夜はなかなか寝付けなかったんですが(爆)、泣いてもわめいてもフツーの服しか持ってないし、結局いつも通りの格好でぼけーっとした寝ぼけ顔のまま、電車に乗ったのでありました。
 
 だいたい、開演時間はチケットに書いてあるからいいとして、こーゆー催しものがふつう何時に終わるのかも知らない。私が行ったのは午前11時開演の部だったんだけど、お昼ご飯は何時になるんだろ。帰りに駅前で立ち食い蕎麦かなあ、などと思いつつ、宝塚駅の改札を抜ける。
 意外に、と言っていいのかな。タカラヅカって、出演者はもちろん観客の方も、一面見渡す限りお花畑なのかなとか思ってたけど、男性客比率がけっこう高めなんですね。家族連れやご夫婦揃って、というお客さんがそこかしこにいましたし、ひとりで来ている方もわりといたような。これならクラシック・バレエの公演の方が、女性比率はうんと高いぞ。
 で、みなさん、まあごく普通の身なりだったのでほっと一安心。いやあ、知らない世界に足を踏み入れるってのは勇気が要りますわ(笑)。
 で、劇場内に喫茶店やら土産物屋やら弁当の売店やらが山ほどあって、あとで知ったんだけど幕間にお弁当を客席で食べられるようになっていたんですね。相撲とか歌舞伎とか大衆演劇(いわゆる座長公演ってやつね)とかと似たような接客体勢が整えられていたんですね。なるほど〜。
 
 
 そもそも、出演されてる方々のお名前もナニもまったく存じ上げないワタクシなんぞが、なんでタカラヅカに行ったのかというと、今回の公演がアイリッシュ・アメリカンのお話で、振付にかのジーン・バトラー嬢を起用しているというので、アイリッシュ・ダンス好きとしてはそれはぜひ観ておかなくちゃ、となった次第。右も左もわからんまま、客席に身を沈めたのでありました。
 ジーン・バトラーがかかわった作品が第一部の「宝塚ミュージカル・ファンタジー JAZZYな妖精たち」で、クレジットには振付助手として妹のカーラ・バトラーの名前もあります。途中休憩なしの一時間半たっぷり、全17場、総勢約70名の大がかりなミュージカル作品。ちなみに、平成17年度の文化庁・芸術祭参加作品とのことです。
 
 * * *
 
 舞台は1920年代のニューヨーク。故郷アイルランドの孤児院でともに過ごした少年少女たち5人が新世界アメリカに渡って15年、みなそれぞれの人生を歩んでいた。いつか合衆国大統領になる夢を抱きながら下院議員に立候補する男と、アイルランドの妖精の話を書いていちやく人気作家になった女が再会するところから物語ははじまる。大人になっても純粋な心を失っていないおかげで、ふたりは今でも妖精たちの姿を見、彼らと会話をすることもできるのだ。渡米以来ちりぢりになっていた他の仲間達は、ある者はヤクザな新聞記者に、またある者は警察官に、そしてまたある者は一匹狼のギャングになっていたのだが、選挙運動の真っ最中に警視総監が狙撃されるという事件をきっかけにして、5人の人生が交錯し、その運命が大きく変わって行く——。
 …と、まあ、だいたいこんな感じのお話。アメリカに渡ったアイルランド移民のことはよく調べられているし、一編のメロドラマとしてもよくできてるんじゃないかと思います。とはいえ、そこは大衆演劇。まさか今どき「実はヒロインが白血病で余命幾ばくもない」なんて展開になるとは思いもよりませんでしたが(笑)、笑いあり涙ありサスペンスあり、純愛あり友情ありはたまた策略あり裏切りありで、サービス精神てんこ盛りなのであります。
 
 登場人物の名前も凄いですな。なにせ主役の男からしてパトリック・ゲールという名前だから恐れ入ります(選挙戦のキャッチ・フレーズは「セント・パトリックの生まれ変わり」)。ヒロインの童話作家はシャノン・マクニール。ギャングはウォルター・クーフリン、新聞記者がティモシー・キャラハン、警官はミック・オブライエン(ちなみに狙撃された警視総監殿はオニールだった)、パトリックの秘書がサラ・フィッツジェラルド。なんつーかもう、ありがちネーミングのオン・パレードで、このいかにも感がなんともいい感じだなあ(笑)。
 さらに、ある理由によりアイルランドから彼らと一緒に海を渡ってきた、オーベロン、ピクシー、バンシー、レプラホーンなど妖精たちもたくさん出てくるんだけど、彼らの超ド派手な衣装だけは、最後まで違和感がありましたです。人間たちのファッションやインテリアなんかは、アール・デコ期ならではの洒落たデザインだったんだけども。
 
 ジーン・バトラーの仕事は、全17場のうち最初のふたつと、ラストに出てきます。最初の方のはリバーダンスばりのステップ・ダンスが中心で、途中のソフトシューズでのジグが彼女らしいところかな。このパートは物語のイントロダクションというより「いわゆるケルト色」を押し出したもので、衣装も現代的なアイリッシュ・ダンス・ショウっぽい。ステージいっぱいに並んで全員がステップを踏むところなどは、リバーダンスに代表される一般的な「アイリッシュ・ダンス・ショウ」のイメージをそのまま打ち出しています。
 対するエンディングは、アイリッシュ・ダンスではなくチャールストンダンス・ややアイリッシュ風味。このエンディングのダンスは、物語が進行していくにつれ人々の運命が変わり、当初はアイリッシュ・アメリカンとしてのアイデンティティにがちがちにこだわっていた登場人物たちの意識に、徐々にだけれども決定的な変化が起こったことを意味しているのでしょう。物語と演出の意図に沿った、味なものだと思いました。
 
 で、さてそれでは、これが純粋にアイリッシュ・ダンスとして楽しめるのかといえば、それはちょっと難しいでしょう。ジーン・バトラーの仕事には特に不満はないですが、それを表現するダンサーたちは、やはりアイリッシュ・ダンスを踊るための身体にはなってません。物語の進行上、アイリッシュ以外のオリジナル振付のダンスもたくさん出てきますが、それらを踊るときとは違って、明らかに踊りにくそうなのがよく判りました。とはいえ、これはあくまでも<タカラヅカ>のショウなんだし、ここで完璧な、非の打ち所のないアイリッシュ・ダンスなど誰も求めてないんでしょうけどね。
 
 * * *
 
 タカラヅカというと、スパンコールキラキラ、背中からは羽根がぶわぶわ、舞台はイルミネーションピカピカ、メイクはまるで歌舞伎の隈取りか(笑)というほど濃く、ポージングのいちいちがケレン味たっぷりで、ひたすら豪華でドリーミィなステージをイメージしがちなんだけど…そして第二部のレビューはまさしくその通りのステージだった…、意外というかなんというか、思っていたほどケバくはないな、とも感じた。けっこう上品にできてるんじゃないの、と帰りの電車の中でその理由を考えていたんだけれど、秘密のひとつは「音」にあるのかもしれない。
 最近のステージ・ショウはたいてい音響が凄く、生演奏でもテープを流す場合でも、会場ぜんたいを包み込むようなサラウンド効果と大ボリュームで、まず観客を圧倒させる。しかし宝塚歌劇場は、主な観客が比較的高年齢層あるいは家族連れということもあってか、音で威圧させるような演出はほとんどなかったように思う(オールド・ファンに言わせると、これでも相当やかましくなったのかもしれないが)。舞台は二部ともオーケストラによる生演奏で、ピットに沈んでいるので何人編成なのか全く見えなかったんだけど、その演奏を素直に増幅しているだけのように感じた。
 第一部冒頭のアイリッシュ・ダンスのシーンに話を戻すと、たとえばいま来日中のリバーダンスなんかは、ダンサーの人数でいえば宝塚より遙かに少ない。けれども、タップ音をマイクで拾いうんと増幅し、場合によってはさらに録音をかぶせてから客席に流すわけで、観客は目の前の光景以上のより一層のスペクタクルさを、耳で感じることになる。
 対するタカラヅカでは、50人を越えるダンサーがいっせいにタップ・シューズを鳴らそうとも、余計な誇張はしないから、あれ? と思うくらい静か。マイクの有無だけではなく、床の違いとかもあるのかもしれないし、靴音をきちんと鳴らせるかどうかという純粋に技術的な問題ももちろんあるとは思うんだけれども。
 
 …で、これはたぶん、どちらがいいとか悪いとかではなく、演出の意図や、ショウとしてダンスがメインなのかドラマを物語るのかの違いにもよるものだろう。なにせここ何年も、アイリッシュ・ダンス・ショウの音響演出ばかりに慣れていたから、個人的にはちょっと拍子抜けしてしまったんだけど、よくよく考えるとこっちの方が普通なんだよね。
 
 
 「JAZZYな妖精たち」では、有名な〈She Moved Through the Fair〉をはじめ、アイルランド伝統曲が何曲か使われている。しかし、公演プログラムのどこにも音楽についての記述がないのにはまいった。その一方で、各場の出演者の名前は細部まできっちり載せているし、もちろんブロマイド写真もカラーでたっぷり。これでジーン・バトラーの直筆メッセージとプロフィールが載っていなかったら、買っていないところだった。上の方で「大衆演劇の世界」と書いたんだけれども、タカラヅカって、物語も歌もダンスも(そして劇場としてのあり方も)、全ては「スター」を見せるためにしつらえられた装置なんだよね、ということを実感したのでした。
 
 「一度行ったらハマるかもよ〜」などとさんざん周りから言われていたんだけれども、出演者ではなくひとつひとつの歌やダンスを味わい楽しみたいワタクシ的には、おそらくは今後ヅカファンへの道に足を踏み入れなくても済みそう…かな? いや、まだわからんかも?

2005 10 22 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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