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[exhibition]:川端龍子展

 

kawabata

 
●生誕120年 川端龍子展
 東京展 2005年10月29日(土)〜12月11日(日)
     東京都江戸東京博物館
 茨城展 2006年1月2日(月)〜2月19日(日)
     茨城県天心記念五浦美術館
 滋賀展 2006年4月11日(火)〜5月21日(日)
     滋賀県立近代美術館
     
 (写真)展覧会図録
     発行:毎日新聞社
     デザイン:辻恵里子    
     
 名前は聞いたことがあるけれど、その作品をじっくり観たことはない——私にとって川端龍子(1885〜1966)もそんな一人だった。いや、これが、面白いのなんの。図録に『再評価すべきは川端龍子——大正・昭和の日本画バロックの源流、その生涯』(岡部昌幸)という評伝が載っているのだが、その題の通りだと思う。なんでこんなに面白い画家を今まで知らなかったんだろう。
 
 まず洋画家として出発し、今で言うイラストレーターを経て、日本画に転身するという、その経歴からしてなかなか興味深い。イラストレーター(挿絵画家/漫画家)という選択は、まあ、食べるために、という理由もあったんだろう。芸術家というのは昔も今も貧乏なんである。現代ではイラストレーターもそれなりに文化的ステータスがあるけれども、その昔はどうだったんだろうか。やはり本画家よりも数段格下と、世間も自身も見ていただろうことは想像に難くない。けれど、この人の場合、挿絵画家としてのキャリアも、その後の画業に大きくプラスになっているように思う。
 というのも、画題にジャーナリスティックな視点がけっこう伺えるからだ。その最たる作品は後述する『逆説 生々流転』だろうが、それ以外にも造船所で働く男たちを仁王像を描くように捉えた『海洋を制するもの』(昭和11年)や、パラオなど南洋の島々に旅したときの船のスケッチ『近江丸 II』(昭和9年)の船内設備の細かな観察など、さまざまな作品のうちに<イラストレイトする>画家の視線が感じられる。それはたとえばこの作家の描く人物やけものや海中生物の表情、特に気迫みなぎる眼の描き方にも現れているように思える。雑誌の挿絵などではいかに読者の眼を一瞬でひきつけるか、という点がもっとも重要になってくるが、おそらく挿絵画家時代の龍子は、効果的に読者=鑑賞者の目を奪ってやまない手法と、その内容を正確に伝えるための技術を徹底的に学んだに違いない。
 
 龍子の描く絵はどれも、画面の隅々にまで力がみなぎっているのが見ていて気持ちいい。これが日本画? と思うほど、荒々しく猛々しい絵がこの人の持ち味なんだろうが、それでいて繊細で緻密な描線にひたすら感嘆させられる『草の実』(昭和6年)のような絵も描く。非常に幅の広い、懐の深い画家でもあるのだろう。
 
 で、その『草の実』とともに、私がいちばん面白かった作品が『逆説 生々流転』(昭和34年)なんだけど、題名から推察できるとおり、重要文化財にも指定されている横山大観のかの『生々流転』(大正12年)を逆手に取った絵巻物である。
 南の島の、おおらかな海の生活風景…と思っていたら、いつの間にか海が荒れに荒れ、嵐となって橋や家屋を押し流してゆく。大水害が退いた後にはふたたび復興と建設の槌音が聞こえる…と、下手な要約よりも現物を見ていただくに限るのだけれど、とにかく発想と表現のダイナミックさにぶっとんだ。ラストなど飄々としたユーモアさえあって、なんだか一編の映画でも観たような感じだ。いまこれを書きながら、横山大観の展覧会図録を引っ張り出してきて本家『生々流転』と見比べているのだけれど、画題といい嵐の表現といい、面白さの点でまったく勝負にならないくらいだ、と思うのは贔屓目すぎるんだろうか。というか、そもそもなんで大観のアレが重要文化財なのか、以前からずっと理解に苦しんでいたんだけれども。
 
 とはいえ、龍子は終生大観を師と仰ぎ敬慕していたらしいから人の世とは面白いものである。大観といえば、もうひとつ、龍子の昭和19年の作品に『怒る富士』というのがある。遠くに富士山が聳え、画面の大半を占めているのは黒い雲と不気味に踊る稲妻、という、龍子らしい猛々しい作品なのだが、会場でみたとき『或る日の太平洋』じゃん、と思った。今調べてみると、『生々流転』とは逆に龍子の方が早く、大観の『太平洋』は昭和27年。画面の上の方に富士が見え、雷鳴がとどろく構図などはそっくりだが、大観のは太平洋の高波がその主題になっている点に違いがある。
 とはいえ、嵐の凶暴さかげんや富士山の描き方など、龍子を観たあとでは、大観のそれはほとんど芝居の書き割りだ。両者の力量の差は、おそらく誰が観ても一目瞭然ではないだろうか。私は大観の作品の中では『或る日の太平洋』がいちばん好きだ、と以前書いたことがあるけれども——「悩める大観」が素直に出ている分だけ好ましく思う気持ちには変わりないけど——、龍子を知ってしまったら、もう大観は正直どうでもよくなってしまった。
 
 今回の川端龍子展、私が観たのは12月の東京展なんだけど、来年4月には滋賀にも来るということである。東京展には出品されなかった作品もあるようだし、ぜひもう一度出かけたいと思う。再会が今から楽しみ楽しみ。

2005 12 16 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

何かのきっかけで、新しい感性に出会う喜びってありますよね。
絵画のことはわかりませんが『逆説 生々流転』はちょっとした
ショックです。また、笑ってしまうほどおもしろい作品でもありました。
ジャーナリスティックな視点とユーモラスな視点が同居しているところが
とても素晴らしい。
友人は描かれる生き物のマンガちっくな目が好きだと申します。
確かに”もの言う目”ではありますが。
いろんな楽しみ方のできる画家ですね。

posted: (2005/12/22 0:38:32)

コメントありがとうございます。

>絵画のことはわかりませんが

日本画ってなんとなく通向きみたいなイメージもありますが、龍子の作品は、どんな人にでもその面白さがわかりやすいのがいいところなのかもしれませんね。外に向かってパァーッと開かれているような、そんな明るさに惹かれました。

posted: とんがりやま (2005/12/22 11:51:05)

 

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