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この娘うります!

●この娘うります!
萩尾望都著/小学館プチコミックス(萩尾望都作品集15)/1977年6月刊
装丁:玉井ヒロテル
唐突だが、古いマンガの話など。
1975年に週刊少女コミックに発表されたこの作品は、モーさまファンのあいだで今でも人気が高いようで、ネットで検索してみると言及している個人ブログやファンサイトにたくさんヒットする。
全ての萩尾作品のなかで、私がいちばん好きなのはSF史上に燦然と輝く名作『11人いる!』(これも1975年だ)なんだけど、その次くらいに好きなのが、この『この娘うります!』なのであります。初めて読んだのはまだ小学校の低学年くらいだったと思うんだけど、その後も突然読みたくなるときがあって、何度も繰り返し読んでいる。
週刊誌に11回連載された200ページに満たない中編だが、現在だと単行本5〜6巻程度にはなりそうな内容だと思う(連載中に人気に火がつけば、あるいはもっと引き延ばすかもしれない)。この頃のマンガはたいていページ数が短く、作者はその中に膨大なドラマをギュッと押し込めるから、とうぜん密度が高くなる。その密度の高さは、そのまま作品のテンションの高さと言ってもいいかもしれない。この作品も徹頭徹尾ハイ・テンションだ(それに比べると今の人気マンガって巻数がやたら長い割になんだか間延びして見える作品の多いこと…っと、これは余談)。
舞台はパリ。15歳になったばかりのドミニク・シトロンは、子供服デザイナーのパパの愛情を一身に受けて清楚でマジメな学園生活を送っていたのだが、ふとしたきっかけでファッション・モデルのタマゴたちと出会い、それからは恋に仕事にと一気にはじけちゃう…というストーリー。華やかなファッション・モデルの世界、世界的に有名な監督に見出されて映画出演、そしてステキな恋愛と、いかにも少女マンガな世界ではあるし、ふつうオトコノコはそういうオハナシにはあまりピンと来ないものでもあるんだけれど、何故か私はこのマンガが大好きだった。
理由のひとつには、クリエイティブ業界(当時そんな言葉はなかったが)の話だった、というのが挙げられるかも知れない。ヒロインはモデル/女優のタマゴとして活躍するし、彼女の恋の相手はカメラマン志望。ヒロインの父親はファッションデザイナーで、彼女をとりまく個性的な面々もみなクリエイターばかり…と、私もたぶんコドモごころにそんなクリエイティブ業界に憧れていたのだろう。業界とか職人の世界を描いたマンガは、まだ社会を知らない子供にとってはいつだって興味津々なのだ(そういえば同じ萩尾作品の『ケーキ ケーキ ケーキ』(1970年)も楽しかった)。
ふたつめには、やはりこの底抜けの明るさがよかったのだろう。同じギョーカイ話でも、たとえば一条ゆかり『デザイナー』(1974年)あたりはコドモにはヘビィで暗すぎた。いかにも的な荒唐無稽さでは両者とも(方向が真逆とはいえ)共通しているけれど、どうせ読むなら面白おかしい方が楽しいしね。
三番目の理由として、たとえストーリーは荒唐無稽としても『この娘うります!』にはコドモながらにリアリティを感じるシーンも多かったことも挙げられよう。私が特に印象に残っているのは、物語ラストのこのセリフ。
「ねえ」
「ん」
「いつか/プロポーズして/くれるんで/しょう?」
「まだ……早いよ」「結婚は/生活だろ」「もっと写真が/売れるように/なってから」
「どれぐらい先?」
「さあ……」「火星に行ける/めどが/つくころにはね」
(中略)
「いつ火星に行けるの?」
「そりゃ/きっと/もう…じきさ」
(pp.200-201。/は改行箇所)
少女マンガが「ステキな異性との出会い〜恋愛成就」を大きなテーマにしているのは昔も今も変わらないが、ただ結ばれてハッピーエンド、なのではなく、その先にはちゃんと「結婚は/生活だろ」という視点がなければならないということを、幼い私はこのマンガで学んだ。…学んだことがその後の自分の人生に生かされているかどうかは、別問題だが(^_^;)。
私がこの作品を好きな理由をもうひとつ。
最近読み返してみて改めて感じたんだけど、『この娘うります!』はかなり本格的なミュージカル・コメディでもあると思う。いま「ミュージカル・コメディ」といってどれだけ通じるのか心許ないが、わかりやすいところではたとえばジーン・ケリーの名作『雨に唄えば』あたりを思い浮かべていただければよい。歌ありダンスあり笑いありロマンスありの、筋書きそのものはさほど重要ではなく、軽快なテンポでいっときの夢を観客に提供する、そういう世界だ。
たとえば『この娘うります!』では、さも当然のように、物語がはじまる前にオーバーチュア(序曲)がある。『雨に唄えば』でいうと主役の3人がレインコートと傘を持ってテーマ曲を歌い踊る、あの冒頭に相当するシーンだ。ストーリー本体とは全く関係がないが、これから始まるオハナシがいかに楽しく夢多いかを表現する、作品全体のトーンを決定する重要なカットでもある。
このマンガは物語がすすむにつれコメディ(ストーリー)主体になるけれど、連載初期部分はかなりミュージカル的なつくりになっている。少なくとも当時、作者はその手の映画をかなり観ていたんだなと思わせる。
もっとも、MGM映画に代表される「ミュージカル・コメディ」の全盛時代じたいはとっくに終わっている。この作品を連載していた1975年の時点でも、それはすでに「古き善き過去のもの」だったはずだ。上に例をあげた『雨に唄えば』ですら1952年の作品である。その後ミュージカル映画は「コメディ」を脱し、『ウエスト・サイド物語』(1961年)に代表されるようにシリアスな物語も描くようになり、以降、単純な夢見るだけの作品は作られなくなってゆく。
1975年といえばようやく家庭用ビデオデッキが発売された時期にあたり、とうぜんレンタルビデオショップなど影も形もなかった時代ではあるけれども、テレビでは吹き替えの洋画劇場が毎日のように流されていたし、封切り館以外の映画館でも昔の映画を何度となく上映していたから、作者も読者もミュージカル・コメディ的世界について一定の了解はあったかもしれない(私のような幼年の読者にはほとんど触れる機会はなかったが)。とはいえ、それらはあくまで「古き善き時代」の産物であって、生き馬の目を抜くようなマンガ週刊誌連載のなかでは(おシャレではあるかもしれないが)必ずしも「アップ・トゥ・デイト」な題材でもなかったはずだ。

※書誌情報は下記のサイトを参考にさせていただきました。
●萩尾望都作品目録[cafebleu.net]
2006 01 28 [booklearning] | permalink
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comments
ひとんちのブログにおじゃまして長々と書くのもアレなんですが、失礼します。少女コミックの重苦しい連載「トーマの心臓」(編集部は早く終わらせたがってたのに著者が抵抗)がやっと終わったあとが、1975年の連載「この娘うります!」でした。この作品で著者はお気楽にハジケると同時に、別冊少女コミックでは中断していた「ポーの一族」の連載再開。途中に「11人いる!」をはさんで、1976年の「ポーの一族」終了と「続・11人いる!」まで、萩尾望都ドトーの疾走。まさに全盛期、名作のアラシですねー。その後1977年には少年チャンピオンで「百億の昼と千億の夜」が連載されます。
ミュージカルシーンについては、1969年のデビュー作「ルルとミミ」でパイ投げのドタバタ、1970年の第二作「すてきな魔法」で早くも唄って踊ってます。同年の「ケーキケーキケーキ」ではタイトルバックが群舞。このころの萩尾望都と竹宮恵子は、すぐミュージカルにしたがってました(男性読者にはけっこう恥ずかしい)。著者は1949年生まれ。1945年生まれのタモリがミュージカルが嫌いと言って話題になるということは、逆説的にそのへんの年代の人はみんなミュージカルが好きなんじゃないでしょうか。1970年代までは、TVの洋画劇場で年中、古いミュージカルを放映してましたし。
posted: 漫棚通信 (2006/01/29 11:15:33)
コメントありがとうございます。さすがの詳しい解説、大感謝です。
>そのへんの年代の人はみんなミュージカルが好きなんじゃないでしょうか。
ワタシ平成生まれなもんだから、そのへんまるで実感がないんですよねえ(って、ぉい)
…と冗談はさておいて、ある時代の空気感って、あとから振り返るとけっこう忘れてしまうことが多いですよね。インターネットや携帯電話が存在しなかった時代はみんなどうやって仕事をしたいたのか…なんてことも、あと何十年かたてばもう誰も覚えてない、なんてことになるんでしょうねぇ。
ちょっとした遊びでミュージカルっぽいシーンを、というだけならたとえば手塚作品にもあったと記憶してますが(『新選組』でしたっけ)、萩尾望都の特にこの作品などはただのコマの遊びではなく、ミュージカル・コメディ映画のエッセンスが余さず血肉化されているのがいいと思いました。本書の解説でささやななえが「彼女は道を歩いていてもいきなり「シング・イン・ザ・レイン」と唄いだしパッ!と足をあげる。」と書いていますが、心底好きだったんでしょうねえ。
posted: とんがりやま (2006/01/29 23:45:50)