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絵画からの視線〜プラド美術館展から
そういえば、今年に入ってからずいぶん日本画の展覧会を観たような気がする。といってもバーンズ・コレクション、大絵巻展、プライス・コレクションほか4〜5回ほどなのだが、いずれも重量級の展覧会だったから、その印象もずしりと腹に響いている。
アタマの中がすっかり日本画モードになっているせいか、『プラド美術館展』を観に行ったら、どーも勝手が違って戸惑ってしまった。あれれ、なんだこの感覚は。

●プラド美術館展 スペインの誇り、巨匠たちの殿堂
東京展 2006年3月25日〜6月30日 東京都美術館
大阪展 2006年7月15日〜10月15日 大阪市立美術館
【展覧会図録】
発行:読売新聞東京本社
編集デザイン:美術出版デザインセンター(垣本正哉/笠毛和人/河野素子)
本展では16世紀後半から19世紀はじめ頃のスペイン絵画およびフランドル絵画を一覧できる。いずれも重厚な作品ばかりだ。
で、描かれている登場人物がみな、ものすごく演劇的なふうに見えるんですね。そういえば西洋絵画ってこんな感じだったよなぁ。しばらく日本画の雰囲気に慣れていたから、この大仰なドラマティックさが新鮮。クサいというかクドいというか、とりあえず画布の向こう側に「鑑賞者」が存在していることを十二分に意識している絵、なんですね。絵の中の人物がまっすぐこちらを見ている場合はもちろん、そうでない場合でも、「おめーさんよぉ、素だったらそんな大げさなポーズしねーだろー」てな芝居がかった表情と仕草なんであります。

タイトル通り、とある小さな村のお祭りの様子を描いた作品で、大いに呑んだり食べたりおしゃべりに興じていたり、大勢の村人たちが祭を楽しんでいる様子が生き生きと再現されている。そんな画面の手前中央に描かれているのが、引用しているカップル・ダンスの一群だ。ちなみにここではトリミングしてしまったが、バグパイプと、おそらくはハーディーガーディーと思われる楽器を抱えた二人のミュージシャンが、この右後方にいる。
この絵と、プライスコレクションで観た〈遊興風俗図屏風〉や〈群舞図〉との最大の違いは、描かれた踊り手たちの「意識のありか」ではないかと思う。たとえば、右側手前の男はあたかも「こっちに来て一緒に踊りなよ」と絵を見る者に向かって誘っているかのように思える。それから左端の両手をつないだカップルなどは明らかに“カメラ目線”で、かなりバランスを崩した体勢であるにもかかわらず(この一瞬後転倒してもおかしくない)、まるで自身のことには頭が回っていないかのようだ。ダンスの最中にカメラを向けられていることに気づいて、そっちに気を取られたせいで踊りが目茶苦茶になった、という感じ。
このカップルは何を見ているんだろう。あるいは、右の男はいったい誰を誘っているんだろう。
普通に考えるなら、彼らの視線の先にはこの絵の作者がいることになる。もちろんこの時代にまだ写真機はなかったはずだが、しかしこの「カメラ目線」はそういう風に画家が描き込んだものだ。祭の楽しさ(図録解説によると婚礼パーティーらしい)やダンスに夢中な人たちを描くことが主題なら、ことさら絵の外部にある「作者」や「鑑賞者」の存在を意識したようなポーズ/表情をとらせなくても良いはずなんだけど(この絵を見て「カメラ目線だ」とすぐに思ってしまうことそのものが、写真による映像をさんざん見慣れている現代人の感覚なので、この絵を見ていた当時の人たちとはまったく違う見方をしているはずなんだけど)。
《若冲と江戸絵画》展で観たふたつのダンス絵は、踊りの種類や絵としての描き方の違いこそあれ、ともに自分たちのダンスに没頭していて、外部からの視線などまったく意識していなかった。確かに〈群舞図〉を描いた鈴木其一自身は、明らかに鑑賞者に向かって「どうだ、かっこいいだろう」と胸を張っているんだけど、絵画に登場する人物そのものが観客に直接語りかけるわけではない。
このあたり、洋の東西での絵画(に限らず美術全般)に対する考え方や意識の違い、みたいなものとして明確に言い切ることは可能なんだろうか。ここに挙げたわずかな例だけで話を一般化させるわけにはいかないが、どうも西洋画の方が、鑑賞者に積極的に関与しようとしているようには思える。
そういえば、この“絵から見られている”感覚は久々だった。
子供の頃、ヨーロッパ名画のポスターだかカレンダーだかに印刷された肖像画って、部屋のどこにいてもこちらを見られている気がして、なんだか気持ち悪かった記憶がある。冒頭に書いた「勝手の違い」とは、長らく忘れていたこの感触のことだったかもしれない…と、このエントリを書きながら思った次第。
ここまでだらだらと書いてきたこととは別に、展覧会そのものはとても面白かった。最後のゴヤのコーナーはやはり圧巻で、ここを観るだけでも充分価値はある。
マリア・パヘスのファンとしては「プラド美術館」と聞くと反射的にゴヤを連想するんですね。ひょっとして《ラ・ティラーナ》に使われていた「黒衣のアルバ公爵夫人」の肖像画が観られるかも、とちょっぴり期待したんだけれども、さすがにそれはゼータクでしたか(^_^;)。
2006 08 03 [design conscious] | permalink
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