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天喜元年のハーピスト〜Bosatsu on Clouds

 

Bosatsu

●平等院 雲中供養菩薩
 発行/平等院 2005年4月印刷
 撮影/小川光三・株式会社ピー・エフ・ユー
 制作/株式会社飛鳥園・日本写真印刷株式会社
 
 
Byodoin  石を投げれば神社仏閣に当たる、というくらい京都はお寺やら神社やらが多く、全国的に有名な観光名所にも事欠かないのだけれども、地元に住んでいると滅多にそういう場所に足を向けないものだ。
 先日ふと思い立って宇治市にある平等院(国宝・世界遺産登録)に出かけてみたのだけれど、そういえばここに来るのは十数年、いや二十数年ぶりぐらいになるのかな。
 前に訪れたのがいつだったかもう忘れてしまったが、中学だか高校だか、ともかくガキの頃だ。再訪して、平等院がすっかり様変わりしていたので驚いた。なんだかずいぶん整備されている。
 記憶のなかの鳳凰堂は薄暗く古びていて、絢爛豪華だったといわれる昔日の面影などどこにもない風情だった。そうそう、鳳凰堂内部にも出入り自由だったはずだ。
 久しぶりに見た鳳凰堂はさらに色あせていて、なるほど年々劣化しているんだなと思ったが、内部に入るためには別料金が要るとはびっくり(平等院自体の拝観料は大人600円、鳳凰堂へは別途300円)。お堂は長らく修復中で、主要な宝物は2001年に新築された鳳翔館という資料館に展示されているというので、お堂の中に入るのはやめた(ご本尊の阿弥陀如来像は鳳凰堂に仮安置中)。
 その鳳翔館をはじめ院内には案内図や誘導パネルが付けられ、池のまわりも整備されてすっかり立派な「観光地」になっていた。まあ、ここは宇治最大の観光資源だもんなあ。
 
Ujigami 平等院の周辺はたくさんの寺院を含む名所旧跡が密集する、府下有数の観光ポイントでもある。その筆頭が立派になるのは喜ばしいことなんだろうけど、コドモごころに感じていたワビサビというか、廃墟っぽいとまでは言わないにせよどこか寂れた場末感みたいなものがほとんど一掃されていて、それはそれでちょっと残念な気もする。
 さすがカネのかけかたが「世界遺産」効果…といいたいところだが、同じ時期に世界遺産に登録された宇治上神社(写真右)の方は今でも質素でしかし凛としていて、雰囲気という点ではこちらの方が断然いい。すぐ目の前に送電線のでかい鉄塔やらテニスコートやらがあるのは興ざめだし、平等院と違って目玉になるような宝物もない、小さな小さな神社なんだけれども、一歩門をくぐれば、やはりここは特別な空間なんだなと思わせるなにかが漂っているように感じた。
 
 
 話を平等院に戻す。すっかり観光地化した、などと書いておきながらこう言うのもナニだが、鳳翔館はなかなか面白かった。中でも雲中供養菩薩像のいくつかが間近で見られたのには感激した。以前は薄暗い鳳凰堂の、それもうんと高いところにあったのを一所懸命目を凝らして眺めなければならなかったものが、ガラスケースの中とはいえすぐ目の前でじっくり観察できるのだ。これは実にありがたい。
 
 冒頭に掲げた書影は、鳳翔館のミュージアムショップで販売されていた供養菩薩の写真集。一般書店では扱ってないと思うが、宇治まで行かずともオフィシャルサイトから入手できる。
 鳳翔館には全52躯の全てが展示されていたわけではないが、ここに使用されている楽器の解説パネルなどもあって、ためになった。写真集の方にも同じ解説文が欲しかったところだ。
 
 これらの仏像は、平等院鳳凰堂が建立された天喜元年(1053)の作と言われているが、当時の日本で実際に使われていたと思われる楽器がたくさん出てきて、それぞれの音色を想像するだけでも楽しくなってくる。
 打楽器がいちばん多くて鼓から鉦まで大小取りそろっており、管楽器は横笛、縦笛に笙。弦楽器は琵琶や琴。そしていちばんびっくりしたのが、ハープまであったということ。箜篌(くご)というんだそうだ。帰宅してネットで調べてみたら、正倉院の残欠から復元したものがあるそうだ(参考/中国百科 CHINA ABC千年の響き:復元楽器と声明慶應義塾大学 JASRAC寄附講座岡山市立オリエント美術館:箜篌(クゴ)のきた道…などなど)
 箜篌を弾いている像の実物は展示されておらず、間近で見られなかったのは残念。今から思えば、ひょっとして鳳凰堂にいけば見られたのかな。この写真集に収められているカットは真正面からの画像なので、楽器の姿がよくわからないのが惜しい。ここでの箜篌は、上のリンク先に見られる復元楽器のような大きなものではなく、中型のアイリッシュ・ハープくらいの大きさで、ハーパーが片膝を立てて楽器を安定させている。爪弾いている指先がなんとも繊細だ。この菩薩さまはもっといろんな角度から拝んでみたかったなぁ。
 
 
 建立当時の平等院は外装も内装も極彩色で、ご本尊も金ぴかだったというから、さぞかしケバかったことだろう。雲中供養菩薩像もそれぞれ相当に派手だったに違いなく、まあ<この世の楽園>みたいなコンセプトの建物なんだからそれでいいんだろうけど、お寺は古色蒼然としているのがアタリマエという風な思いこみがあるものだから、どうもケバい平等院というのがイメージできない。ミュージアムショップには当初の姿を3DCGで再現したという本も売っていたが、悪い冗談としか思えなかった。
 もっとも、平等院を建てた藤原頼通が現在の姿を見たら、時の無情さに涙するかもしれない…いや、どうなのかな。殿上人ならぬ身には、そのへんの心情は想像もできないや。
 

2006 09 30 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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