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LOUVRE 2006

●ルーヴル美術館展 —古代ギリシャ芸術・神々の遺産—
東京展 2006年6月17日〜8月20日 東京藝術大学大学美術館
京都展 2006年9月5日〜11月5日 京都市美術館
【展覧会図録】
発行:日本テレビ放送網株式会社
表紙デザイン:有山達也+飯塚文子(アリヤマデザインストア)
昨年に続いてまたもやルーブルが来ているんだけど、改装中とかそういう理由でもあるのかな。この夏、町中で告知ポスターを見たとき「なんだまだ去年のポスター貼ったままかよ」とか思ってしまったんだけど、よくよく思い出せば展示内容が全く違いますわな。

しかしこの聖アウグスティヌスなんかはむしろ例外で、全体的になんとなく淫蕩っつーか好色っぽい作品が多かったような気もする。展覧会のテーマが「19世紀フランス絵画——新古典主義からロマン主義へ」だったからまあそんなものかもしれない。「いかにもフランス」なのかどうかは知らないが。
今回のテーマは古代ギリシャだ。それも絵画ではなく、彫刻とレリーフが大半を占める。
で、今年はたいへん堪能いたしました。紀元前4世紀だとか3世紀だとかのモノが(ところどころ欠けているとはいえ)ちゃんと残っていることにも今更ながら驚かされるし、同じ大理石といっても産地によって全然違う素材感だなあというのもよくわかった。
それにしても、今から2500年くらい前に作られた人物像なのに、プロポーションだとか筋肉の付き方だとかが現代人の目にも完璧に見えるし理想的だと感じられるのは、実はもの凄いことなんじゃなかろうか。いったい、人間の身体観って有史以来なんの変化もないんだろうかとさえ思ってしまう。これらの彫刻が今なお“古典中の古典”であり続けている事実が全てを物語っているのだけど、でも最初にこんな完璧なモノを作られてしまっちゃぁ、後代の彫刻家はたまったものではないよなぁ。
ところで、これらの彫刻はどこまでリアリズムなんだろう。当時のギリシャはこんな10頭身だか11頭身だかのすんげぇプロポーションの女ばっかりだったんだろうか、野郎は全員筋骨隆々だったんだろうか。現実にはそんな人たちしかいなかったとは思いにくいし、だからこそ彫刻というカタチで「理想の身体」を遺しておきたかったんだろうと思うのだけど、当時はちゃんとした市民なら身体を鍛えて当然、というのが常識だったようだから、理想に近い連中ならゴロゴロいたのかもしれない。ということは、紀元前400年頃のアテネって街じゅう肉体美で溢れかえっていたのかなあ。なんかそれはそれで気持ち悪い気もする(笑)。まあ少なくとも、現代人みたいにコレステロール溜めまくり体脂肪ありまくりってことはなかっただろう。
身体の表現もさることながら、たとえばアフロディテを集めたコーナーを眺めていると、顔や表情や肉付きの表現以上に、とにかく布のドレープ表現に精魂込めているようにも思う。素材が石だとはにわかに信じられないくらいなめらかで柔らかく、また見る角度によって表情が変わるのも面白い。いい彫刻作品を前にするたびいつも思うんだけど、今回も触ってみたくなってしょうがなかった。どうも私は、今回は人物よりも布の方に官能性を感じてしまったみたいだ。
レリーフや彫刻だけでなく、壺もいくつか展示されている。レリーフや壺はほとんどが墓碑とその埋葬品なんだそうだ。
壺や皿に描かれている人物像の方は、彫刻に比べるとかなり堅い表現であるのが興味深い。顔も全部横向きだし。
三次元の存在を二次元で表現することに、まだ慣れていなかったんだろうな、きっと。その素朴さがいい味を出しているのだが、やたらリアルに作られている彫刻とのギャップが面白く感じた。レリーフも“2.5次元”らしい中途半端さが、かえって独特の味になっているように思う。
我々は両者の表現の差にギャップを感じるんだけど、当時のギリシャの人にとってはどちらも同じレベルで「リアル」な表現だったんだろうなあ。そのへんの感覚は、想像しようにももはや無理ではあるんだけど。それはたとえば、現代日本の「萌え絵」を古代ギリシャ人に見せたらどういう反応をするのか想像もつかないのと同じこと…かもしれない。
2006 09 14 [design conscious] | permalink
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