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[book]:黒いヴィーナス ジョセフィン・べイカー

 

べーカーはいつも記憶の鳥籠という架空の囚獄の中で、第二次ベル・エポックのあえかな錯覚の象徴として、金線の声をふるわせている。——塚本邦雄

 
 
Kuroi_venus

 
●黒いヴィーナス ジョセフィン・べイカー 狂瀾の1920年代、パリ
 猪俣良樹著/青土社/2006年8月刊
 ISBN4-7917-6286-X
 装幀:桂川潤
 
 のっけからナニだが、本書の主人公は必ずしもジョセフィン・べイカーその人ではない。オビに書かれた惹句<生誕100周年、はじめて明かされるその全像>は、だから看板に偽りありではないかとも思う。本書はむしろ、彼女のせめて略歴程度は知識として持っている人が読むと、より一層面白いのではないだろうか。
 彼女の評伝はこれまでにも多く書かれているので(自伝もある)、図書館に行けばなにかしら見つかるはずだし、略歴ならばたとえばネット上でもWikipediaにまとめられている。で、ひと通りのアウトラインを頭に入れた上で、ではなぜジョセフィン・べイカーが1920年代〜30年代のパリを象徴する存在になり得たのか、本書はその背景を重点的に描く。
 もう少し正確に書けば、この本で著者が描いているのは、彼女を時代の主役ならしめた当時のフランス社会のありかた、以前このブログで『アール・デコ展』の感想を書いた時に使った言葉をもじれば「時代の無意識」とでも言いたくなるようなナニモノカである。
 
 
 どの時代でもそうだが、政治や文化のさまざまな局面において<光と影>が生まれるのは仕方のないことと言える。しかし、その<光>のうちにも、後の世まで変わらず讃えられる物事もあれば、時代が変われば忘れ去られるものもある。単に忘れ去られるだけならまだしも、なかば意識的積極的に<なかったこと>にされるものもある。この時代でいえば、「人間動物園」がそれにあたる。
 19世紀後半から、欧米列強は世界各地を競って植民地化し、地球上には西洋以外に多種多様な「人種」がいてそれぞれの風土にあわせた生活をしていたことが<発見>される(と、こういう言い方自体かなりアレだが)。そのとき宗主国はなにをしたか? あらたに植民地として支配することに成功した現地の人びとを本国に連れ帰り、世にも珍しい見世物として生きたまま<展示>したのである。それが「人間動物園」だ。
 現代の倫理観からするととんでもないコンセプトだが、当時の「文明社会」においてはそれは正義であった。そこには、自国の領土が地球上のあらゆる地域に及んでいることを誇る政治的な意味も含まれるが、それ以前に、ダーウィン流の進化論を証明するなによりのサンプルとして「科学的」な行為として正当化されていた、らしい。なんにせよこの手の「人種の展示」は、学術的であれ露悪趣味であれ、ハイブロウからロウブロウまで非常に多くの階層の好奇心を満たすものとして、文明の勝利を高々と謳う当時流行の博覧会の目玉となった。その行為に疑いを持つ人はかなり少数派だったのである(たとえば、1931年—すでに各植民地で独立運動が増加しはじめる時期だが—の「パリ植民地博」には800万人の観客が押し寄せたが、シュルレアリストたちが34年に開いた反植民地博展「植民地の真実」の入場者数は延べ5000人にとどまったという。両展の開催期間や規模に差があったにせよ、大手メディアやなにより政府機関が大々的に植民地政策を正義としていたことを考えれば、まあそんなものだろうという気がする)。
 
 著者によれば、こういう「人間動物園」の歴史は古いが、その研究はここ数年のうちに始まったばかりだという。忘れ去られた、というよりむしろ意図的に忘れようとしていたフシのある「人間が人間を見世物にする」行為が、ごく短い期間のごく限られた場所であれ、なにか光り輝くものであり文明や科学力を誇示するものであったこと、その「興行」が実は多くのインチキやヤラセによってかろうじて成立していたにもかかわらず、当時それを気にする者はほとんどいなかったらしいこと、などは今後もっと詳しく明らかになっていくと思われる。
 
  
 ジョセフィン・べイカーは、そういう時代のパリに登場した。アメリカ人であるにもかかわらず「アフリカ」(それはつまり反文明であり、原始の生命力であり、野蛮なエロスであった)の象徴として迎え入れられ、瞬く間にパリの「顔」となった。その顛末の詳細は本書にゆずるが、デビュー当時の新聞記事や雑誌の論評などを豊富に引用しつつ紹介しているあたりは非常に読み応えがある。他にも彼女の出演作の幻の台本を発掘するなど、著者のねばり強い取材はすばらしい。
 
 けれども、ではなぜ彼女だけが時代の象徴になり得たのか、そこのところは本書だけでは結局よくわからない。数は少なかったにせよ他にも<有色人種>がパリに来ていたと思われるのだが、彼ら彼女らはジョセフィン・べイカーと同じような扱いはついに受けられなかったのだろうか? 彼女の舞台には共演者として同じような境遇の芸人もいたはずだが、それらはひとり残らずジョセフィンの「引き立て役」に過ぎなかったのだろうか? 19世紀後半から20世紀初頭の「西洋先進国」社会の人種感や偏見を本書は丹念に追いかけるのだが、その象徴としてのジョセフィン・ベイカーにスポットを当てすぎたおかげで、「彼女以外」にまで触れる余裕がなかったのだろうか。かといってベイカーの伝記本としてみると、この時代以外の出来事は概略を記すにとどまり、巻末に年表が附いているとはいえ<その全像>を理解しようとすれば他の本も参照せざるを得ない。まあ、それをやっているととてもじゃないがこのページ数では収まらないのだけれども。
 
 
 ジョセフィン・べイカーが一夜にしてパリ中の注目を集め、賛否含めて大論争を巻き起こしたのは、ごく冷静に考えれば彼女の「芸の力」のはずである。たとえ当時のパリジャンには彼女の類い希なる裸身しか眼に入らなかったにせよ、それを武器として最大限に生かせたのはやはりダンサーとしての技量の高さ、身体能力の高さであったに違いないだろう。
 そういえば昨年の『アール・デコ展』ではジョセフィン・べイカーを描いたスケッチと共に、実際に彼女が踊っている映像も展示されていた。いま試しに通販サイトを覗いてみたら、CDだけでなく写真集やDVDもいくつか手に入るようだ。「ダンサー/芸人としてのジョセフィン・ベイカー」を知るには、やはり直接自分の眼で確かめてみるのがいちばんの近道なのだろう。時代が変わり価値観や倫理観が180度違ってしまっても、それらの映像の中では今もなお、彼女の肉体が美しくも妖しい<オーラ>を放っているはずである。
 
 ※冒頭の引用は塚本邦雄『増補改訂版 薔薇色のゴリラ 名作シャンソン百花譜』北沢図書出版(1995年)p.222より

2006 11 27 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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