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[book]:日本の近代化とスコットランド

 

Jp_scots

 
●日本の近代化とスコットランド
 オリーヴ・チェックランド著/加藤詔士・宮田学編訳
 玉川大学出版部/2004年4月刊
 ISBN4-472-40306-4
 装幀:渡辺澪子
 
 明治このかた、日本に長期間滞在した外国人の数はどのくらいになるんでしょうね。政府に招聘された、いわゆる「お雇い外国人」だけでなく、民間企業が呼ぶこともあるし、呼ばれなくても勝手に向こうから押しかけてくる(笑)人も多いでしょう。本書はそのなかで、日本の近代化に関係したスコットランド人にスポットを当てています。
 
 本書の目次は以下の通り。
第一章 明治日本における経済学の到来
第二章 明治日本のスコットランド人
第三章 日本・スコットランド間の技術移転と文化交流
第四章 岩倉使節団の英国視察
第五章 工部大学教授 H・ダイアー
第六章 日本灯台の建設者 R・H・ブラントン
第七章 たぐいまれな技術者 W・K・バートン
第八章 絵師・河鍋暁斉と英国人
第九章 国際性に富んだ銀行家 添田寿一
第十章 竹鶴政孝とスコットランド人の妻

 著者は慶應義塾大学で講義を行ったこともある学者さんで、本書は1980年代からおよそ20年ほどの間に発表されたさまざまな論文を編集したもの。各章は独立した一編なので、興味の向くパートから自由に読むことができます。
 上の目次でもわかるように、経済学などの学問をはじめ技術(主に工学や土木)や実業、絵画などの文化、さらにウイスキーづくり(第十章の竹鶴政孝はニッカウヰスキー創業者)まで、多岐にわたる内容です。私は経済や土木にはヨワいので、まず八章と十章から読み始めましたが、すぐに他の章も読みたくなりました。著者は親日家らしく、本書のはしばしに日本に対する好意や真摯な理解を感じることができます。そしてそれと同じ、いやそれ以上に、英国から見て地球の反対側の島国にまではるばる海を渡って行った、多くのスコットランド人に深い愛情を注いでいます。
 
 それにしても、なぜ「スコットランド人」なんでしょう。著者自身も述べているように、「スコットランドという国家」はとうの昔に存在しません。
 スコットランドといっても政治的な実体がないため、日本人(やほかの多くの国民)には、スコットランド人という言葉はめったに使われない。その時期のスコットランド人は、現在と同じく、いつもイギリス人(English)とかせいぜい英国人(British)と呼ばれることに慣れていた。また、日本政府の公式記録も役に立たない。というのも、日本で活動したイングランド人とスコットランド人、それに実際はオーストラリア人とニュージーランド人も、公式用にはすべて英国人と一括されたからである。(p.40)

 つまり、来日した外国人のなかで特に「スコットランド人」だけを抽出するのは、事実上きわめて困難な事業とならざるを得ません。しかもそんな彼らの足跡を辿っていって、その影響力がはっきりと認められるものはごくわずかでしょう。著者自身、明治初期に来日したスコットランド人教師は「スコットランド特有の教育観を、ある程度日本にもたらした(p.50)」としながらも、同じページに「たいていのスコットランド人は個別に教師として任命されたため、スコットランド特有の方針で学校や大学を左右するということはなかった(同)」とも書いています(そのほとんど唯一の例外が、のちに東京帝国大学に併合される工部大学校の設立)。逆に考えれば、スコットランド人が極東の地にもちこんだ「ものの考え方」や「精神のあり方」は、当初から日本人にとって親和性が高く、もはや影響力の検証が難しいくらい日本に深く広く溶けこんでしまった、とも言えるのかもしれません。思えば「蛍の光」や「麦畑」のメロディが、異国情緒と呼ぶにははるかに日本的なそれとして、今やすっかり「郷愁」を感じさせるものになっているのも、そのひとつのあらわれなのかもしれません。
 
 本書で知ったんですが、長崎のグラヴァー邸で名を知られるトマス・ブレイク・グラヴァー(1838-1911)もスコットランド人だったんですね。危ない商売にも手を出していたグラヴァーを、著者は「二流」と評しているのが面白い。他にも夏目漱石がグラスゴー大学を受験する日本人学生のため試験官として働いたことなど、本書は多くのエピソードに彩られています。スコットランドが日本へ与えた貢献以外に、スコットランドへ渡った日本人留学生と、彼らが彼の地へもたらしたものにも触れており、二国間の交流が親密であった様子を、著者は実に丹念に追いかけています。
 
 
 個人的に物足りないのは、これだけ多種多様な交流史のなかに、惜しいかな音楽関係の言及がほとんどないこと。わずかに、民間の親睦活動として以下の記述がみられます。
(前略)聖アンドリュー・クラブをとおして、スコットランドのカントリー・ダンスを催したり、ケイリーや「勝手気まま会」を組織したりした。この「勝手気まま会」では、参加者全員が歌をうたうとか、詩を朗唱するとか、あるいは皆が楽しめるようなことを何かするように求められた。(中略)バーンズ・クラブは詩作のための行事や、ロバート・バーンズ(「蛍の光」の作詞で知られるスコットランド生まれの詩人)の一月二五日の誕生日を祝うことで最高潮となる宴会を開いた。こうした集まりでは「ハギス(羊や子牛の臓物を材料にしたスコットランド料理)に捧ぐ」や「ご婦人方に乾杯」といった儀式がおこなわれるだけでなく、スコッチ・ウィスキーがたっぷりとふるまわれた。(P.60)

 ああ、こういうケイリーの詳細をもっと知りたいっ。
 

2006 11 25 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

えーっと・・夏頃にスコットランド協会の関西支部のパーティー(?)に呼ばれて演奏したんですが、それもこの流れに入ってるんでしょうか。
バイキングでハギスもちょこっとありましたっけ。
詩の朗誦はなかったかなぁ。

posted: (2006/11/28 22:59:27)

 コメントありがとうございます。
 そういえばJSSの設立っていつごろなんでしょうね。協会のサイトにも沿革には触れられてないんですが。
http://www.d4.dion.ne.jp/~jpn-scot/
 本文に引用したようなケイリーや集会が、その母体となったんだろうなとは想像できるんですが、実際のところはどうなんでしょうね。公的記録にも残りにくい細かな民間交流史も含めて、そのあたりの詳しいことはたぶん協会の方がいちばんご存じなのではないでしょうか。新書などの、一般人が手に入れやすいかたちでまとめてもらえたら嬉しいんですけどねえ。

posted: とんがりやま (2006/11/28 23:32:42)

ここで知って、とりよせて読み終えました。

論文スタイルの文章は久しく読んでないので、読み終えるだけで疲れました。

中でも興味深かったのは、灯台の整備にもスコットランド人技術者が活躍していた、という点。
今ではあって当たり前ですが、開国の大きな目的の一つが諸外国との公益にあったことを考えると、灯台システムの整備は非常に重要だったはず。
日本からはるか離れた国からやってきて、明治日本の礎を気づいた人物の中にスコットランドの人がかなりいたという事実は、もっと世の中に知られていてもいいことなのかもしれません。

ただ、とんがりやまさんもおっしゃっているように、芸術面での論述がほとんどなかったのは残念。竹鶴さんの話も論文としてはマルなんだろうけど、読み物としてはもう少しなにか足りないような気もしました。

posted: dunkel (2007/01/17 20:11:14)

 コメントありがとうございます。
 灯台もそうですが土木関係に強かったというのがけっこう意外な感じでした。フランスならこの方面とか、あの関係ならドイツだとか、そういう風な「ジャンル分け」みたいなのがあったんでしょうかね。スコットランド人たちの活躍だけでなく、そういうあたりもいろいろ知りたくなってしまいました。

>竹鶴さんの話も論文としてはマルなんだろうけど、読み物としては
 あの一代記は小説化すればかなり面白いものになりそうですよねぇ。どなたか書いてないのかな。NHKの朝の連ドラもいいかも?

posted: とんがりやま (2007/01/17 21:00:57)

 

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