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[exihibition]:浅井忠と関西美術院展

 

Kansai_zuroku

●浅井忠と関西美術院展
 東京展:2006年8月26日〜10月9日 府中市美術館
 京都展:2006年10月17日〜12月3日 京都市美術館
 
【展覧会図録】
発行/府中市美術館・京都市美術館・京都新聞社
デザイン:西岡勉
 
 一見、地味なテーマの展覧会である。けれども、とても興味深い展覧会でもある。明治から昭和初期にかけて、日本の美術界はどういう活動をしていたのか、本展は「関西美術院」というひとつの美術団体を軸に、その活動の一端を見せるものだ。
 
Underthelamp 個人的な興味から、明治期の洋楽導入、いわゆる「洋楽事始」に関する本はいくつか読んできたのだが、そういえば絵画に関しては、私はそのへんの知識がまるきり欠落している。せいぜい一ノ関圭の短編集『らんぷの下』(写真右=小学館文庫いD-1/2000年6月刊/ISBN4-09-192461-1/装幀:海野一雄+ベイブリッジ・スタジオ)を読んだくらい。もちろんフィクションなんだけど、当時の若き画家たちの「気分」や彼らをとりまく時代の「雰囲気」がとてもリアリティをもって描かれている漫画だ。
 しかしながら、一ノ関作品の舞台は東京。この展覧会はほぼ同じ頃の関西(というか京都)が舞台で、もちろんこちらはフィクションではなく、実際の絵画作品がたくさん並んでいる。風景画には京都やその近郊に材を取った作品も多いので、地元民としてはいっそう興味深い。
 
 関西美術界のキーパーソンのひとりが、展覧会タイトルにも出ている浅井忠。私はこの人の絵が好きで、本職(?)の油彩画以外にもいろんな作品を遺しており、そのあたりはそのうち別エントリを立てるつもり。本展には彼の作品もいくつか出展されてるが、全体からすればホンの一部である。
 それよりもこの展覧会では、もっと大きな流れ、この時代の日本の絵画の「うねり」のようなものをこそ観るべきだろう。浅井をはじめ安井曾太郎、梅原龍三郎、須田國太郎といった「ビッグネーム」も登場するけれども、今となってはほとんど忘れ去られている作家も数多く、それらが総体となって迫ってくるさまは、なかなかに圧巻。むしろ、個々の画家名などいっさい構わずに、ただただ作品だけを追っていく方が面白いかもしれない。
 
 というのも、関西の美術家が、西洋(主にフランス)の新しい潮流にどんどん乗っかっていくさまがよくわかるんですね。これは関西だけでなく、東京の美術界でも同じか、あるいはもっと過激だったのかもしれないが。なんだか西洋近代絵画史をコマ送りで見ているような、そんな不思議な感覚に襲われるのだ。バルビゾン派あり、セザンヌあり、そうかと思えばフォービズムありキュビズムありで、まぁホント節操がないこと(笑)。
 こういう風な、「展覧会」というカタチにしてしまえば時間を圧縮せざるを得ず、だから本当はもっとゆるやかな「進化」だったのかなとも思うんだけど、説明パネルについている制作年代を見ても、そんなに間が空いているようにも思えない。要するに、それだけ「新時代の新潮流」に対して貪欲だったということの証なのだろうし、みな真面目でひときわ熱心だった、とも言えるのだろう。今も昔も、日本人はとかく新しモノ好きでもあるしね。
 
 
 浅井がフランスに留学したのは1900年、02年に帰国して9月から京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)で教えはじめ、1906年に関西美術院を設立。初代院長に就任するも翌07年に亡くなっている。帰国してから5年、フランス留学から数えてもわずか7年の間で、美術教師として大きな仕事をし、画家たちをまとめあげて美術団体を作り、もちろんそれだけでなくいち作家としても数多くの業績を残した。
 揺籃期が面白いのは美術や音楽に限らずなんでも同じで、たとえばあの『プロジェクトX』なんかがヒットしたのもそういう「最初の情熱がもたらす面白さ」にあるからだろうが、この展覧会には、そんな創生期ならではのパッションがいっぱい詰まっているのだ。だから、ひとつひとつの作品は一見地味なようだけど、通してみるとそのダイナミックさ加減がずっしりと印象に残るというわけ。
 
 関西美術院は現在も活動を続けているが、その内部ではさまざまな動きがあったようだ。浅井の門下生には洋画家だけでなく工芸家(彼が渡仏したころ、彼の地ではアール・ヌーヴォー全盛期だった)や日本画家(浅井は日本画もたくさん描いている)もいる。関西美術院に在籍していた日本画家のなかで、西洋流のデッサンを学んで日本画を革新させようとする一派があったそうで、展覧会中「丙午画会——関西美術院と日本画の革新運動」というコーナーにまとめられているが、私にはその一角がもっとも面白く感じられた。
 
 「新時代にふさわしい日本画を」と、西洋風の日本画を模索するわけなんだけど、当時からあまり評価されていなかったらしい。丙午画会じたいも脱退者が多かったりするなど安定した活動を見せなかったようで、じっさいに展示された作品を観てもなるほど、とくに「日本画」であらねばならない作品であるようにも思えないのがほとんど。
 けれども、じゃあ「日本画」って何なのさ、どこまでが「洋画」でどこからが「日本画」なのか、というあたりをちゃんと考えようとすると、実はよくわからなくなってきたりもするのである。私も、ずいぶん昔、知人の日本画家にそのへんのことを尋ねたことがあるんだけれど、いまだによくわかっていない。少なくとも、和紙に墨や岩絵具で描かれた作品を日本画と呼ぶ…というような、そんな単純なものではなさそうだ。
 
 丙午画会のコーナーを眺めながら、久しぶりにそんなギモンが頭をよぎってきた。彼らにとっては、それは私のチンピラなギモンよりもずっとずっと真剣な、まさに切実な問題だったはずであり、そう思ってもう一度展示作品を眺め直すと、なおいっそう味わい深い。

2006 11 13 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

はじめまして!botticellianoと申します。
京都市地下鉄のチラシコーナーに「浅井忠と関西美術院展」という文字が躍っていて気になっていた数日後、岡崎で「関西美術院」という建物を発見し、気になっていたところです。
今回の京都市美術館へ行く時間がないと諦めていましたが、このブログを拝見して行きたい気持ちがウズウズしてきました。
これからもお邪魔させていただきますね☆

posted: botticelliano (2006/11/14 23:26:55)

 はじめまして、コメントありがとうございます。
 最近は、ルーブルや若冲など人がわんさか集まる展覧会に足を運ぶことが多かったので、この展覧会の適度なパラパラさ加減はホッとしました。落ち着いた色調でシブい作品ばかりですけど、錦秋にふさわしいのではとも思います。

>これからもお邪魔させていただきますね☆
 ありがとうございます。ローライ・ミニデジをかなり活用されておられますね! わ、私も見習わなければ…(汗)

posted: とんがりやま (2006/11/15 19:35:51)

 

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