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浅井忠が描いた漫画

●當世風俗五十番歌合 巻上・巻下
浅井忠画・池辺藤園作歌
明治四十年三月吉川弘文館発行
昭和五十八年六月芸艸堂発行
以前このブログで、大正7年に刊行された『寿々』という本を取り上げたことがありますが(参照:【寿々】—大正時代の趣味絵本)、こちらはもっと古く、明治40年(1907年)に出版されたもの。ざっと100年前の本です。私が持っているのは昭和58年の再刊本なんですが、初版200部というからまぁ稀覯本の類で、これ自体が美術品の仲間なんでしょうか。私はごく大雑把な性格なので普通の本とおなじような扱い方しかしてませんが、マニアの方から怒られるかも(^^;)。

明治40年というと浅井が亡くなった年で、彼は12月に没していますが、この本は同年3月に出ていますから、かろうじて間に合ったという感じでしょうか。実際に絵が制作されたのは明治38年の終わりで、歌を担当した池辺藤園義象は「(10月の)広隆寺牛祭の際、摩吒羅神のお告げによって生まれた」と書き残しています。
附録の解説書を書いた原田平作の指摘によれば、この作品は「これが鎌倉時代以降続いてきた所謂職人尽歌合の最後のもの」とのこと。四季絵や名所図絵などと同じように、当代の風俗をなるべく多くの階層にわたって描き残した作品なので、風俗資料としても貴重でしょう。
一番につき一対の人物が登場し、絵と歌でその人物の特徴が巧妙に描かれます。「歌合」というからにはどちらが「すぐれているか」という判定が付くのが趣向で、読者は描かれる登場人物の取り合わせの「面白さ」、歌の「面白さ」、そして下された判定の「面白さ」を楽しむことができるというわけ(この作品では判定も池辺が担当。なんかビミョーな判定が多い気もしますが)。
取り上げられた人物は職人だけではなく、そこが當世「風俗」となっているゆえん。明治後期の「當世」なので洋装の人物も多く登場します。つまり多くの場面で「和 vs. 洋」の対決があって、そこがこの作品の最大の面白さでしょう。さまざまな「対決」が50番、都合100人の明治人が出てきます。

たとえば左の図は第46番、洋服の遊猟人と和装の鳥さしの対比です。絵はいずれも左ページに置かれ、対向ページに歌と判定の文章が載っています。歌の部分を引用してみます。
左 遊猟人 名月のあかくなるまであされども
兎のかげも見えぬやまかな
右 鳥さし 狙ひつる的は外れて鳥さしの
あきれし顔をひたすくそかな
歌を詠んでみると、結局どちらも獲物なしなのがオチ。洋装が「禁制の場所か」とがっくりしながらタバコをふかしているのに対し、逃げた鳥にくそを「ひたされた」(小便をひっかけられた、の意)和装は「自由に指せるはしめたしめた」と、成果ゼロでもあまり気にしていない様子。猟に禁制の場所があるなど制約の多い「洋風」に対して、小便をひっかけられようが「自由に」鳥刺しができる「和風」の方がマシだよね、という図です。

画中に加えられたセリフには、西洋画家が「モデルハ陰の色がなどとぬかしをる」と、雇ったモデルに自分の絵を酷評されておかんむり。日本画家の方はしかめつらしい顔をしてますが「朦朧体でコマカスかな」とつぶやかせ、当時横山大観や菱田春草あたりの人気画家が多用して流行だったスタイルを「ごまかし」と揶揄しています。
ここらあたりは、浅井忠が押しも押されぬ当代随一の「西洋畫師」だったことに遠慮してるんでしょうか。画中の画家はどちらも大したセンセイではなさそうですが、判定は西洋畫師の勝ちとなっています。ちなみにこの作品は、先に浅井が絵だけを描いて池辺に渡し、池辺は絵に合わせて歌と判を作ったそうです。こちらも歌を引いておきましょう。
左 西洋畫師 モデルにとやとひし女いかなれば
われに恥さへかゝせたりけむ
右 日本畫師 画そらごとの金言まもりけふもまた
尻尾の黒き鶴かきてけり
浅井忠といえば明治期に洋画を究めた大家として知られていますが、ではこの『當世風俗』はどういう位置付けなんでしょう。文人の酔狂な余技? まあ、そういう軽い気持ちで描かれた絵には違いないでしょうが、だからといって取るに足らぬものと思ってしまうのも勿体ないかなとも思います。
「社会や生活の“いま”を、哄笑を誘うやりかたで描いた」という意味で、やはりこれは漫画と呼ぶしかないんじゃないかと思います。当時の漫画はいまよりもはるかにジャーナリスティックな要素が強く、たとえ本業のあいまの手すさびにせよ、多くの画家や小説家が漫画漫筆に腕を競った時代でもありました(川端龍子や竹内栖鳳、大正期ですが朝日新聞記者の岡本一平など)。コマ漫画が登場する直前、まだ「漫画というジャンル」が未分化で混沌としていたこの時代、考えようによっては、漫画は今よりはるかに自由で「なんでもあり」だったと言えるかもしれません。ちなみに、昭和初年に読売新聞で『あわてものの熊さん』をヒットさせた前川千帆は、明治40年に関西美術院に入り、ギリギリのタイミングで浅井忠から学ぶことができた人です。



浅井忠の漫画作品の代表作は、『当世風俗五十番歌合』である。明治30年代の風俗を五〇葉の木版色刷り漫画で活写している。これは抜群の素描力をもった画家だからこそ描きえたものである。この漫画が描かれたのは明治38年10月であった。その絵に友人の池辺藤園が歌と詞書とを添え、『当世五十番歌合』が出来上がり、明治40年その木版和装本上下二冊が版行された。ハイカラ趣味や伝統風俗が入り混じる明治後期社会の働く人人や先端ファッションを描いているが、一葉二人ずつ合計一〇〇人の登場者のうち女性はわずか一四人しか描かれていない。外で働く女性がきわめて少なかったことがよくわかる。(pp.115-116)
浅井はこの他にも美術雑誌に戯画を寄せていたり、また大津絵にも取り組みました。皿や茶碗・壷などに絵付けした工芸作品も多く、今で言うデザイナー的な活動もしていて、日本にアール・ヌーヴォーを伝えたひとりでもあります。
本業である油彩画やロマンチックな工芸デザインと比べると、漫画や大津絵は人気の面でちょっと落ちるのかもしれないですが、それは多分に現代人の好みで見ているからであって、本来はもっと高く評価されてもいいはずです。
本書の解説書には、浅井忠の作家的な本質を考えれば『當世風俗』は必ずしも特異なものではないという、なるほどと思う指摘がなされています。
本書のような作品は、例えば《針仕事》や《待合室》、或は《風景(里帰り)》のような作品として、早く明治二十年前後にもあるし(中略)あの滞欧中の名高い「グレーの洗濯場」関係にしたって、このような傾向をもつものと解されうるということである。だいたいあのような洗濯場に眼が行くというのは、やはり人の生活や人生というものに、格別の関心をもっていたからではないだろうか。(解説:原田平作 p.11)
私が浅井忠の作品をまとめて観たのは1981年、京都市美術館で行われた大規模な回顧展ただ一度きりです。美術展に足を運ぶようになったごく初期で、はじめて自分の小遣いで展覧会図録を買ったのもこのときでした。そのときの図録は数年に一度眺めるかどうか程度で、その後も浅井を特別熱心に追いかけることもありません。けれども、たまに見直すとやっぱり良いんですね。色がきれいだなあ、デッサンが上手いなあ、表情がやわらかだなあと、そのたびに感銘を受けます。いつかまた大がかりな回顧展をやってくれないかなあ。
以下余談。それにしても、わずか100年前の書物なのに、書いてある文字がほとんど読めないのが情けない(詞書を浄書したのは、書家の永井素岳という人。きれいな字だとは思うんですが、なにせ流麗すぎて)。解説書に読み下しが載っているからいいものの、本体だけだったら完全に外国語の本であります。
私が古文を読む教育をロクに受けてこなかったからなんでしょうけど、義務教育以外の特別な教育や訓練がなければお手上げになってしまうほどに、私たちの母語は——少なくとも書き文字は——全く変わってしまったんだなあと、改めて思ったのでありました。
2006 11 23 [design conscious] | permalink
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comments
手持ちの本で調べてみますと、須山計一「漫画博物誌日本編」(1972年)に以下の記述がありました。「浅井忠は号を黙語と称して『当世風俗五十音歌合』という傑作漫画をのこしている。往昔の『職人歌合』を模したやり方で、漫画風俗に、漫歌をそえたものであるが、すぐれた作も多い」
職人歌合は鎌倉末期の「東北院職人歌合」を元祖として描かれ始め、江戸文政期にも「今様職人尽歌合」なんてのがあるようです。これらを鑑賞するとき、草書の読解もそうですが、和歌の意味がよくわからんというのも現代人にとってネックですねー。
posted: 漫棚通信 (2006/11/23 11:26:15)
コメントと文献紹介ありがとうございます。
江戸末期〜昭和初期は漫画に限らず大衆文化の面でいろいろ興味深いですよね。浅井作品にしても、こういうお高い木版本でなくてもいいのでもっと広く紹介されるといいんですけど。
この漫画も含めて、まもなく開館する京都国際マンガミュージアムでは、その頃の作品がいったいどのような扱いをされているのか楽しみです。
posted: とんがりやま (2006/11/23 11:41:11)