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「観客」考(1)

 
 昨年(2006年)末の『ケルティック・クリスマス』でのできごとである——といってもわたしはその場にいたわけではなく、あとから聞いた話なんだけど。

 
 12月13日の『ケル・クリ』関西公演、今年は兵庫県立芸術文化センターで行われた。出演はルナサとティム・オブライエン&ダーク・パウエル。主にルナサ目当ての友人が喜び勇んで出かけたのだが、なにせ会場はオペラやバレエ公演なども行われる、まだ新しい立派なコンサートホールである。
 友人とその一行は運良く前の方のいい席が取れて、気分良く音楽を楽しんでいた。ところがルナサの白熱した演奏にあわせてノッていたら、すぐ後ろの上品そうなご婦人から「静かにしなさい」と一喝され、しょぼーんとなってしまった、というのである。
 
 わたしはこの公演には行けず、翌日の京都のライブハウス、磔磔でのルナサ単独公演の方にかろうじて潜り込んだのだけど、こちらは立錐の余地なしの超満員、メンバーが姿を見せた瞬間からもう場内は大歓声につつまれ、音を出しはじめてからは手拍子と絶叫の嵐だった。休憩なしの1時間半ほどの公演中、みなが静かに聴いていた楽曲はほんのわずかしかない。もちろんライブハウスだから誰もがビール片手で、また曲の途中でも誰彼ともなく手洗いに立ったりするので、ほんの一瞬でも「水を打ったように静か」という状況はあり得ない。
 冒頭の友人は「せっかくのルナサなのにぃ…」とすっかりしょげてしまい、たぶん今後あのホールには近寄らないんじゃなかろうか。一方で、前の席の観客数人の「傍若無人な騒ぎよう」に顔をしかめたご婦人(おそらくは同ホールの友の会会員なんだろう)も、もしかすると「アイルランド音楽のコンサートなんてもう二度と御免だわ」となったかもしれない。だとすると、どちらにとっても不幸なできごとではある。
 
 わたしにも似たような経験がある。何年前だったか、守安功さんがアイルランドの至宝マイケル&セイリーン・タブラディご夫妻を日本に招いたとき、奈良県下の中ぐらいの大きさのコンサートホールでも公演があった。守安夫妻とマイケルさんが演奏、セイリーンさんがソロのステップダンスを披露するコンサートである。
 この日の観客は、演奏のときはみなおとなしく聴いているのに、セイリーンさんが立ち上がってダンスを始めたとたんに会場から一斉に手拍子が起こったので、なんとも閉口してしまった。セイリーンさんのアイリッシュ・ダンスは、ハードシューズでド派手にやるモダン・ステップではなく、普通の靴でごく静かに踊るものだ。とうぜん、ステップ音もちゃんと耳をすませていなければ聞き取ることができない。しかしその中に実に繊細で美しい音色があり、そこんところを楽しむ種類のダンスなのである。しかし観客が手拍子なんぞしてしまえば、そんな繊細さはあっという間に吹き飛んでしまう。実際、手拍子というのは音楽がリールであれポルカであれホーンパイプであれ、みんな同じ調子で叩かれるものだ。たとえ楽譜上は同じリールでも、楽曲によって、あるいは奏者によって特有の「ゆらぎ」や「うねり」があり、そここそがその曲の聴かせどころであり演奏者の個性となるのだから、それを単調な(そしてしばしば調子っぱずれの)手拍子でかき消してしまうのは愚の骨頂と言っていい。
 
 結局、その日のコンサートではセイリーンさんのステップ音はロクに聴けなかった。あのときのわたしの心中は、いま風のフレーズを使えば「オマイラ空気嫁」ってヤツなんだが、楽器演奏では静かに聴いていた観客が、ダンスのときだけ手拍子をとる——これも悪しき通例というか、「なんかよくワカんないけどこういうときにはこうすべきだよな」という「常識」に観客が囚われてしまった例だろう。なにせ彼らには悪意がないのだからタチが悪い。虚心に音楽に耳を傾けていれば、手拍子をとるべき曲かそうでないかなんてすぐにわかりそうだと思うのだが。
 こういうことは、なにも明文化されたルールがあるわけではない。誰かに強制されるとか「おベンキョー」するほどのものでもないとは思うのだが、わからない人にはわからない、らしい。

 そういえば昨秋、「盛り上がるライブ=観客の手拍子ノリノリ」が普通だと思っていた友人(先の友人とは別の人だ)を、ロバハウスでの守安夫妻+ショーン・ライアン一家のライブ(ここはむろんノーマイク・ノーPA)に連れて行ったところ、誰も手拍子しないんだねえ、と不思議がっていた。そのかわりに曲の一番いいところでかけ声を掛けるんですよ、と言ったら、ああ歌舞伎のノリなのね、と一発で諒解してくれた。
 
 もっとも、かくいうわたしとて、はじめてのジャンルだとどういう立ち居振る舞いをしていいのかよくわからずに、誰かに監視されているわけでもないのに客席でひとり緊張することがある。昨年はじめて行ったフィギュアスケート・ショーなんかもそうだった。宝塚歌劇をはじめて見に行ったときも、都はるみのリサイタルに出かけたときも、最初はやたら周囲をきょろきょろしていたのを思い出す。わたし程度の浅い経験ではっきりしたことなど言えないが、ジャズはジャズの、演歌は演歌の、など“ジャンル”ごとに特有の観客のふるまいがあるような気がしないでもない。
 
 
 こういった「観客のふるまいかた」は、いったいどういう条件で決まるのだろうか。あるいは、時代と共にどう変わっているんだろうか。
 …と、こういうことを思いはじめたのは他でもない、最近ある本を読んだからだ。その本の主題は音楽方面ではないんだけど、読み終えたわたしの頭は連想ゲームのように「コンサートとその聴衆」「美術作品とその鑑賞者」についてあれこれ考えだしたというわけ。
 
 その本について書くつもりで「前振り」を書いているうちに、少々長いエントリになってしまった——ということでこの項、あと一回か二回、続きます。

2007 01 11 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

とんがりやまさん、おそまきながら新年おめでとうございます。

タブラディ夫妻は立川のロバハウスで見ましたが(めったにない類の静かな感動を覚えました)、それはまたえらい災難でした。いくらなんでも、好きで見に来てる人たちでしょうに……。とまれたいへんたいへん興味深いテーマの考察、期待しとります^^。

posted: (2007/01/11 3:10:35)

 コメントありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
 
 タブラディさんのは、ロバハウス(わたしも行ってました!)も含めて他の会場でも観ましたから、個人的には「ったくしょーがねーなー」なんですが、あのホールだけしか観ていない人とはおそらく受け止め方が全然違っていたことでしょう。
 
>期待しとります^^
 いや、このあとはたぶんグダグダになると思われ ^^;;
 ていうか、わたしなんかより Bee'sWing さんの方がもっと多角的で深い考察をされるんじゃないかと思いますです、はい。

posted: とんがりやま (2007/01/11 23:11:13)

 

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