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スタインバーグを語ろう(2)
ソール・スタインバーグ Saul Steinberg の作品には、ひとつには先の対談で植草甚一が指摘しているように、若き日に建築を学んでいるところから来ていると思われる堅牢な造型性があります。この人のビルや教会のスケッチはどれもすばらしく、どれだけラフに描いていてもちゃんと建っています。また、破風やエンタシスなどの装飾部品をコラージュのように取り込んでいる絵も多いし、まるで一筆書きのように描かれたヴィクトリア調の椅子のスケッチなんかも実に上手いものです。
それ以上に感じるのは、やはりこの人は終生“アメリカの異邦人”だったのではないか、ということ。パスポートや公的証明書らしきものをスタインバーグ流に“偽造”したパロディ的な作品(筆記体の署名はそれらしく流麗に書かれているものの、実は全く読むことができないデタラメの文字であり、あちこちに押されたスタンプや封印シールの文字も同じく解読できません)、スーツを着せて集合写真よろしく整列させた“指紋”たち。英単語や短いフレーズをモチーフにした作品群(言葉そのものが巨大なオブジェとして視覚化されています)や、フキダシの中に前述の読めない筆記体文字やアメリカの地名・人名をびっしりと書き込んだ漫画。あるいはクラフト紙の紙袋でつくった手描きのマスクを実際の人間にかぶらせて撮影した《Masquerade》シリーズ。さらには、街角を行き交う人々が、ペン画あり、鉛筆画あり、水彩画あり、クレヨン画ありという風に、同一紙面上に全部違う画材とタッチで描かれたとても面白い絵もあります(同様の手法で大家族の肖像を描いたものもあります)。
どれも「私」という存在がふと危うくなってしまうような、不安定な面白さに満ちています。たとえばパスポートや指紋はまさに外国人の“存在証明”に他なりません。遠く東欧から来た人間にとってはアメリカ人の会話や書く文字はなにを言っているのかよくわからず、なんとか地名やごく簡単なフレーズが理解できる程度。そうして、自分に相対する人々はみな紙袋で作ったマスクを被っているかのように安っぽくも無表情で、街行く人々は、あるいはたとえ同じ家族であっても、全部違う画材で描いたかのように性格や考え方や価値観が異なっている…。ここにはアメリカ、そしてニューヨークのような巨大都市とそこに生きる人々に対する、ほとんど生理的といっていいような違和感が表明されているように思えます。まるで、僕の回りにあるものはみんなフェイクだ、まがいものなんだ…とでも言いたげな。
スタインバーグが本当にアメリカ嫌い、ニューヨーク嫌いだったのかどうかは知りません。1960年に書かれた辻まこと(「辻」は二点シンニョウ)のエッセイに「スタインベルグ西部へ行く」という一文があり、そこでS・スペンダーという人のスタインバーグ論を紹介していますが、中にこうあります。
(…)スタインベルグは皮肉な眼つきでこれらを眺めるが、そこに冷たさはない。彼はむしろ深くこれらを愛している。(『辻まことセレクション2 芸術と人』平凡社ライブラリー/ISBN4-582-76308-1/p.71)さてこれはどうなんでしょうね。<皮肉な眼つき><冷たさはない>は同感ですが、<深く愛してい>たのかどうか、わたしにはなんとも言えません。ひとつはっきりしていることは、彼はこういった作品を雑誌などにどんどん発表し、ニューヨークっ子たちもまた、彼の描いた漫画に拍手喝采したということです。スタインバーグと同様、この大都会にいわく言い難い奇妙な感触を持っていたひとがそれだけ大勢いたということなのでしょう。まさに移民の国ならでは、とも言えそうです。

前回触れたように、スタインバーグは作品集《All In Line》 でいちやく一流漫画家の仲間入りを果たし、主に雑誌〈The NEW YORKER〉誌上で大活躍します。70年代後半ぐらいからでしょうか、いつしか「漫画家」ではなく「イラストレーター」とか「ドローイング・アーティスト」などとも呼ばれるようになりますが(実際、後期の作風はややもすると難解な「アート作品」が多くなります)、かれ自身の意識のなかでは、おそらくやっていることは終始一貫していたのではないでしょうか。
日本では、先にも書いたようにデビュー直後から5〜60年代を通じて、漫画界/美術界に大きな影響力を与えました。1970年4月にみすず書房が作品集『新しい世界』を出版していて(原著《The New World》は1965年刊)、滝口修造が装幀とエッセイを担当しています。国内版ではおそらくこれが唯一の作品集かな(上の写真、二冊目。それまで一般的に「スタインベルグ」だったのが「スタインバーグ」になったのは、この本の出版以降ではないかと思われます)。その滝口の文章をごく一部引用。
「新しい世界」の扉にある、有名なデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」をもじった「われ思う、ゆえにデカルト在り」は、スタインバーグの図解論理学の序論であろう。それはまた問わず語りに「われ描く、ゆえにわれ在り」とでもいいたげに、すべての線は渦巻のように、逆に描くおのれの手に戻ってくるだろう。
スタインバーグは、遅くとも80年代初頭にはすでに「過去の人」扱いだったように思います。1985年春創刊のデザイン専門誌〈PORTFOLIO〉(誠文堂新光社発行)——すぐに店頭から見なくなった雑誌ですが——に珍しく4ページものスタインバーグ特集が組まれたことがあって、一瞬狂喜したものですが、よくよく見ると掲載作品はほぼ全て60年代までのもの。新作紹介の特集ではなかったんですね。
その時点よりさらに数年前、わたしが美術書専門の古本屋でスタインバーグの古い作品集を熱心に掘り出していたとき、店主が「この人も昔は人気があったんだけどねぇ」とつぶやいていたのをよく覚えています。とはいえ、後期の作品集なら今でもたまに洋書屋さんで見かけますし、Amazonあたりにもたくさんリストアップされていますから、決して「忘れ去られた作家」などではありません。現に、いまもアメリカでは大きな展覧会が開かれていますしね。
思い出話をもうひとつ。あれは90年代に入ってからだったでしょうか、デパートの美術売場でスタインバーグの版画の展示即売会に偶然遭遇して、驚いたことがあります。少々無理をすれば買えないことはない値段だったものの、このときは肝心の作品がどれもいまいちピンと来なかったのでパスしましたが、果たしてどれだけ売れたのかなあ。
2007 01 09 [design conscious] | permalink
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