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天皇の居間
●新春特別展覧会 京都御所障壁画 御常御殿/御学問所
2007年1月6日〜2月18日 京都国立博物館
【図録】
編集/京都国立博物館・宮内庁京都事務所・京都新聞社
発行/京都新聞社・2007年
表紙デザイン/粟辻順恭
京都国立博物館で、新春にふさわしい展覧会が開かれています。京都御苑(御所)の障壁画(襖絵・杉板絵)を史上はじめて一般公開するというもの。これは見逃す手はありません。
平安京の成立が794年(“鳴くよウグイス平安京”ですね)、明治になったのは1868年ですから、天皇家は1000年以上の長きにわたって京のみやこに住まわれていたんですが、その住居であり公務執行の場でもある内裏は何度も焼失・再建をくり返していたそうです。たとえば平安時代だけでも7〜8年にいちどの割合で火災に遭っていたとか。いくらなんでも火事、多すぎです。岡野怜子版『陰陽師』では、宮中の火事はこの世の終わりとばかりに描かれていましたが、実際はもっとありふれていたものだったかもしれませんね。とはいえ火事はやはりおおごとで、そのたびに建て直していたわけですから、20年ごとに式年遷宮される伊勢神宮の比じゃないくらいハイペースですねぇ。建て替えのあいだは他の貴族の家に仮住まいされていたとかで、引っ越しだけでも大変そうであります。ちなみに、現在の御所の位置は南北朝時代以降のものなんだとか。
以降もなんども被災し、最終的に…というか現在残されている御所のたてもの(殿舎)は、そのほとんどが安政二年(1855年)に造営されたもの。明治維新のわずか13年前です。安政二年と聞いてピンと来たひとは幕末ファンでありましょう。お江戸では、かの安政の大地震が起こった年です。同時に、のちに第29代内閣総理大臣となる犬養毅が生まれた年でもあります。近世がそろそろ終わり、近代がもう目の前まで来ているという、そんな時代。
御所1200年の歴史からみれば、1855年なんてわずか150年ほど前で、むしろ「なんやずいぶん新しおすなぁ」となります(京都では100年程度なら同時代感覚だったりします)。天皇家は明治以降は東京へ居を移されますから、御所が「生活の場」でなくなったとたんに手厚く保護されるようになったと見ていいでしょう。保護というか「御所のまるごと標本化」というか。そう考えると、たび重なる火災というのは「日々そこで人が生活している」、つまり「その場所が生きている」ことのなによりの証でもあったんでしょうね。
というわけで、今回展示されている障壁画は19世紀中頃の作品ということになります——と、以上の事情は会場に行ってはじめて知ったことで、わたしなどはてっきり平安以来の襖絵が観られるものと思っていただけにちょっと拍子抜けしました。まぁそれでも貴重な機会であることには違いありませんけど。
保存状態がとびぬけていいんでしょうね。どの絵もついこの前制作されたばかりのような発色の良さ。日本美術というと「古色蒼然」としているだけで風格があり、逆にあまり綺麗すぎるとなんだかありがたみがないようにも思えますが、御所襖絵というのはそういう一般的な日本美術の概念を軽く超越した次元に存在しています。
* * *
障壁画とは要するに壁画ですが、日本家屋は天井と床を柱で支え、壁のほとんどは襖という開閉自由、取り替え自在の建具を使います。その襖いっぱいに絵を描くわけです。だから西洋式の壁画のように一度描いたら永久に残るものでもなく、もし損傷してしまえばその部分だけ新調することも不可能ではありません。とはいえ、屏風や掛軸のようにいつでも手軽に掛け替えできるものでもないでしょう。作りつけの家具みたいなもので、「一年中ずっとそこに在る」ことが前提になります。建前上は不動産、でも場合によっては動かすこともできる、そういう両義的な存在です。
今回展示されている障壁画は、そのほとんどが非常に大きいものです。襖といっても現代の建売住宅のサイズではありません。どれも「オーダーメイド規格」なのでしょう。どの襖絵にも金地がふんだんに使われていて、それ自体が発光しているかのように輝かしい大画面いっぱいに、中国の故事にちなんだ絵や、四季折々の美しい風景が描かれてます。
ちょっと想像してみてください。家具のないがらんとした部屋じゅうの、どこを向いても絵ばかり。しかもあとから壁に掛けた絵ではなく、たてものの一部としてあらかじめしつらえられた巨大な絵画群。現代の感覚からすれば、これはかなり異様です。
戸袋の一部とか、引き戸などの小さな部分に花や鳥の絵がある程度なら、まぁ洒落てるね、粋だね、なんですが、そうではありません。小学校の体育館か講堂か、くらいに広い部屋の、壁(襖)いちめん、どこを向いても色鮮やかな絵、絵、絵なのです。
わたしは最初、こういう部屋はきっと客間かなにかに違いない、と思っていました。ふだんは使わないけど、式典や宴会があると使用されるような、特別な部屋。それならこんな派手な絵で囲まれていてもまぁ許せる。ところが、これ、天皇の日常生活の部屋だっていうからびっくりしました。正確には、今回の展覧会はふだんの部屋(御常御殿)と勉強部屋(御学問所)の二カ所です。
どう考えても異様です。たとえば寝室(御寝の間)は、外光が入らない暗い部屋ですが、四方ぜんぶに虎の絵が描かれています。ふつう、でかい虎に囲まれながら安眠できます?
現代人のセンスとはまったく違う世界がここにあります。いや、その時代の庶民にとってもおそらく「違う世界」だったでしょう。わたしは「異様な」と書きましたが、殿上人というのはテメーラとはあきらかに違うんだぞということを、ことさらに強調せんがためのインテリアデザインだと感じました。
壁面いっぱいの絵に囲まれた生活。こういうのが「あたりまえ」であった人とは、美意識はもとより感性やものの考え方がまったく異なってしまっても不思議ではないでしょう。生活に彩りや潤いを与える、などという「芸術のありかた」ではないのです。お気に入りの絵や版画や写真をちょっと飾ってみました、という程度の「芸術とのつきあいかた」ではないのです。日常の空間が芸術そのものとなっているというか、むしろ芸術に脅迫されているかのようにさえ思われます。それは、そこに住まう人の精神のありかたを根っこのところから変えてしまうほどの強制力があると思うのです。
こんな部屋のデザインはどう考えても「この世の光景」とは思えなくて、ちょっと背筋がぞくっときてしまいました。宮中というのは、宮廷文化というのはなんとおそろしいことを平然と行うものよ(ご一新により東幸(東京行幸)されて以降の、現皇居室内がどうなっているのかは知りませんけど)。
左の図版は、京都国立博物館の専用ページからお借りしたものです(縮小しています)。狩野永岳筆『尭任賢図治図(ぎょうにんけんとちず)』部分。御常御殿上段の間という、天皇の日常生活のなかでも年賀の祝いなどの儀式が執り行われた、つまり比較的「対外的」な性格をもった部屋に据えられた襖絵です。
主題は中国の故事にちなんだもので、理想的な政治のありかたを示したものなんだそう。つまり襖絵でもってこの部屋の主に「帝王学」を教えているわけですね。こういう感じの絵が全面にあって、しかもここは上段の間、中段の間、下段の間と三間つづきの広間です。とんでもない大空間です。
わたしなんぞはこういう部屋には三日と居られません。つくづく「シモジモの者」であってよかった——と胸をなで下ろしたことでありました。
2007 01 17 [design conscious] | permalink Tweet
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