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揺らいでいるのは「近代」か

 

Nihonga_youga

●「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展
 東京展 2006年11月07日〜12月24日 東京国立近代美術館
 京都展 2007年01月10日〜02月25日 京都国立近代美術館
【カタログ】
 発行:東京国立近代美術館/2006年
 アートディレクション&デザイン:古田雅美・林琢真
 

◎「奇妙な」観音像 
Shimomura 左図は本展出品作のひとつ、下村観山『魚籃観音』(部分)。昭和3(1929)年の作品です。観音さまのお顔はどう見てもかの『モナ・リザ』ですが、この作品はどうやらパロディでもギャグでもなさそうです。作者はいたってマジメに、そして確信を持って、観音さまの首にモナリザをアイコラしているのです。いったいどうしてこんな奇妙な絵が描かれたのでしょう?
 この作品に限らず、今回の展覧会には、今の眼でみるとなんとも奇妙な作品が多く展示されています。「奇妙な」というか、どこか居心地が悪くなってしまいそうなというか。関西のことばでいう“けったいな”絵がそこかしこに飾られています。これはいったい、何なんでしょうか?
 
 
◎あやうい「日本画」  
Nihonga_uchisoto 日本の美術界では1980年代終わり頃から<日本画>を問い直す作業が進んでいたそうで、その中間決算というか経過報告が『「日本画」——内と外のあいだで』という本にまとめられています(「日本画」シンポジウム記録集編集委員会・編/ブリュッケ/2004年5月刊/ISBN4-434-04388-9/装丁者名記載無し)。これは、2003年に行われたシンポジウム『転位する「日本画」——美術館の時代がもたらしたもの』(2003年3月22日・23日/神奈川県民ホール)の発言記録と、80年代以降の主な日本画論、作家やキュレーターや評論家へのアンケート、シンポジウムをレポートした新聞記事まで含まれた、なかなか刺激的な一冊です。ただ、一読してみてどーもヒョーロンカ諸氏がミョーに必死というか、まるで<一日も早く「日本画」を消滅させてしまいたい!><「日本画」がなくならないことには俺たちに明日はないんだ!>とでも叫んでいるようで、ちょっと引いてしまう部分もあります。つーか、そもそも「日本画」の定義じたいが各人によってばらつきがあるような。
 
 「日本画」って何やねん、の答えは、けっこう難しいものです。『揺らぐ近代展』カタログ序文にはこうあります。

 今日一般的となっている日本画、洋画というジャンル分けは、明治初年から徐々に「洋画」が浸透する状況に応じて、従来の伝統絵画を「日本画」として区別することからはじまりました。日本では、近代的な統一国家体制を整備するために、西洋の科学技術や合理的思想を採り入れながら、さまざまな法律や制度が整備されましたが、そうした過程で美術館や展覧会といった制度と同様、日本画、洋画(西洋画)という言葉や概念も生み出されたのです。明治40(1907)年、文部省美術展覧会(文展)の開催にあたって「出品は日本画、西洋画、彫刻の三科とす」と規定されて以降、絵画を二分化する制度は揺るぎないものとなり、今日まで強固に守られ続けています。
 ふむ。作品内部からの必然的な分化という側面以上に、これは制度の問題でもあるのでしょう。シンポジウム参加者が「日本画消滅論」を唱えるときも、それは多分に「制度としての日本画」を指している気がします。『内と外〜』を読む限り、先鋭的なセンセイ方が苦虫を噛みつぶす理由は主に「日本」の二文字にあるようで、あっちが「油画」ならこっちは「膠画」だろうとか、「国文学」「国語」にならって「国画」でいかがでしょうとか、代替名称まで提案してます。ま、だいたいこの国で「日本」が入ると議論が無駄に紛糾するのは今にはじまったことじゃないですわね(笑)。ほんと、ナショナル・アイデンティティがからむとナニかとメンドウですな。
 現在では、そういう制度的/あるいは精神論的(日本の伝統の云々)要素を排除した定義、すなわち「日本画とは墨や膠で溶いた岩絵具を使った絵」という画材レヴェルで語るのが妥当なようです(とはいえアクリル絵具で描いた「日本画」もあるんですけどね)。
 ちなみに、団体展や公募展では絵画全般をひっくるめて「絵画部門」としているところが主流のようです(日展はいまだ「第1科・日本画」「第2科・洋画」の区分です)。芸術大学の場合は、なによりもまず技術習得という目的があるからでしょう、日本画/洋画のふたつは明確にわかれています。ただし学校によって「洋画」もしくは「油画(油絵)」と呼び名が違います。「西洋画」は完全に死語、「洋画」も徐々に使われなくなりつつあるけれど(一般的には映画方面の用語ですよね)、「日本画」はまだまだ健在、という感じでしょうか。
 
 
◎大マジメなミーハーたち  
 しかし、なんであれ絵を描いてるのは「日本人」なわけで(と書くと、今や日本人だけが「日本画」を描いてるんじゃないとか言われそうですが、とりあえずここでは措きます。逆に外国の伝統音楽を演奏する日本人はどうなんだとか、その辺の考察も面白いんですけどね)。今どき「日本古来の伝統」を受継ぐといっても無理がありますが、米の飯を箸で食い畳の部屋で布団を敷いて寝る人がまだ大半でしょうから、生活がまるきり西洋そのものになったわけでもありません。一個の身体中に「和」も「洋」も混在している以上、その人が描く絵画がどちらか一方というのはあり得ないでしょう。実人生が和洋折衷であるかぎり、その人が作る作品も(絵画に限らず、なんでも)必ず和洋折衷にならざるを得ない、はずなんですね。
 
 たぶん日本画・洋画というジャンル分けに「居心地の悪さ」を感じる人は、それはそのまま自分自身の心の奥底にある「居心地の悪さ」と直面しているのでしょう。わたしは「新しもの好きのミーハー魂」は日本人ならではの特性だと思ってますので、べつに和洋折衷(たとえそれがどんなに中途半端なものに見えようとも)を卑下することなどねーんじゃねーの、とは思うんですけど、でも一方でわたしたちは根が大マジメでもあったりしますから、話はややこしくなります。
 大マジメなひとはこの「居心地の悪さ」をどうにか解消しようと考えます。さきのシンポジウムの議論なんかもその一例でしょう。そうして、そんな大マジメさは、実は「日本画」という概念がはじまる最初期から、すでに各作家の中にあったのだというのが、本展を観ていくとよくわかります。
 ここに集められた作品はどれも「日本画」と「洋画」の境界をなんとかして乗り越えようとするものばかりです。収録作家は日本画の大家、洋画の巨匠ともにビッグネーム揃いですが、なかでもとくに境界線上にある作品だけを選んで構成されてます。「日本画家」は「日本画」の画材と技法をつかって、西洋的な主題に挑戦し、「洋画家」は油絵具をキャンバスに塗りながら、しかし画題そのものは日本の伝統的なそれを描こうと試みています。
 
 そういう流れで冒頭の下村観山の作品を見れば、これは日本画の画材で西洋画の画法を究めようとする、たいへん意欲的な作品であるということになります。意欲的はいいんですが、しかしどうにも「居心地の悪さ」を感じるのは、どうやら作者が大マジメだからなんでしょう。せめてオール冗談で描いてくれれば、こちらも「アハハ」と笑ってすますことができるんですけど。
 

◎揺らいでいるのは「近代」か?  
 作品横のパネルを読まないと、それが油彩画なのか絹本着色なのかわからないものが多くあります。わたしは普段からパネルをほとんど読まないので、画材を知らなければみんな同じ絵のようにも思えます。そうして、次第に「どうでもいーじゃん」となります。これって、ただ画材に左右されてるだけなんじゃないの? つーか、ホントの問題は「技法・様式」vs.「個人の表現」ってことじゃないの?
 
 …よくよく考えてみれば、観山を「奇妙だ」と感じるのは、「日本画はかくあるべき」「洋画とはこういうものだ」という基準のようなものが、自分の中に存在しているからでしょう。だとすればなんのことはない、わたしもまた大マジメな日本人のひとりということなんでしょうね、きっと。
 
 展覧会の表題は「揺らぐ近代」ですが、これはどういう意味なのかな。「近代」の名の下に画家が揺らぎ続けたのか、21世紀のわれわれが「近代」という概念を揺らがせつつあるのか。そのあたりをぼんやり考えていて、わたしは禅の公案で有名な<非風非幡>を連想しました。
 

六祖、因に風刹幡を揚ぐ。二僧有り、対論す。
一は云く、「幡動く。」一は云く、「風動く。」往復して曾て未だ理に契はず。
祖云く、「是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、任者が心動くのみ。」
二僧慄然たり。
——無門関講義・第二十九則

2007 01 25 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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