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Ashes and snow
●グレゴリー・コルベール ashes and snow
2007年03月11日〜06月24日 お台場 ノマディック美術館
はて、お台場にこんな美術館あったかいな…と思っていたんですが、実はこの美術館は「ノマド」の名の通り移動式のもので、同展のためだけに建てられた専用のハコです。設計は建築家の坂茂。コンテナを積み上げてテントを張ったもので、存在感がすごいです。
どどーん。これが入り口。同じような棟がこの隣にもう一棟並んでまして、そちらが出口。
わたしが行った日はご覧のように快晴でしたが風が強く、中に入ると風の音がけっこうやかましく響いてました。これ、大雨の日だとどうなるんでしょうね。
美術館まで独自に建てちゃうくらいですから、この展覧会は全てにおいて「スペシャル感」が漂ってます。いや、これはもう展覧会というよりイベント——体験会、とでもいう方が近いのかな。
スペシャルなのはなにも建物だけではありません。入場料大人1,900円というのはまあいいとして、帰りに何か買おうかとショップを覗くと、これが軒並みスペシャルなお値段。
たとえば、冒頭に掲げた写真集が16,000円ですよ奥さん。他にテーマ別の小さな写真集が三種類あって、各4,000円。メイン作品である60分もののDVDも4,000円くらいじゃなかったかな。同展のコンセプト・ブックでもある(と思われる)書簡小説がいっちまっんえーん! だったはず。なんつーか、値札が一ケタ間違ってんじゃないのという感じです。すべてのグッズをまとめたボックスセットが確か拾万円オーバー、フィレンツェだかミラノだかで製作されたとかいう特別仕様限定版に至っては百万円を越えていたような記憶が。ふぇ〜。
カバーに使用している紙が草木染めの手作り品だとか、本文用紙もなにか特別なものらしく、たしかにそれ自体が美しい「工芸品」のようなつくりになってますが、それにしても一般庶民にはおいそれと手が出ません。オープニング記念でDVDをオマケするというのでかろうじて写真集は購入しましたが、小説本まではさすがにパス。ホントはちょっと読んでみたかったんだけどなぁ。
…と、ここまで書いたことからでも推察できるように、『Ashes and snow』というのはひとつの「世界の提示」でもあります。たくさんの写真、長短いくつかの映像作品、会場中に展示はないものの重要な位置を占めると思われる小説、そしてそれらをくるむ移動式美術館という空間、これらが一体となった「アート作品」なんですね。なんだかよくわかんないけどグレゴリー・コルベールというひとの写真展だろう、くらいの軽い気持ちで出かけた身にはなかなか刺激的ではありました。
小説は読んでないのでその「世界観」の詳しい部分はわかりませんが、メイン作品のひとつである60分間の映像(映画、というのでもないみたい)を観ていると、どうも「自分探しの旅」みたいな雰囲気です。作家には<空を飛ぶ象>というイメージがまずあって、そこから動物と人間とが共存する一種独得な作品世界が作られていったかのようです。
南極大陸からアフリカ大陸、アジアまで、10年以上にわたって世界各地を旅しながら撮られた写真と映像は、CG加工を一切加えていない、まったくの自然なものとのこと。写真はみなセピアのモノトーンで統一され、巨大な和紙にプリント(おそらく大判ジェットプリントでしょう)されています。ムービーの方もセピアのモノクロ映像で、メインのはナレーション(日本語吹き替えは渡辺謙)も入った長編、ほかに15〜20分程度の短編が2本。どの作品にも明確なストーリィがあるわけではなく、美しく幻想的な視覚イメージを繋ぎあわせたという感じです。小説を読んでいなくとも、こちらで勝手に物語を膨らませることができますし、想像力が自由に広がる分、かえってその方が面白いかもしれません。
* * *
わたしはこれを、「この世にはあり得ないもうひとつの世界」だと感じました。動物と人間が共棲する、パラレルワールドとしての地球。肉食獣もたくさん出てきますがけして人間に牙を向けることはなく、人間の子供たちが眠る象の上を駆け抜けることはあっても、巨象が人間を踏みつぶすことのない、そんな世界。登場する人間たちはその大半が死んだように眠っているか、あるいはただひたすら祈っています。
ぱっと見、原始回帰・反文明かと思うけれどもそうでもなさそうで、むしろ「失われた超文明」的な世界でしょうか。この世界の人間たちは、画像をよくよく観察するときちんとミシンで縫製された布地を着こなし、リベットまで打たれしっかり造られた木の船に乗っています。また古い書物を読み、火を使い、さらには廃墟のような石造りの宗教寺院も出てきますから、過去形か現在形かは別として、少なくとも彼らは高度な「技術文明」を持っています。
彼らと共に在るのが鯨、象、豹、鷲、猿といった野生の動物たち。しかしかれらは人間の良き友であり、絶対に歯向かうことはありません。いや、良き「友」ではないな。この関係はむしろ「下僕」ではないのかな。
人類と大自然との共生…というとなにやらエコロジカルでかっこいいですが、これらの作品群はギリギリのところでやっぱり「人間中心主義」「人間至上主義」です。映像を眺めているうちに、そうか、これが西洋人(作者のグレゴリー・コルベールはカナダ人)の考える「エコロジー思想」の限界なのかもしれないな、とも思いました。作品中に出てくる「宗教」は見た目はアジア系(仏教系)ぽいものですが、作品世界を貫く思想(があるとして、ですが)はどこまでも西欧流、しかも先進諸国のそれなんじゃないかと。
グレゴリー自身が作品中で海に潜って鯨と一緒に泳ぐなどカラダを張ってますし、一連のプロジェクトが壮大なコンセプトのもとに創られた、きわめてユニークなものであることは確かでしょう。ちょっと他では体験できない、センス・オブ・ワンダーな世界がここには広がっています。けれども、上に書いた「ギリギリのところ」で、わたしはこの作品に引っかかりを感じます。
本当の「自然」は、グレゴリーはじめ人間どもの考える「こうあればいいな」という手前勝手な理想とは無縁のところでサイクルがまわっているはずです。彼がこの写真、あるいは映像作品を創るにあたって、見えない部分でどういう苦心をしているのか(何人のスタッフを動かしているのか、とか)知りませんが、いずれにせよ彼(および作品を観る観客)にとって「都合がいい」よう周到に下準備したうえでカメラのレンズを向けていることには違いないでしょう。
作品はどれもCG処理されていない、というのがウリのひとつのようですが、コンピュータ上であれそれ以外であれ、彼が提示しているのが「加工された現実」であることには変わりはありません(コンピュータ云々は、観客にとっては本来どちらでもいい話でもあります)。
芸術作品とはそういうものだ、といってしまえばそれまでですが、しかし彼の甘く幻想的な世界観の裏には、なにかとんでもなく危険な思想が巧妙に隠されているような、そんな気がしてならないのです——ヒネた見方かもしれませんが。
2007 03 24 [design conscious] | permalink Tweet
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