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出版が文化であるならば

 

Mojinohahatachi

●文字の母たち Le Voyage Typographique
 港千尋著/インスクリプト/2007年3月初版
 ISBN978-4-900997-16-5
 装釘/間村俊一
 
 今でも新聞や雑誌などで「活字離れ」などという文字をよくみかけるけれど、実のところ、現在わたしたちが普通に目にする印刷文字に「活字」が使われていることはない。少し前までは写植(写真植字)が、そして今ではパソコンで製作されるDTPが主流だろう。活字、つまり活版印刷で刷られた印刷物は、大手の商業印刷の世界ではもうまったくと言っていいほど使われていないはずである(ちなみにたとえば『本の雑誌』が写植からDTPに切り替わったのは2005年1月号からで、同号の編集後記には<やっと時代に追いついた>とある。同誌の活版から写植/オフセット印刷への切り替わり時期も知りたかったが、ちょっとすぐには調べがつかなかった。手元にあるいちばん古い号は昭和54年5月発行の第12号で、この頃は間違いなく活版印刷である)。リトルプレス方面では自分で活字を拾って組版して印刷する、という出版物も盛んだけれども、それはほとんど趣味的な世界と言っていいだろう。
 
 写植ですらすでに時代遅れとなった今でも「活字」というのは厳密に考えるまでもなくおかしな話で、だから「活字離れ」などというコトバを安易に使った言説にはわたしは違和感とうさんくささを感じるのだけれども(われわれはとっくの昔に「活字離れ」しちゃっているのだ)、その話はまあいい。実のところかくいうわたしだって、正しく活字で組まれた印刷物をすっかり目にしなくなっているし、ましてやその印刷現場など一度も見たことがないのだから。
 
 にもかかわらず、というか、だからこそ、「活字」という単語にはつねにノスタルジーの香りが漂っている。
 
 
 前置きが長くなったが、本書は、その「活版印刷」の世界を捉えた、とても美しい写真集である。著者はフランス国立印刷所と東京の大日本印刷所の2カ所を訪れ、残された金属活字とその職人さんを愛情豊かに取材している。
 ふだん浴びるように印刷物に接しているわれわれには、印刷やまして活字のことなど、まるで空気や水のようなもので、あまり注意深く考えたこともない人の方が多いだろう。パソコンの普及にしたがって「フォント」というコトバはすっかり一般的になったけれども、それでも明治以来の明朝/ゴチック書体の種類の豊富さ、あるいは欧文セリフ/サンセリフ書体のおどろくべき多様さについて思いを馳せる人はそれほど多くはないはずだ。印刷や出版関係者、あるいはDTPのオペレーターのような専門職に就いている人でさえ、活字文字の歴史をちゃんと勉強している人はそんなにいないと思う。
 本書は、そういう人たちこそが手にとるべき一冊だと、個人的に思う。あるいは電車に乗っているときも車内吊り広告をくまなく見つめ、トイレや風呂にまで文庫本を持ち込むような、いわゆる「活字中毒者」たちにも。
 そうして、あらためて、自分のパソコンにいつの間にか入っている日本語書体や欧文書体の美醜をよく観察してみればいいと思う。あるいは、読みかけの単行本に使われている文字がいかに美しいか/あるいはまったく美しくないか、をそれぞれが発見すべきだと思う。わたしのわずかな経験からいえば、新しいパソコンやなにかのソフトを買ったときにオマケでついてくるフォントのうち、とくに欧文書体は、かなり適当につくられたいいかげんなものが多いと思っている。それに比べて、この写真集に登場する書体たちはとてもとても美しいと思うのである。嗚呼愛しのガラモンイタリック、なんて頬ずりしたくなってしまうほどである(ちょっと気持ち悪いか・笑)。
 
 
 「美しい書物」は、実はそれだけでほとんど奇跡のような存在である。ひとつひとつの文字の形の美しさだけでなく、版面としてのバランスや余白のとりかたの見事さなどなど、活版時代や写植時代のそれぞれ全盛期には、今見てもハッと息を呑むような美を備えた本がたくさんあるはずだ——もちろんその頃の書籍にだって「美しくない」印刷はいっぱいあるので、なにも過去の総てを手放しで賛美するつもりはないが。
 
 
 
Katujigakieta_hi ●活字が消えた日 コンピュータと印刷 
 中西秀彦著/晶文社/1994年6月初版
 ISBN4-7949-6172-3
 ブックデザイン/日下潤一
 
 活字の職人的名人芸、ということで思い出したのがこの本。著者は印刷会社の社長(専務の間違いでした:4月12日訂正)で、大学が多い京都で学術系出版物の印刷に多くかかわってきたという。学術書には理数系の複雑な数式もあればふだんまずお目にかからないような国の言語も登場する。組版はもちろん文字校正だって手に負えないような、そんな印刷物をたくさん手がけてきた印刷会社が、活版を捨てコンピュータによるDTPに切り替えた際の顛末を、現場にいる人ならではの臨場感でもって描いた、とても面白い一冊だ。
 この本が出た1994年ごろといえば、新聞折り込みチラシや商品パンフレットの類がそろそろフルDTPに切り替わろうとする時期だった。写植指定のイロハも知らない新人「デザイナー」さんたちが慣れぬ手つきで商品コピーの文字組をし、文字詰めはおろか禁則処理すらロクにできていないままクライアントに納品され、そのまま世の中に出回るという、ある意味ひどい時期でもあった。ま、パソコンの処理能力やオペレーターのスキルもさりながら、DTP用フォント自身がまだ数えるほどしか出ていなかった時代でもある。経済効率が最優先される広告業界、広告パンフレットに「文字組の美しさ」を求めるクライアントなんて、上場企業クラスのほんの数えるほどしかなかったんじゃなかろうか。大半の中小企業はとにかく安く&早くで、あの頃は商品の色がそこそこ再現されて文言内容に間違いさえなければ、それでOKだったんである。
 本書にはそういう時代の、使い物にならないコンピュータと格闘する印刷職人たちの苦悩もよく描かれていて、興味深い。そうして読んでいくうちに、出版や印刷が仮にも「文化」と呼べるに値するものであるとするなら、その栄誉(と責任)の少なくとも半分は、こうした「印刷職人」たちが担うはずである、ということもよく理解できるはずである。
 
 本は内容である。読めさえすれば体裁はどうでもいい、という意見にも一理ある。やたらにカバー装丁に凝ってそのぶん値段が高くなる本はわたしも苦手だ。
 しかしもっとも悲しいのは、たとえ装丁が立派でも肝心の本文組が情けないものだろう(正直なところ、わたしは本文を「テキスト」として提供する青空文庫にも、そして自分のサイトも含めたほとんどのブログにも、いまだになじめないでいる)。
 
 
 よい本はよい書体で、そしてよい組版で読みたい。出版がもし「文化」であるとするならば、いち読者としてそこまで要求することはたぶん贅沢ではないはず…と思うのだがどうだろうか。

2007 04 07 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

「design conscious」カテゴリの記事

comments

 英語の本には時々、この本に使った書体は本文はこれこれ、章タイトルはなになに、それぞれ誰々さんがいついつ作りました、などと巻末などに書いてあるものがあります。インディーズだけではなくて、メジャー版元の本でもあります。それだけで、ををっとなってもう一度読返したくなったりもします。

 日本語では詩集なんかで時々見かけるかな。普通の本でももっとあって欲しいもんです。そうすると、書体への注目度も上がるんじゃないか。

 もう一つ、読みやすさや美しさは書体だけではなく、組版にもよるので、そのヘンの関係をきっちり書いてくれた本がないでしょうかね。

 かつて岩波が出していた、漱石や寺田寅彦の「聚珍版」今で言えば新書判かな、そのサイズの全集が、文字のサイズは小さいのに、実に読みやすいのです。書体と組版のバランスが絶妙なんだろうと思います。もちろん、れっきとした「活版」印刷。

 先日、岩波の人に、あれは復刻できないのかと聞いたら、製本コストが高すぎて無理だと言われました。本というのはつくづく手間ひまのかかった「商品」ではあります。

posted: おおしま (2007/04/07 10:20:07)

おおっ、それは読まねば。
いや、半分は耳の痛いお話ではあるんですが、とくにDTP化以降、組み版の“基礎”が無くなったことを実感します。たとえば大きな構成として、四方の余白自体のバランスと、版面と余白のバランスにしたって、長い歴史のなかで培われてきたスタンダードってあると思うんですけど、なんだかもうみんなが好き勝手やってるからわけ分からなくなってる、みたいな。

>おおしまさん
新書判の全集って1980年頃に出た、2段組、旧かな、ケース入りのですか? 森鴎外とかもありましたよね。すごく好きで、漱石はあれで全部読みました。

posted: (2007/04/07 12:45:54)

 コメントありがとうございます。
 出版関係者を煽るつもりで書いたエントリじゃないんですが(^_^;)、業種は違えど、実は自分自身にとっても非常に耳の痛い話ではあります。
 
 DTP時代の組版をまともに論じた本ではたとえば府川充男『組版原論 タイポグラフィと活字・写植・DTP』(太田出版/1996年/ISBN4-87233-272-5)などはいかがでしょう。わたしもまったく消化しきれてないし、著者の考え方にはおそらく賛否両論が激しいのでしょうけど、兎にも角にも刺激的な一冊ではないかと。
 
 書体の話ではないですが、日下潤一さんは自分の手がけた本に使用した用紙(カバー・表紙・見返し・帯)をきちんと記しておられますね。あれは凄いといつも思っています。

posted: とんがりやま (2007/04/07 20:49:27)

今度から、自分のところで作った本には使った用紙と、できれば本文書体と組みを記載したいと思ってます。自分でもすぐ忘れちゃうし(笑)便利かなと。

うわ! その府川充男の本、絶版のようで、アマゾンのマーケットプレイスで1万円……。

posted: (2007/04/07 21:46:21)

 府川氏の本は図書館で探してみます。

 日下さんは自分が担当した部分の文字は、友人の写植屋さんに指定して手打ちで作ってもらっていましたが、今でもそうなのかな。
 そうなんですよねえ、本というのは中身だけではない、具体的なモノとして、造りの魅力もあるんですよね。そうすると、紙だけでなく、インクの色や材質にまで話が行ってしまいますが、さすがにそこまで書いてある本は見たことがない。
 このところ「ほぼ日」の作っている本は、モノとしての魅力をいかに出すかにこだわってますね。英語圏でも少部数で丁寧に作る本を出してるインディーズが元気です。あれは、これからの出版のひとつの道ではあります。

 >Bee'sWing さん
 そうです。それです。鴎外は石川淳編集の選集です。あれで『渋江抽斎』を読もうとして挫折しました。話はめっちゃ面白いんですが、漢字が読めん。一巻本の漢和辞典では役に立たず、『廣漢和』を買わねばなりませんでした。
 その石川淳の選集もありました。ぼくは寅彦の全集をあれで読んでます。書簡や日記は抄録ですが、エッセイは全部読めます。
 それにしてもさすが、漱石全集読破ですか。

posted: おおしま (2007/04/08 12:51:12)

 さすがに紙やインキの話は専門誌以外ではあまりみかけませんよねえ。ぱっと思いつくところでは松田哲夫さんが『季刊 本とコンピュータ』に連載されていた『「本」に恋して』(新潮社/2006年/ISBN4-10-300951-9)くらいでしょうか。製紙工場やインキ工場に実際に見学に行っておられて、さしずめ「大人の社会科見学」みたいなおもむきの本です。

posted: とんがりやま (2007/04/09 22:55:32)

>おおしまさん
あの漱石全集、実家の本棚でホコリ(とかび?)にまみれてるかも! 今度救出してきます。『渋江抽斎』は僕もあの版で読んだような気もするのですが、おおしまさんが大変だったようなら無理だったかな? こっちも実家を捜索することにします。

本のモノとしての魅力がますます大事になってきている、というのはほんとその通りだと思います。カヴァーなどにテクスチャーのある用紙を使う、とかそんなところにも表れてるような。

>とんがりやまさん
松田さんのあの取材はじつにうらやましいです。話を読んだり聞いたりしただけではピンと来ないことも多いのですが、現場を体験すれば間違いないですよね。本については知らないことだらけです、ほんとに。

posted: (2007/04/12 2:04:32)

 

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