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ブリューゲル・セット・ダンサーズ(2)

ブリューゲル『婚礼の踊り』を肴に、16世紀のフランダース農民は何を踊っていたのかを妄想する、その2。くどいようだけど、マジなツッコミは禁止の方向で。
この絵の主役は奥に座っている花嫁で、手前のダンスする一群は要するに余興であり、その「場」の喧噪と浮かれ気分を演出するために画家が前景に置いたのだろう。じっさい、構図は手前から奥の花嫁へと自然に視線が行くようにつくられている。映画なんかで、引いた画面の雑踏の中から主役をズームアップしていくようなものだ。
けれど、いまはそういうブリューゲルの作画術なんかどうでもいい。手前の余興こそ、わたしの最大の関心事だ。

このうち、CとDの動きが似ていることに気づく。手を組んでいるかそうでないかの違いはあるけれど、ともにカップルが向かい合わせになってステップを踏んでいるのだ。対するAとBのペアはどうだろう。Aでは男性が左腕を大きくまわして女性をその場で回転させている。Bの方は男性の方が回っているようにも見える。そういう違いはあるけれど、AとBが回転、CとDは向き合ってその場でステップ。4組のカップルは<みなバラバラ>なのではなく、対面カップル同士ではちゃんと共通の動きを見せているのである。
…ここまで書けば、ははーんと思う方もいらっしゃるかもしれない。というか、すでにエントリのタイトルにもしているのだけど、ブリューゲルのこの絵のダンサーの動きは、本国アイルランドをはじめとする欧米各国、そして日本でも愛好者の多い「アイリッシュ・セット・ダンス(以下セット・ダンスと略す)」にとてもよく似ている。いや何も特にセット・ダンスじゃなく、たとえばイングランドやスコットランドの「カントリーダンス」、あるいはアメリカの「スクエア・ダンス」を挙げてもいいんだけれども、個人的にセット・ダンスがいちばんなじみが深いので、本稿はそれで通します。
セット・ダンスの直接の原型は、18世紀にフランスで流行したコティリヨン、またそこから派生した19世紀のカドリールと言われている。比較的新しいダンスと言えよう。
とはいえ、コティリヨンやカドリールだけがこの種のカップルダンスの元祖というわけではない。カップルダンスの誕生そのものはもっと古く、14世紀ごろまで遡れるらしいのだ。15世紀にはすでに社交ダンスの定番となっていたともいう。
貴族のダンスで、以後のダンス史に深甚な影響を残したものを一つ挙げるとすれば、それはカップルダンス(組舞踊)の誕生であろう。農民たちは、たとえ男女合流した踊りを踊るとしても、それはグループの踊りであり、もともとけっしてカップルを作りはしなかった。が、宮廷舞踊はその当初から男女のカップルを基本単位として踊られ、カップルが移動・旋回し、離れ、ふたたび結びつくことを繰り返すものであった。(中略)このカップルダンスは、フランス・イングランド・ドイツ・イタリアなどで発達した。そしてもう一つ貴族が農民とことなるのは、意図的なラインの美学的追求である。宮廷でのダンスのラインは、複雑をきわめ、また種類が多かった。(池上俊一『身体の中世』1992年/引用はちくま学芸文庫版、pp.39-40より)16世紀のブリューゲルがこの絵の中に描いた農民のダンスは<カップルが移動・旋回し、離れ、ふたたび結びつくことを繰り返す>ダンスだと思う。上に引用した貴族のダンスの風景が14〜5世紀ごろのものだとして、ブリューゲルの時代には貴族風のより複雑なダンスもかなり一般民衆に広まっていたと考えていいのではないか。
前回のエントリでも触れたが、ブリューゲルは『婚礼の踊り』以外にも農民がダンスをしている図を描いている。しかしそれらに描かれているダンスは『婚礼の踊り』とは異なる種類だ。ふたたび前掲書より引用するが、たとえばこういう感じだ。
さて、農民の踊りは何より集団舞踊、ソリスト抜きで皆おなじ仕種をするダンスだった。(中略)踊り手たちは、たがいに手をつなぎあって一般にロンド(これは閉鎖円)か、「解放円」を作って歌い踊った。(中略)やがて十四世紀頃になって、農民はつないでいた両手を放しはじめ、より複雑なラインを作るようになるが、これは、宮廷舞踊を発達させた貴族の工夫が、逆に農民に影響したのではないかと考えられる。(同pp.36-37)ブリューゲルが生きた16世紀フランドルでは、農民のダンスと貴族のダンス、そしてより貴族っぽく複雑化した農民のダンスが混在していたと思われる。ブリューゲルは、それらのダンスを作品によってちゃんと描き分けているのだ。さすがは『子供の遊戯』(1560年、図版)の作者である。
『婚礼の踊り』の“セット・ダンス”にせよ、他の絵にみる集団舞踊(これもアイリッシュ・ダンスと関連づけるなら“ケーリー・ダンス”が相当するかな)にせよ、ブリューゲルの描くダンサーたちからはたくましい喧噪が聞こえてくる。<農民>だから当然だろうが、彼らは決して「お上品」な社交ダンスを踊っているのではない。そこのところが、この絵をみてアイリッシュ・セット・ダンスを連想させる、いちばんの理由だ。なるほどガクモン的に見ればセット・ダンスは16世紀までさかのぼることはできないのかもしれないけれども、この絵に描かれた「ノリ」はまぎれもなくセット・ダンスと共通であり、19世紀フランス舞踏会で流行したというカドリールなんかよりも、よっぽどこちらのほうが「似ている」。ダンスの形式などの“外がわ”はカドリールだとしても、その精神性というか“内がわ”にあるものは、この16世紀の農民のダンスの方が親和性が高い。あるいはそれを<先祖返り>と呼んでもいいのかもしれないが。(以下つづく)
2007 05 27 [dance around] | permalink
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