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周縁のひと・川上澄生

●ゑげれすいろは—版画家 川上澄生展
2007年03月28日〜06月17日
アサヒビール 大山崎山荘美術館
つい先日鹿沼市の市立川上澄生美術館に行ってきたばかりという友人に誘われて、大山崎山荘美術館で開催中の川上澄生展を観てきた。京都と大阪を分ける天王山の山あいに建つこの小さな美術館のまわりは、この季節とても新緑が美しくて、なんともこころが洗われる。

本展の展示作品はすべて鹿沼市立川上澄生美術館所蔵のものだが、そこはこぢんまりとした美術館で、すべての所蔵品がいちどに観られるわけでもないらしい。鹿沼帰りの友人はかなり熱心な川上ファンだが、ガラス絵作品などはじめて目にするものも多いと感激の面持ちだった。
わたしの方はといえば、棟方志功が油彩を捨て版画に転向するきっかけになった人だ、というエピソードなどで作家の名前はおぼろげながら知っていたものの、その作品をまとめてじっくり眺めるのは今回がはじめてである。
* * *
川上澄生は1895(明治28)年、横浜生まれ。1917(大正6)年にカナダへ遊学、翌年にはシアトル、さらにアラスカへ移り、鮭缶詰工場で働くなどユニークな体験をしている。帰国後は宇都宮中学の英語教員になり、以降、学校の先生と版画家の二足のわらじで活動したという。1972(昭和47)年没。
文明開化の残照が色濃く残る明治期の横浜に生まれ育ったことが、このひとの後半生をつよく支配したようだ。青年期のカナダ/アメリカ体験も非常に大きかったようだけど、つくられた作品はアメリカ大陸ふうではなく、どちらかというとヨーロッパの香りがする。
国際都市としての横浜をはじめ、出島貿易で栄えた長崎、南蛮渡来船、きりしたん日本人など、このひとの作品はどれも“日本そのもの”ではなく、「日本と異国との邂逅」をテーマにしている。展覧会のタイトルにもなっているように<ゑげれす>と<いろは>が、一枚の絵の中に共存しているのだ。
単なる「日本と西洋の融合=和洋折衷」というだけではない。太平洋戦争中、夫人の故郷である北海道に疎開していたときアイヌに取材した風俗絵巻を制作するなど、その眼は西洋以外にも様々な角度から日本を眺めていた。
川上澄生の作品はどれもおだやかで上品なユーモアにくるまれているのが特徴だが、それはかれが異国と出会う日本を愛情をもって見ていながらも、どこかでその奇妙さを多少なりとも自覚していたからではないかという気がする。対象を相対化できるある種のクールさがなければ、こういうユーモアは生まれにくいと思うのだ。
斜に構えた皮肉屋、などというのではない。本人はきっとかなりのロマンティストだったはずだが、そのロマンティシズムが日本のどまんなかではなく、日本の周縁に立っていたひとならではの発想で作品化されているように感じられて、たいへん興味深かった(たとえば、かのシンデレラ物語を和装洋装が混在する人物像で描いた『しんでれら出世繪噺』1943年、“Joker”がなんと“福助”になっているトランプ『とらむぷ繪』1939年、——ただしこのトランプは展示品の方ではなく、ショップで複製品が売られていたヴァージョンのものだが——が面白かった)。
ヨーロッパ中世の古地図と見せかけながら実は作家の想像力をフルに働かせて描かれた架空の地図(『胸中の地図』1953年、『偽版GIPANG古地図』1956年)あたりはかれの本領発揮といったところだろうか。異国情緒やまだ見ぬ世界への憧憬を画面いっぱい描きながらも、それを<胸中>と呼び<偽版>と名付ける、自覚された冷静さ(それがユーモアを生んでいる)。日本を<GIPANG>として捉えることのできる視点の柔軟さ(つまりは「周縁」から日本を眺める眼)、架空の島に“ユニコーン”などといった地名を与えるロマンティックな感受性(多分に大正時代的なブンガク趣味であるかもしれない)。
日本人でありながら日本人離れしたフォルムと色彩感覚、しかしよくよくみるとやっぱり日本人でなければ描きようのない造形。一見矛盾のカタマリのようでいて、しかし考えようによってはとても日本人らしい、あるいは近代日本人の自画像とも言えるかもしれない、そういう複雑な魅力をもった作家だというふうに、わたしは感じた。
* * *
日本的なるものと異国的なるものが見事に共存しているニッポン、しかし一方で、異質なものが異質なものとしてそのまま存在しているニッポン。どの絵も、よくよくみると実に<奇妙>なんだけど(たとえば鎧甲を着けた戦国武士がマリア像に向かって一心に祈っている図、とか)、それにあまり違和感を覚えないのは、われわれが“和洋折衷”のなれの果てであるからか。
かれの立ち位置はつねに「周縁」だった(洋画/日本画を主流とする“画壇”からすれば版画家は周縁的存在だろうし、どれほど作家として注目されようが本職は終生英語教師で在り続けたこともまた、いかにもこのひとらしいと言えないか)。周縁にたたずんで、想像上の世界を眺め、郷愁の中の日本を版木の上に彫りだしていった。
周縁のひとでありながら、いやむしろそれ故に、かれが描いた作品は鮮烈に近代日本人の心象風景たりえていると思うし、それは同時に近代日本へのすぐれた批評ともなっているように、思う。
2007 05 31 [design conscious] | permalink
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