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明治村の帝国ホテル
この夏、金沢〜能登めぐりの他に、もう一カ所訪れたところがあります。それは愛知県・犬山にある博物館 明治村。こちらも長年行きたかった場所のひとつです。わたしが行ったのはまだ夏の暑い盛りで、汗だくになりながら敷地内を歩き回ってました。そのときに撮った写真を少しばかりこちらにまとめましたので、ご覧いただけたら嬉しいです(いかにも明治村、という写真はやや少なめかも…)。
明治村でナニがいちばん観たかったといえば、やはりフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル。もっともこの建物、完成したのは1923年だから大正12年。「明治」の建築物ではないんですね。明治村に明治以外の建物が保存・展示されているのは他にも数件あるんですが(昭和初年というのも1件)、この「帝国ホテル中央玄関」は明治村ぜんたいを通しても異彩を放っておりました。

実物を観るのも、そしてもちろん内部に足を踏み入れるのもはじめてです。明治村専用駐車場のある北口から入場して、SLに乗らずに歩いて園内に入ると真っ先に出くわすのがこの建物で、ひとめ見た瞬間からぐっと引き寄せられるものがあります。

内部は意外に天井が低いな、という印象。この写真(玄関口ドア入ったところのホワイエからロビーを眺める)は広角レンズで撮ったのでわりあい広々と見えるかと思いますが。もっとも、日本人の平均身長は古墳時代以降、江戸末期から明治初期が最も低く、それ以降急速に伸びていると言う話もあります(参考)。わたしの身長は180センチを超えてますから、当時のご先祖たちからするとおよそ20センチ以上の差があるわけで、「低い」という感想は見当違いも甚だしいのでしょう。
明治村に移築された帝国ホテル中央玄関は建設当時の復元ということなんですが、天井も当時のままなのかな。上の写真でもおわかりのように全くののっぺらぼうで、見上げたときに真っ白というのが少々物足りなく感じました。ライトは天井には何もデザインを施さなかったのかなぁ。
帝国ホテルは明治村の中でも異彩を放っている——と書きましたが、じっさいに内部をあちこち歩いているうちにだんだんヘンな気分になってきました。おどろおどろしいというか、なんだかとても不気味な建物であるように感じられたのです。柱まわりの装飾がどれも奇妙。超高級ホテルというよりも、失われた古代文明の遺跡かなにかのようにさえ感じられます。









ところで、わたしは建築には詳しくないので、フランク・ロイド・ライトの代表作といえばこの帝国ホテルかアメリカの《落水荘(カウフマン邸)》くらいしか知りません。それも雑誌で外観の写真を1、2枚見たことがある程度です。そんなわたしでさえ「20世紀の建築家の巨匠」的なイメージを持っていたので、帝国ホテル訪問はすごく楽しみにしていたんですが、実物を観察してみてその異様さにびっくりしたのも確か。こんなヘンテコなモノを創った人がなんで「20世紀を代表する巨匠」なんだろ? というのが最初に抱いた正直な感想でした。むしろこの人は「異端の建築家」ではなかったんだろうか、と。

たとえば帝国ホテルの耐震神話については、震災当時の記録を丹念に掘り起こし、建物が関東大震災に対してまったくの無傷ではなかったことを証明しています。
また、上の写真にも示した柱まわりの幾何学デザインについては、従来から古代マヤ文明の影響を云々する言説があるそうですが(言われてみればなるほど、と思いますね)、著者は直接的な影響はない、としています。
このあたりの<ライト神話>は、ライト自身の自伝がもとになってて生まれたものが多いそうで、著者によると自叙伝の記述には慎重になるべきだとか。彼には己の生涯を必要以上にドラマティックに演出したがる癖があったようで、まぁ都合の悪いことだったら隠したがるのは誰しも同じなんでしょうが、この人の場合は偶然に起こったこと(たとえば“地震に耐えた帝国ホテル”という出来事)でさえ、それがあたかも事前に周到に計画していたかのように書いている(移築の際に解体して検証したところ、とくに耐震を考えた構造設計ではなかったらしい)ので、注意が必要なんだそうです。
フランク・ロイド・ライトには虚言癖があった——と言いたいのではありません。自己演出やセルフ・プロデュースをやるにも才能が必要ですし、そもそもそれ以前に、観る人を惹きつける魅力的な作品が一定量以上なければただの“ほらふき男爵”。第一、アメリカと日本で後世に名を残すに足る業績を残し、あとに続く建築家に多大な影響を与えたことはまぎれもない事実でしょう。
むしろわたしは、この本を読んで、彼はいかにも19世紀的な、起伏に富んだたいへんロマンティックな人物だったんだろうなぁと感じました。ライトは1867年の生まれですから「19世紀的人物」というのは至極あたりまえなんですが。
「20世紀を代表する巨匠」というと、機能性と合理性を第一とするモダンなデザインをした人とイメージしやすいのですが(ル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエはそっちの方でしょう)、ライトの場合は19世紀的・ロマン主義的なデザインを20世紀に伝え残したことの意義が大きかったんでしょう。


ともあれ、細部のデザインの特異さはともかくも、この中央玄関がたいへんドラマティックな空間であることは、しっかり実感できました。「20世紀を代表する」かどうかはさておくにしても、いずれにせよ他に類を見ない、たいへんユニークな作家であったことには間違いないと思います。
2007 09 01 [design conscious] | permalink
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comments
また私が燃え上がるような記事を・・・・(笑)。
私が一番尊敬する建築家、ライトの帝国ホテルですねっ!!
私も明治村や神戸の淀鋼迎賓館に行ってさんざん泣いてきました(笑)。
帝国ホテルを見て、まずビックリしたのが
「玄関しかない」ということでしたが、さすがに建物全ては
保存できないから仕方ないですね・・・。
んでも、あれはちょっと悲しすぎたかなあ。
天井も壁面などに負けず劣らず
ものすごくゴテゴテに(笑)装飾されていたハズですが
このホテルを始め、ライトお得意の大谷石は水に弱く
このホテルも雨漏りがひどくてすべて後から漆喰で改修したと思いました。
中部アメリカのカラッとした気候にはこれで良くても
湿気が強い日本にはあまり合わなかったようですね・・・。
天才にはありがちですが、彼もやはり非常に偏屈な芸術家で
自分がデザインした建物に他人がデザインしたものを入れることを
極度に嫌ったらしく、建具から調度に至るまで全て彼がデザインしたので、
(そのせいで、この帝国ホテルの建設費も当初予算の数倍に膨れあがったようです)
今あるもので「ライトらしくないもの」は全て後から加えられたものと見て
間違いないでしょうね~。
関東大震災の逸話については、確かに構造等は残ったし
ライトも「俺の建築って構造的にもサイコー」と自慢した
という逸話が残ってますが
実際は従業員始め関係者が死にものぐるいで
防火につとめた結果だと聞いています(笑)。
そして、ミースやコルビジェをボロクソにけなし
ともすれば、自分の部下であっても、将来自分の地位をあやうくしそうな
優秀な者を蹴落とそうと躍起になったという話もあります。
・・・ここら辺は天才らしい苦悩というか、
手塚治虫にも似たような逸話がありますね。
あのゴテゴテの装飾はインカ・マヤ文明から、
平行線を多用し、低く構えた立面計画は日本の書院建築から影響を受けたと、
多くの評論家たちは言っていますが
ライト自身は死ぬまで「あれは私のオリジナルである」と
言い張っていました。
そんな意固地なライトが私は大好きです(笑)。
あ・・・「続きを読む」を読むまえに、コーフンしてコメント書いちゃいました(笑)。
記事と重複した部分がいっぱい・・・・(大汗)。
せっかくなので(笑)そのままアップしちゃいます(笑)。
posted: しのぶ (2007/09/10 17:36:03)
熱いコメント(笑)ありがとうございます。
とにかく「巨匠」で「エラいヒト」なんだからその作品も有無を言わさず「いいものなんだっ」と決めつけてしまいがちなところがあると思うんですが、わたしは「こんなにヘンテコなものをつくったとても面白いヒト」というイメージを抱きました。神戸の迎賓館って一般の見学も可能なんですか。機会があればぜひ行ってみたいなぁ。
それにしても、絵画なら複製写真でもある程度伝わるし音楽だって生演奏じゃなくてもCDで充分だったりする場合もありますが、こと建築に限っては、やはり実際に建物の内部に足を踏み入れその空間の中に身を置いてみないことにはわからないことがいっぱいあるんだなぁということを、今回強く実感しました。これは明治村の他の建物についても同様で、いつかまた時間を見つけて再訪したいものです。
posted: とんがりやま (2007/09/11 0:01:01)