« 明治村の帝国ホテル | 最新記事 | [book]:新スケープ 都市の異風景 »

[stage]:blast Broadway Version

 

Blast2007

 
●blast Broadway Version
 Japan Tour 2007
 東京公演 2007年08月03日〜08月05日 東京厚生年金会館
      2007年08月08日〜09月09日 東京国際フォーラムC
 大阪公演 2007年09月13日〜09月23日 大阪厚生年金会館
 松本公演 2007年09月27日〜09月29日 まつもと市民芸術館
 
【公演プログラム】     
 アートディレクター:岡村 庸平
 
 
 2003年からはじまった《ブラスト!》日本公演も、早いもので今年で5年目になる。過去に当ブログで書いた感想は以下の2本。
[stage]:五感が踊り、生命が歓ぶ。〜blast !(2004年9月6日)
[stage]:blast大リニューアル!(2006年7月30日)
 
 昨年の《ブラスト2:MIX》が自分的にはいまいちだったので、正直なところ今年はもういいかなとも思っていたんだけれど、今回の《ブロードウェイ・バージョン》は以前のヴァージョンに戻したということで、やっぱり観に行って良かったぁ。旧友と再会したような、なんだか懐かしい気分とともに、存分に楽しんできた。

 
 思い起こせば2003年の夏、いちばん最初に何の前知識もなくこのショウを観たときは、ほんとうに目が点になった。イッタイナンナンダコレハ。ブラス・バンドがここまでエンターテインメントになるなんてそれまで想像もできなかったから、あまりの興奮でその夜は眠れなかったものだ。
 あれから5年たって、さすがにもう初見時のような衝撃こそ覚えないが、それでもこのショウの完成度の高さとセンスの良さには相変わらずぞくぞくする。加えて、出演者がわにも円熟というか余裕がかなり出てきて、なんだかオトナになったなあ、とも感じた。細かいギャグというか遊びも増えたような気もする。この手のステージでは、動作のおそらく9割近くはあらかじめきちんと打ち合わせて決められたものに沿っているんだろうけど(でないと危ない)、残りの部分で遊ぶこと遊ぶこと。なかでも第二幕2曲目の〈クラプキ巡査 Gee Officer Krupke〉なんかがその最たるものだろう、ステージの上で各メンバーがてんでに繰り広げるパフォーマンスなんて、一度や二度観たくらいではまったく追い切れない。こういう演目は、なによりもまず出演者が心底楽しんで演じているのがとてもよく伝わってきて、観ているこちらも自然にシアワセな気分になれる。
 
Blast2003 クールで、スタイリッシュで、エネルギッシュで、ユーモラスで、パワフルで…と、このとんでもなく完成度の高いステージをホメる言葉はいくらでも思い浮かぶのだけれども、あのハイテンションなパフォーマンスを毎ステージ持続できるモチベーションは、いったいどこからやって来るんだろう。
 
 ステージ・ショウ《blast》のルーツにはアメリカの軍楽隊〈ドラム&ビューグル・コー〉とマーチングバンドにある、ということは初来日公演以来ずっとパンフレットで解説されている。アメリカではドラム・コーはそれ自体がひとつのジャンルとして発展していて、大規模なコンテストも行われているという。《blast》2003年公演のプログラム(写真左上=アートディレクター:山本剛太郎)より、スター・プレイヤーのひとり石川直(いしかわ・なおき)さんのことばを引用してみよう。

DCI(ドラム・コー・インターナショナル)はフットボールのフィールドに、130人くらいの人間が演奏や踊りを合わせてショーをするんですが、そのレベルが半端じゃない。10分間ほどのショーなんですけど、その間とにかく動き倒す。演奏の技術、音楽的な表現、ダンサー——カラーガードというんですけど——の動きも、すごい完成度です。だから華やかですけどストイックな感じもある。『ブラスト!』は、そういうマーチングなどで使われている奏法や体の動かし方などを、もっと一般的にわかりやすい形でステージに採り入れたものです。(〈石川直Interview〉2003年プログラムp.36)

 いま引き写していてはじめて気づいたのだけど、<ストイックな感じ>ということばを石川さんが使っておられて、ハッとした。ああそうだ、《blast》って基本的にストイックなんだ。
 昨年までのわたしには、そこまでのことは感じ取れなかった。若さの爆発というか青春のエネルギーというか、エモーションの塊がこれでもかとばかりにほとばしって行く、そういうダイナミズムは充分感じていたんだけれども、今年観たステージからは単にパワフルさだけではない、もっと別のなにかがパフォーマーたちの身体に染みついているような気がして、でもそれがなにかは、観劇のあいだはよくわからないままだった。
 
 あれだけの激しい動きをこなしつつ、しかし肝心の楽器演奏はテンポもメロディラインもまったく狂わない。ステージのぎりぎりフィナーレ近くになっても、なおもトランペットでハイ・トーンを十数小節も吹き続けることができる。特別な呼吸法なんかもあるにしても、まずは基本的な体力がなければ到底できないことだろう。彼らはそういう肉体作りのための基礎的な訓練を徹底してこなしているはずだ。思うに、彼ら彼女らはミュージシャンである前に、まずフィジカリスト(そんなコトバはないけれど)なんじゃなかろうか。
 2007年の日本では、ビリーのなんとかという、アメリカンなダイエット・プログラムがにわかに大受けしているが、昔からあの国のひとたちは自己の身体をコントロールし、肉体を創りあげていくことが大好きだ。ひょっとすると古代ギリシア・ローマ時代よりこのかた、西洋人のこころの根底に横たわっている美意識なのかもしれない。 
 出演者はミュージシャンもダンス・パート(《blast》では「ヴィジュアル・アンサンブル」と呼んでいる)の人たちも、実に見事な身体つきをしている。今さら軍曹のキャンプに入隊する必要などまったくない、とても健康的な身体だ。なるほど、あの身体をもってしてはじめて、《blast》特有の若々しくて情熱的で、どこまでもポジティブな舞台世界が構築できるのだろうと思う。
 逆に言えば、このステージには人間のもつもうひとつの側面——陰鬱であったり、淫靡であったり、卑屈であったり、愚劣であったり、狡猾であったり、怠惰であったりするような、ネガティブな要素をほとんど見つけることができない。もちろんそれらがないのはダメだと言いたいのではないが、こんな健康的な肉体群の前ではたしかに<七つの大罪>すらどこかに逃げてしまうことだろう。
 そして彼らの場合、鍛え上げた肉体美を見せるのが最終目的なのではなく、それはあくまで楽器を演奏するための前段階、ただの基礎にしかすぎないのである。《blast》の徹底したフィジカル志向にはまことに恐れ入ってしまう。
 
 * * *
 
 《blast》でわたしがもっとも好きなナンバーは、第一幕なかほどに出てくる〈Simple Gifts/Appalachian Spring〉という合唱曲だ。管楽器と打楽器の饗宴というステージのなかで唯一、無伴奏で<人間の声>を真っ正直に取り上げているナンバーで、手話のような振付とともに清らかなコーラスを聴かせる。出演者各個人の現実の宗教や信仰観がどのようなものかは知る由もないけれども、舞台の上の彼ら彼女らの立ち姿と表情は、全員があたかも敬虔な宗教家のそれであるかのようにも見える。
 ちなみにここで使用されている歌は、自給自足の共同生活を営みつつ勤勉・質素・禁欲主義に徹する宗教として知られている、シェーカー教徒の賛美歌であるという。
 
 なるほど、やっぱり<ストイック>なんだ。
 

2007 09 17 [face the music] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

「face the music」カテゴリの記事

comments

 

copyright ©とんがりやま:since 2003