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[exhibition]:エドヴァルド・ムンク展

●ムンク展 Edvard Munch ; The Decorative Projects
東京展:2007年10月06日〜2008年01月06日 国立西洋美術館
兵庫展:2008年01月19日〜2008年03月30日 兵庫県立美術館
【展覧会図録】
発 行:東京新聞
デザイン:田中久子
「装飾画家としてのムンク」というのが今回の展覧会の主題だという。驚いたことに、こういう切り口での紹介は世界初だともいう。オスロのムンク美術館でもやっていない企画ということになるから、非常に興味深い。
ムンクに限らないが、わたしたちは今まで個々の作品だけを観てきたのであり、総体として眺める意識はまるでなかった。ところが、ムンクは自分の作品を「群」として捉えていたというのである。この違いはとても大きいだろう。そんな重要なことはもっと早くに言ってもらわなきゃあ。
展覧会は大きくふたつに分かれる。後半は最初から「ひとつの室内を装飾する」という注文で作られた作品群で、たとえばかつてノーベル平和賞授賞式会場としても使用されていたオスロ大学講堂の壁画プロジェクトなどがある。対して展覧会前半は、これまで「単体作品」として紹介され、こちらもそのつもりで観ていた絵画たち——ふつうムンクと言われてすぐに思い出す代表的な作品群——が、じつは画家自身が<全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画(ムンクのことば)>であると規定し、最晩年まで自分のアトリエの壁面いっぱいに(順序をしょっちゅう変えながら)並べられていた作品が据えられている。
・前半ではこれまで何度となく観ていた絵画が、新しい切り口で提示されている。
・後半部にはこれまであまり紹介されなかったタイプの作品があり、ムンクの作家としての多様性が楽しめる。
というわけで、今回のムンク展は知的興奮に満ちた、かなり満足度の高い内容だった。
実は、わたしは十数年前にオスロ市内にあるムンク美術館を訪れたことがあり、そこで彼の代表的な作品のほとんどをまとめて眺めた経験がある。確かにムンク作品についてよく言われる「不安」や「絶望」や「孤独」、「病」や「死」のオンパレードだなあ…とその時は感じていて、会場を出たあともしばらく陰々滅々な気分が残ったことをよく覚えている。
今回の展覧会では、しかし、ムンクに対する見方が少し変わったような気がする。もちろんその理由のひとつが、企画の目玉である「装飾芸術」という視点が加わったことであることには間違いない。
後半に並べられた作品群が、これまであまり眼に触れる機会のなかったタイプのものであるということは先に述べた。比較的有名なのはオスロ大学講堂の壁画(1916年)だろうか、会場には完成作品を持ってくるわけにはいなかいのでその習作が並べられていて、かわりに完成品はビデオで見せていたが、いかにもアカデミックな硬調なタッチで、それだけを見ると「なんだかムンクらしくないな」とも思ってしまう。他にはチョコレート工場の社員食堂の装飾壁画(1921年)というのもあって、これも全体に穏やかで優しく、落ち着いたトーンだけど明るい雰囲気だ。また、これは結局完成されなかったが、最晩年のオスロ市庁舎壁画のためのプロジェクト。社会主義リアリズム的とでも言おうか、力強く逞しい労働者の群れが、しっかりとした筆遣いで描かれている。
ムンクは若い頃から「装飾壁画」を志向していたわりには、注文主の要求とその場所にふさわしい絵画をデザインするには少々不器用なところもあったように思える。オスロ大学やチョコレート工場のは現在でもそのまま使用されている「成功例」だが、そこへ至るまでにはそれなりに曲折があったようで、その一例として建築家マックス・リンデ邸のケースが紹介されている(1903年)。これはリンデの自邸の子供部屋の装飾として発注されたものだが(子供部屋のために絵を描かせるという発想自体がなんだかスゴい。しかもムンクにだよ)、最終的にリンデは受け取りを拒否。その理由が「子供部屋にふさわしくない」というもので、なるほど、何点かある連作のうちの一点に、固く抱擁してキスを交わしている男女の姿が描かれている。このモチーフはムンクがくり返し描いていたもので、想像するにこの頃のムンクはまだ己の作家性をなんとか打ち出そうとしていたんだろう。「作家としてのエゴ」と「注文ありきの作品」との間でどう折り合いをつけるか、おそらくムンクの後半生はこの問題と真正面から向きあうことに費やされたと思われる。
一方でムンクは自分自身のテーマも忘れていなかった。『叫び』に代表されるメランコリックな作品群は同じ構図で何度も描いているし、それらの作品群は注文主のいない、まさに「自分自身のための装飾プロジェクト」として、自室のアトリエに何度も順序の入れ替えを検討しながら飾り続けていた。
「存在の不安に脅かされ、死や病気と隣り合わせにいたムンク」と、「ノーベル賞授賞式会場になるほどの公的な場所への壁画を描き、現世的な成功をおさめたムンク」は、相反するようにも見えるけれど、晩年のムンクはその両方を兼ね備えていたのである。これは実はかなり凄いことだと思う。
ムンクは1863年に生まれ、1944年に没している。けっこう長寿である。『絶望』『マドンナ』『叫び』などのいわゆる「代表作」のほとんどは19世紀末までに作品化されている。このことからムンクを「いかにも世紀末な作家」と見てしまいがちだが、実際はこれらのテーマは終生手放すことがなかったし、ということはそれだけ切実なものでもあったのだろう。ムンクはその最初期から「完成」していたのだ、と言ってもいいのかもしれない。
自らの中心的な作品群をまとめるテーマを、ムンクは<生命のフリーズ>と名付けている。「フリーズ」とは「連作」というほどの意味だろうか。
会場に流されているビデオに、1925年ヴァージョンのフリーズを再現したものがあって、それが興味深かった。入り口から入ってまず眼に入る正面には『メタボリズム』を中心に『生命のダンス』や『女性、スフィンクス』など5点。右側には『接吻』や『吸血鬼』など5点、左壁には『病室での死』『死んだ母親と子供』など4点、そして振り返って入り口を見やると扉の上には『不安』『叫び』『絶望』の<橋上三部作>が鎮座ましましている。ムンクの考える<生命のフリーズ>は、このように不安や絶望や病や死に溢れていた。
不安や絶望や病や死のどこが<生命>のフリーズなんだ、と言ってしまいそうになるけれども、ひとが不安になるのも絶望を感じるのも病を得るのもやがて死ぬ運命にあるのも、みな「生きているからこそ」なんだろう。十数年前にオスロでムンクをまとめて見たときには、わたしにはそこが見えなかったんだけれども、今回の展覧会でははっきりそう感じた。それは<生命のフリーズ>という名の、展覧会がわからの補助線があったからこそだけれども、もうひとつ、十数年分わたしが年をとったからというのもあるだろう。生きていくというのはなにも喜びや楽しみばかりではない。辛いことや悲しいこと、苦しいこともくり返し訪れて、それが「生きている」ことの証でもあるのだということを、年々強く感じるようになってきたからだ。禍福は糾える縄の如し。
また、ムンクの生きた時代にとって「死」はごく身近なものでもあったろう。
作品のひとつに『屍臭』という題名のものがある。画面左奥にベッドがあり、シーツが掛けられているから見えないがそこに死体が眠っているのだろう。右側には弔問に訪れた人々が描かれていて、一番手前の少女は口のあたりを抑えている。鼻をつまんでいるようにも見える。彼女の仕草から、画面を通して屍臭がこちらに伝わってくるかのような…と書きたいところだが、実際にはわたし自身は屍臭をよく知らない。徐々に腐敗していく屍を見たことがないのだ。今や「死」はすっかり身近なものではなくなっているのだと思う。
<生命>の象徴として生と性を重ねるのはよくあるが、ムンクはそこに死をも重ね合わせていた。生は性であり、同時に死でもあるというイメージ。エロスとタナトスは決して対立するものなのではなく、むしろ同じものなんだということ。それはいかにも世紀末的で頽廃的なイメージと言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、しかしたんなる「世紀末」といういち時代的なものではなく、実はもっとうんと普遍性をもったものではないのだろうかということを、わたしは今回の展覧会を通して強く感じたのである。
* * *
以下おまけ。会場で売っていた「叫びクン人形」。

胸のボタンを押すと、キャーッと叫びます。

…バカだねえ(笑)。
2008 03 02 [design conscious] | permalink
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comments
装飾芸術というと思い出すのはウィリアム・モリスですが、あちらとの関連なんかはあるんでしょうか。そういや、ほぼ同時代人ですね。
今回は見られなかったんですが、前回、てもう相当前に竹橋で見たときには、有名作品よりも、最後の壁一面を占領した巨大な作品に圧倒されました。無数の人間が重なってできた山を描いて、たしか『生命の山』というタイトルだったと思います。
posted: おおしまゆたか (2008/03/02 9:50:49)
そうですねえ、モリスとはある意味対極に位置しているんじゃないかと。モリスは工房というか集団志向の人でしたが、ムンクの場合、彼の中のひりつくような孤独を、最後までひとりで抱えこんでいたんじゃないかと想像します。
>『生命の山』
確かオスロで観たことがあるような…。本展では、オスロ大学講堂壁画のプランのひとつとして『人間の山』という題名の油彩スケッチが展示されておりました。
posted: とんがりやま (2008/03/02 13:26:52)