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[exhibition]:ドイツ・ポスター 1890-1933

 

Plakate

●MODERN DEUTSCHE PLAKATE ドイツ・ポスター1890-1933
 京 都展 2008年02月26日〜03月30日 京都国立近代美術館
 豊 田展 2008年04月29日〜06月01日 豊田市美術館
 宇都宮展 2008年11月23日〜12月28日 宇都宮美術館
  
【展覧会図録】
 編  集:京都国立近代美術館、読売新聞大阪本社文化事業部
 デザイン:渡邊顕大(株式会社エヌ・シー・ピー)
 ※図録は表紙が白・黒の2種類あります(写真は白ヴァージョン)
 
 
 京都展の会場には各作品を解説するプレートは一切なく、タイトルや作者名などの詳細は入場時に貰うリーフレットを参照せよ、というスタイル。最近こういう展示のしかたが徐々に増えてきている気がする。目の前にあるものは作品だけというのはやはり潔くていいものだ。細かな解説パネルからオーディオガイド、さらにミュージアムショップでの過剰なまでの記念グッズ攻勢、というこれでもかパターンの展覧会もいまだに少なくないけれども、個人的には本展のようなスタイルの方が好きだ。一見不親切そうに思えるが、その分作品にじっくり相対することができるからだ。
 
 * * *
 
 ヒトラー内閣の成立が1933年1月30日、独裁体制が決定的になったのは同年3月23日。この展覧会は、ナチス・デザインが全ドイツを覆い尽くす直前までの、ドイツの近代ポスター美術を俯瞰するものとなっている。本展にはナチスのグラフィック自体は一切出てこないのだが、実際はあれとて一夜にしてゼロから生まれたものではなく、それまでのドイツ・デザインが下地になっているはず。そういう「断絶したと言われてるけど実は連続してるんだよね」という検証作業はいま、どこまで進んでいるんだろうか。
 
 
 ポスター先進国といえば産業革命のトップを切った英国、そしてフランスがなんといっても華やかで、ドイツは、ヨーロッパの中では発展が遅れた方だという。しかしその分、密度が濃くなったと言ってもいいのではないだろうか。本展のいちばん最初に飾られている〈ザクセン手工業・工芸展〉の告知ポスター(オットー・フィッシャー作)が1896年。近代的な図案がこの頃ようやく登場し、以後わずか半世紀にも満たない期間に独自の輝きを放つことになる。
 本展は5つの章に分かれている。I 19世紀末(1890-1900)の先駆者の時代、II 第一次大戦(1914)までの黄金時代、III 大戦中(1914-18)のポスター表現、IV 戦後・ヴァイマル共和国時代の新しい潮流(1919-1933)、そして V 日本との関わり(主として1920年代)。個人的に面白かったのは一番好きな時代である1920年代〜30年代を含む IV (ヤン・チヒョルトが2点も含まれていたのがとても嬉しい)と、杉浦非水の作品やカルピスの国際コンペ作品などが展示されている V になるのだが、それとは別に II もかなり興味深く、いろいろ考えさせられた。
 
 政治体制の変化によってその存在がぷっつり消えてしまうという点では、ロシア・アヴァンギャルドとの共通性を感じる(上に書いたように全てが断絶させられたわけでなく吸収・発展していった部分もあるとは思うのだが、それが肯定的に論じられることは少ないように思う)。ロシアの場合も、あたかも自身の芸術運動があらかじめ短命に終わることを知っていたかのように急速に過激化していくわけだが、この時期のドイツの建築や美術やデザイン界もそれに似ていると言えるかもしれない。じっさい、この展覧会でもコーナーごとにまったく異なる風景が現出して、飽きさせなかった(もっともこれは編集というか作品セレクトの妙もあるだろう)。展覧会タイトルにもあるように1890年代から1933年までという、比較的短い期間のわりには写実的・歴史的な図案から抽象的・前衛的なデザインまで実にバラエティに富んでいるのだが、なぜそうなったのかが、この II のセクションに端的に表れているように思えたのだ。
 
 ひとつには、ドイツ・ポスターの特徴として、クリエイティブの中心となる都市がなかったのだという理由が挙げられるだろう。イギリスならロンドン、フランスならパリが(文化や美術にかぎらず)その中心地として君臨するが、ドイツの場合はそうではなかったらしい。ドレスデンで、ミュンヘンで、ベルリンで、それぞれ独自のスタイルが発展していったというのだ。諸外国からの影響とドイツならではの地域性の豊かさがあいまって、さまざまなスタイルが生まれては消えていったのだろう。本展に出品された作品はそれなりにクォリティの高いものばかりなんだろうけど、そのうしろに何十倍か何百倍もの種々雑多・玉石混淆なデザインが氾濫していたと想像すると、それだけで楽しい。
 
 もうひとつは、これはドイツに特有の現象というわけでもないのだろうけど、近代的なポスターの出現と同時に、それを個人的に収集する熱心なコレクターが現れたというのもたいへん面白いと思う。本来ポスターは街角や公的な施設などに貼られて、できるだけ多くの人に見せるためのもののはずだが、それを個人的に楽しもうと勝手に剥がしてしまう人が多かったため、印刷所はあらかじめ多めに刷っておき、希望者に販売していたという。とはいえポスターの現物はどれも大きなものだから保管も大変で、やがてコレクター向けのグラフ雑誌が登場。大きなポスターが雑誌サイズにおさまるように縮小されて(ポスターはもともと複製芸術だから、いわば二重に複製されるわけですね)、さらにはもっと縮小された切手(いまでいうトレーディング・カードかポケモンシールみたいなものですな)まで作られたという。
 本展にはそういう雑誌や切手がいくつか展示されているが、二重・三重の縮小複製品がマニアに喜ばれ大いに流通するという現象が、19世紀末〜20世紀初頭のドイツにあったというのがとても面白い。
 
 というのも、ポスターの作り手がわもこういう動きには敏感だったはずで、だからこそたとえ切手サイズというとんでもない縮小率で複製されても、一目でそれとわかるような図案やレイアウトをすすんで試みるようになったのではないか。
 
 繰り返しになるけれど、こういうマニアの存在とその活動がドイツ固有のものというわけでもないだろうし、そもそもわたしは同時代の他国の実情を全く知らないからずいぶん的はずれなことを書いている気がしないでもない。
 
 けれども、ドイツ・ポスターがわずが40年ほどで急速に発展した一因には、こういう「マニアの存在とその消費のしかた」がその最初期からあったことも少しは影響していたんじゃないだろうかと思いたいのだ。
 ポスターが、本来の目的通りただ街角で通行人に眺めてもらい、所定の期間が過ぎたら消えてなくなってしまうだけの刹那的な存在だったなら、可読性や注目されやすい工夫はともかく、洗練されたグラフィックやタイポグラフィがそれほど生まれていたかどうか。
 
 もちろん、ドイツ・ポスターが短期間に一気に過激になったのは、政治・社会体制が短期間に一気に変化したことがまず第一に挙げられるべき要因だろう。しかし同時に、ポスターが果たすべき役割(各種イベントへの勧誘や政治的なメッセージの伝達など)とはほとんど無関係に、ただ表層のグラフィックを楽しむだけという、ポスター本来の目的を無視したマニアたちがそこに存在していたからという要因も、わたしとしては捨てがたいのだ。
 ひょっとすると、これもまた「観る阿呆」が「踊る阿呆」に影響を与えた一例になるんじゃないか。そう思うと、ちょっと愉快な気分になれるのであります。
 
 

2008 04 01 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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