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[exhibition]:ふたつの河鍋暁斎展

 

Kyosai01

●特別展覧会 没後120年記念
 絵画の冒険者 暁 Kyosai 斎 近代へ架ける橋
 
 京都国立博物館 2008年04月08日〜05月11日
 
【展覧会図録】
 編集・制作:京都国立博物館
 図書設計:大石一義(大石デザイン事務所)
 
 
 この春、京都ではふたつの暁斎展が開かれている。
 そのうちのひとつ、京都国立博物館での『暁斎展』は、いかにも京博らしいというか、過去に若冲や簫白、あるいは昨年の永徳を大々的に手がけた実績とプライドを賭けた、堂々たる展覧会だった。いやもう、濃いのなんのって。
 暁斎の作品は想像を遙かに超えて密度が高く、ひとつの作品に対する時間もいつも以上にかかる。こってりスープが自慢の天下一品のラーメンよりも濃い。会場を出る頃にどっと疲れが出た展覧会は久しぶりだ。

 
 ケレン味というかハッタリというか、鬼面人を驚かすというか、暁斎の作品はどれも一筋縄ではいかない。そこが最大の魅力だし、日本よりもむしろ欧米での人気が高かった理由もそこいらへんにあるのだろう。暁斎の作品をこれほどの量まとめて観るのは今回が初めてだけど、「なるほどガイジン受けするわけだ」と納得できた。
 ひとつにはそのサーヴィス精神の旺盛さがある。どの作品でもいいが、たとえば閻魔。彼は閻魔大王を何度も描いているが、冠(って言うんですかね、アレ)や衣装、顔面いっぱいの濃い髭など、どこをとっても一目で「あ、閻魔大王だ」とわかる記号が細部まできっちり描かれている。加えてどの絵も表情がとても豊かで人間くさく、そこが独得のユーモアを生んでいるのだが、反面ひどく説明的でもある。作品横にはそれぞれ解説文がついていたけれども、そんなものを読まなくてもこの絵が何を描いているのかは誰でもわかるだろう。日本画と聞いて思い浮かぶような「ワビサビ」とか「余白の美」とかは、どちらかというとこの人にはあてはめにくい。むしろこれでもかとばかりに説明し尽くす絵だ。つまりはどの作品も「Illustration」だと思っていいのかもしれない(パトロンのひとりであった勝田五兵衛の愛娘・田鶴の追善供養のために制作された〈地獄極楽めぐり帖〉(1869-72年)全40図の執拗かつ過剰なまでの細密描写を見よ)。
 
 わかりやすさ、という特性とまっすぐつながっているのかどうかわからないが、この画家はまるで中世以降の日本絵画史をひとりで集大成してしまったような感もある。画家の経歴からして、技法の多くが日本絵画の最大派閥である狩野派のそれであることには間違いないが、四条・円山派やあるいは大津絵風のタッチもそこかしこに見られ、それが一枚の絵の中に混在しているところが面白さを生んでいる。そのあたりのセンスは技法だけにとどまらない。たとえば有名な〈放屁合戦絵巻〉(1867年、つまり明治維新の前年に作られた作品だ)に見られるバイタリティ溢れる猥雑さは、むしろ鎌倉時代あたりのセンスじゃないだろうか、などと思ってしまう(図録解説で狩野博幸氏は<男女の性愛のみならず男同士の性愛を描いた「稚児草紙」も平安末期から鎌倉にかけて多数描かれており、このような屁合戦もそこに類するものとして制作された>と指摘した上で、<男同士の“微妙な愛のかたち”の絵画化><好きな男の屁ならばこそ愛の対象になることを、近世以前の男なら当然のことに知っていた>(P.267)と書いている)。
 
 暁斎は幕末から明治に生きたひとで、これ以上ない時代の変わり目を経験した人だった。彼の作風はそういう時代だからこそ生まれたのだと言ってもいいのかもしれないし、同時に、そういう時代だったからこそ彼のような作風が受け入れられたとも言えるかもしれない。いずれにせよ、激動の時代にこそふさわしい才能だったとは言えるだろう。
 
 
 目まぐるしく動く時代そのものと、それに合わせてガラガラと音を立てて変わってゆく価値観。才能のある画家なら、眼に入るものすべてが新鮮な画題だったろうし、すすんで時代の証言者たらんとしたことだろう。暁斎の「もう一つの顔」と呼ぶべきなのかわからないが、京都国際マンガミュージアムで同時開催されている『暁斎漫画展』は、ジャーナリストとしての暁斎という切り口でいくつかの作品を紹介している。
 

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●特別展 暁斎漫画展 明治日本のギャグマスター
 京都国際マンガミュージアム 2008年04月08日〜05月11日
 
【展覧会図録】
 編集:京都精華大学 国際マンガ研究センター
 デザイン:株式会社 スカイ
 
 会場は2階の一室のみ、それで京博の入場料一般1200円に対しこちらは1000円とはちょっと高すぎやしないか。それはまあ我慢するとしても、サブタイトルに附けられた「ギャグマスター」とはなんぞや。暁斎を現代につながる漫画表現者のひとりとして位置付けたい意欲は買うものの、ちょっとどうかと思う。
 
 点数こそ多くはなかったが、見どころはいくつかあった。上述の〈放屁合戦絵巻〉の10年後に描かれた自作パロディ〈開化放屁合戦絵巻〉(1876年)が全幅観られたのは嬉しかった。さすがに画面の持つパワーはオリジナル作品とは比べものにならないが、素っ裸で豪快に屁をひりまくる男たちの肉体の描かれ方にはやはり目を瞠る。
 
 暁斎の作品は(それがどんなに巨大な画面であっても)すべてイラストレーションじゃないか、と書いたけれども、「イラストレーター暁斎」の本領を発揮しているのは、むしろこのマンガミュージアム展示作品の方かもしれない。京博は肉筆画がほとんどだが、マンガミュージアムでは錦絵や新聞・雑誌掲載作品を中心に構成されている。なかでも、チャールズ・ワーグマンが横浜で発行していた《ジャパン・パンチ》に影響を受けて仮名垣魯文と共に創刊した日本人初の風刺漫画雑誌《繪新聞 日本地(えしんぶん にっぽんち)》の紹介などは貴重だろう。
 
 
 
 奔放な想像力が爆発する妖怪図のかずかず(京博に出品されている〈百怪図〉の愉快なこと!)、大英博物館蔵の〈鳥獣戯画〉シリーズなども実に楽しかったが、個人的にいちばん見入ってしまったのは、マンガミュージアムの方に展示されていた、踊る人物を描いた小さな習作。〈踊る女〉〈踊る男〉〈踊る人物〉と、それぞれ画面に何体もの踊る肢体がごく簡単な線でスケッチされている。そのうちの一枚に〈踊る人物・世界編〉というのがあって、その右下には洋装の男女が手を組んでポルカか何かを踊っている。お見事、という他ない観察眼だ。同会場に出品されていたユーモラスな骸骨たちを見てもあきらかなように、このひとのデッサンの確かさは実にすばらしい。

2008 04 13 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

 うえーん、見たいよう。関東には来ないんですかねえ。

 これを見にゆくつもりではありますが、代わりにはなりそうもないなあ。
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/nanban/index.html

posted: おおしまゆたか (2008/04/13 0:44:33)

 蕨市に、暁斎の曾孫である河鍋楠美さんが運営されておられる「河鍋暁斎記念美術館」があります。わたしもいつか行ってみたいですけど、なかなか時間が、ねぇ…。

posted: とんがりやま (2008/04/13 1:22:36)

本日(10日)、ようやっと観に行ってまいりました。
あぁ、暁斎にマリア・パヘス一座(とついでにチーフタンズ)の引幕を描いてもらいたい・・・。

posted: 熊谷 (2008/05/11 1:12:27)

 

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