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2年後の《セビージャ》——マリア・パヘス、2008
マリア・パヘス舞踊団、2年ぶりの来日公演だ。2006年公演とおなじく、兵庫で1日だけやったあと東京で3日間という日程。前回は「世界初演」の《セビージャ Sevilla》が兵庫でお披露目だったが、今年の兵庫は《セビージャ》再演のみ(ただし「完全版」とのこと)、「世界初演」の《セルフポートレート Self Portrait》は東京に行かなければ観られません。なんてこったい。
5月6日の兵庫県立芸術文化センター公演では記念グッズはおろかプログラムすら売っておらず(左の写真は会場内にかろうじて一点だけ掲示されていたポスター)、いささか寂しいロビーだった。
《セビージャ》は一昨年に観たきりなので細かい部分はかなり忘れている(そのときの感想文はこちら)。それでも観ていくうちになんとなく思い出してくるもので、初演から丸2年を経て、曲目構成をずいぶん変えてきたのには驚いた。
そういえば前回公演では総勢16人のダンサーのうち小松原庸子スペイン舞踊団からの客演が8人加わっていたが、今年はすべて自前。群舞10人+マリア・パヘスという布陣だけれども、人数が減った分迫力がなくなったという感じはまるで受けなかった。
ここで、群舞の質の高さを忘れずに書いておかなければならないだろう。正直言って、一昨年までの公演では、マリア・パヘスが出てくる以外のパートはちょっとダレるなあ、という印象をもっていたんだけれども、今回はそういうことをほとんど感じなかった。舞踊団としての実力もかなりのレヴェルに仕上がってきたのだろう。また、カンテのアナ・ラモンは今年もすばらしく良いうたを聴かせてくれた。ダンスだけでなく音楽の質の高さも、マリア・パヘス舞踊団の大きな魅力のひとつである。
それよりもなによりも、マリア・パヘス自身の踊りがずいぶん変わったな、という印象が強く残った。前回は、なんというか、全世界をぜんぶ自分一人で受け止めるんだ、とでもいうような、とてつもない緊張感を全身にみなぎらせていたように感じたんだけれど、今年の彼女はずいぶん落ち着いている。これを円熟、と言っていいんだろうか。あるいは何らかの心境の変化なんだろうか。
特にびっくりしたのは、闘牛場のシークエンスのあとのソロがまるごとカットされていたこと。初演時でもっとも強烈に印象に残ったパートだっただけに、なくなっていたのには本当に驚いた。
初演時の《セビージャ》は、前作の《ソングス・ビフォー・ア・ウォー》(2004年)の気分をいくぶん引きずっていたのだろうか、世界というか広く社会に向けてマリア・パヘスという個人がどう生きていくのか、という問いが作品の底に広がっていたんじゃないかという気がする。闘牛場の場面のソロなどはまさしくその問題意識が鋭くあらわれていた箇所で、初演を観た直後にわたしは<まるで全世界を相手にたったひとりで屹立し続けるかのような、強烈な彼女の意志を、私はそこに見た>などとブログに書いている。
そういうパートを、彼女は、ばっさり切ってしまったんである。
前回のプログラムの曲目リストを眺めていると、じつは他にもカットされ新しい演目に変更されたものはいくつかあるようなのだが、細かな検証をする力はわたしにはない。あくまで全体を通した印象でしか言えないのだが、先に書いたような鋭い緊張感こそ影を潜めたものの、彼女のソロは、そのぶんより一層の重厚さとメランコリックな色彩を帯びたように感じた。構成じたいもかなり手を加えているようで、今回はほぼソロ→群舞→ソロ→群舞のくり返し。ひょっとしてマリアの登場場面はほんの少し減ったんじゃないだろうか。とはいえソロの美しさにはやはり息を呑む。まばたきすることすら惜しいと思ってしまうほどだ。
圧巻のマントン、超スピードのカスタネット、ステッキとタップによるリズムの嵐など、マリア・パヘスならではの小道具使いも健在なんだけれど、それらはもはやほんのスパイスでしかない。もっと大きななにかを表現することに向かって、彼女はしっかりと足を向けているんだなあと思った。そういえばエンディングの演出も少しばかり変わったんじゃないかな。
セビージャはマリア・パヘスの生まれ故郷である。ということもあって、この演目は彼女自身のうちのごく個人的な要請で創作されたダンスであることには間違いないだろう。初演時では、それでも、踊る動機は他者に向いていたのだと思う。2年が過ぎた「完全版」では、踊るための動機はまったく彼女自身のなかに在る。…うーん、このへん、書きながら自分でもうまく言い表せていないな。
ラストで、オープニングと同じようにくるくると旋回しながら幕が下りる瞬間、じわっと涙が出た。たしか初演時にも泣けてしまってどうしようもなかったんだけど、その涙の質は前回と今回とでは少々異なっているようにも思う。前回公演では<全世界を一身に引き受けるマリア・パヘス>に泣いたんだけれど、じゃあ今回じわっと来たのはなにゆえなんだろうか。
マリア・パヘスは徹底して「自分」に向きあったのだと思う。《セビージャ》の演目変更・演出の変化はそれがためであっただろうし、また、それゆえに彼女のソロ・パートの質も大きく変わったのだろう。わたしは今回の公演をそういう風に感じたのだ。
冒頭に記したが、東京公演で演じられる「世界初演」はそのものずばり《セルフポートレート》というタイトルである。《セビージャ》で自分のルーツととことん向きあった彼女が、さらに自身の内面を深く掘り下げてくれるであろうことを、いやがうえにも期待させられるタイトルだ。どんなステージになるのだろうか、週末がとても楽しみだ。
(東京公演は2008年5月9日・10日・11日、いずれも東京国際フォーラム ホールC、《セルフポートレート》は9日と10日、《セビージャ》は11日のみ。くわしくは→カンバーセーション)
2008 05 06 [dance around] | permalink
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comments
きのうの「セルフポートレート」には驚きましたが、今日読んだこれにも驚きました。
http://www.paseo-flamenco.com/cat5/index.html
posted: しゃちょ (2008/05/10 15:50:22)