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ジェローム・ロビンスとその時代
●ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り
津野海太郎著/平凡社/2008年6月刊
ISBN978-4-582-83400-0
装幀:和田誠
(バックに敷いているのはレーザーディスク『ジーン・ケリー・コレクション』PILF-2508/パイオニアLDC/1998年)
本書あとがきで、著者はふたつのおどろき——「びっくり仰天」を書いている。もちろんその「びっくり仰天」は本書のテーマに深く関わることがらなんだけど、いち読者としてはもうひとつの、しかも特大の「びっくり仰天」をまず最初に感じた。あの津野さんがミュージカルの、しかもジェローム・ロビンスについての本を書いたって??
書店の片隅でこの本を発見したとき、わたしは「同姓同名の、別の著者のものかな」などと思ってしまったのである。あの晶文社の、あの『歩くひとりもの』の、あの『本とコンピュータ』の津野海太郎さんと、本書の主題とがとっさに結びつかなくて、一瞬うろたえてしまったのだ。
事実、著者みずから開口一番「私はミュージカルについてなにかを正面切って書いたことがいちどもない」と書き、あとがきにも「このさき、私がハリウッドやブロードウェイのミュージカルにかかわる本をだすことは二度とないかもしれない」と記している。なるほど、この本は津野さん自身にとってもとても特別な一冊なのだろう。
映画『踊る大紐育 On the Town』(1949)のまばゆいばかりのオープニング場面の描写から始まる本書は、しかし直後に暗い事件に読者を連れて行く。本書副題にもある「赤狩り」だ。
赤狩り——非米活動委員会による共産主義者の摘発。1950年代頃、ハリウッドでやブロードウェイなどのアメリカのエンターテインメント産業の周辺でも過酷な喚問が行われたらしいということは、単なる知識としてはかろうじて知ってはいたけれども、その具体的な実態や、ましてや証人喚問をさせられた当人たちの個々の事情などについて、わたしはこれまで特に知ろうとはしなかった。本書の著者もそれは同じで、けれど津野さんは1998年7月末に新聞に載ったジェローム・ロビンスのごく小さな訃報記事をきっかけにして、その知られざるもうひとつの現代史を探り当ててゆこうとする。事実をひとつひとつ掘り起こしていく様はさながらアームチェア・ディテクティブのごとし、なのだけれども、インターネットの検索エンジンを駆使し資料の入手には海外通販を多用するなど、その手法は1990年代終わり頃にはすでに「オンライン書店」に関する本を書いていた著者にふさわしい。
ともあれ、『踊る大紐育』の原作者であり『ウエストサイド物語』『王様と私』『屋根の上のバイオリン弾き』など数々の名作ミュージカルの振付や演出家として一時代を築いた名コレオグラファー、ジェローム・ロビンスは、1953年に下院非米活動委員会に喚ばれて証言を行い、かつての同志を共産党員として名指しし、そのことが彼の後半生に、絶対に消えることのない深い傷を残した。いわば仲間を「売った」わけで、そこだけを捉えれば確かに「犯罪的行為」なのだろう。
密告が犯罪だとして、ではなぜジェローム・ロビンスはそういうことをしてしまったのか。本書の主題はそこにある。ジェローム・ロビンスの極めて個人的な問題がそこに深く関わっていたことを、著者は丹念に、実に丁寧に描写してゆく。その記述は鮮やかで、さきにわたしは「アームチェア・ディテクティブ」ということばを使ったけれども、どこかミステリ小説を読んでいるかのようなスリリングな展開に、寝る時間も忘れて夢中で読みふけった。
本書の主題はロビンスの持っていた「動機」を解明することにあるのだけれども、その「動機」が21世紀の極東の島国に住むわたしたちにまですんなり通る説得力を持たせるためには、ロビンスの生きていた時代とその空気を読者に実感させなければならない。それは想像以上に困難な作業でもあるだろう。結果、この本には、ロビンスをめぐるおびただしい数の同時代人が登場人物としてあらわれることとなる。レナード・バーンスタインやジーン・ケリー、クルト・ヴァイルやエド・サリヴァンといったビッグ・ネームから、ディープな映画ファン・演劇ファンでもなければピンとこないような名前まで、巻末に附けられた人物索引をざっと眺めるだけでも、この書が20世紀アメリカ芸能史をきちんと描こうとしている意図は明確だろう。
なぜロビンスは非米活動委員会に召喚されたのか。そしてなぜ彼はその場で仲間を売ってしまったのか——。さながらミステリ小説のような展開を見せる本書の紹介文で、「なぜ」の部分のネタばらしをしてしまうのは(ミステリのネタばらしがタブーなのと同様に)やってはならないことだろう。だからこのエントリでは、著者は大きく三つの理由を挙げていて、しかもそのうちのひとつが最大の理由だと結論づけている、とごくあいまいな書き方をしておくにとどめる。その理由となった事実は、現代のアメリカ社会なら——21世紀の今なら、そこまでロビンスを追い詰めることもなかったのではないか、と著者は言う。個人的には、「それ」は日本でなら今でもまだどこか忌避される事項かもしれない、という気もするが、ともかく半世紀前のアメリカならば間違いなくアウトだっただろう。…ということが実感としてじわじわと伝わってくるだけに、読後はしみじみと苦く、やるせなく、そして哀しい。
もうひとことだけ感想を述べれば、冒頭の『踊る大紐育』の輝き(著者いわく「底ぬけの幸福感の記号」)と本書主題の暗い影の、そのコントラストのあまりの強さに、何度も目眩がしそうになった。その対比の鮮烈さも、著者が書きたかったことのひとつに違いあるまい。津野さんの文体は平易で読みやすいので以前からファンだったのだが、本書でもそのわかりやすく、かつ身体のどこか奥の方を思わず突き動かされそうになる力をもった文章は健在である。この先何度となく読み返したくなるような本がまた、わたしの書棚に一冊増えた。
2008 07 16 [dance around] | permalink Tweet
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