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この物語はフィクションです

 
 「この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません」という一文は、いつどこで始まったんでしょう。テレビの2時間サスペンスドラマを、実際の事件だと思った人がいたから(登場する会社名が実在していた、だったかな)とかいう話を聞いたことがあるような気がしているんですが、詳しい事情はわたしにはわかりません。ずっと昔からあるような定型文のような気もするし、案外ごく最近のものと言われてもすんなり納得してしまいそうです。
 
 「見てきたように嘘をつく」のがフィクションです。小説であれドラマであれマンガであれ、どんなに荒唐無稽な作品であっても上記の一文が添えられているのはよく考えるまでもなく滑稽なはなしで、わざわざ「ノンフィクション」と銘打たれた作品を読むとき以外は、ふつうは「これは実際に起こった事件だ」などとは考えないもの…のはずなんですが。
  
 柄にもなく上記のようなことをつらつら考えていたのは先日『もやしもん』(石川雅之、講談社)の最新刊を買ったからで、どうもワタクシ最近もの覚えがすっかり悪くなったのか、長編マンガは第1巻から順に読み直ししないと登場人物やストーリィの流れにさっぱりついていけなくなりました。そういうわけで『もやしもん』も新刊が出る度に最初から再読しているんですが、今回読み進んでいるうちにふと「やたらフィクションであることを強調しているなあ」と感じまして。

 
Moyashimon ●もやしもん
  石川雅之著/講談社刊
 第1巻 2005年05月(イブニングKC 106)ISBN4-06-352106-0
 第2巻 2005年10月(イブニングKC 126)ISBN4-06-352126-5
 第3巻 2006年05月(イブニングKC 151)ISBN4-06-352151-6
 第4巻 2006年12月(イブニングKC 171)ISBN4-06-352171-0
 第5巻 2007年06月(イブニングKC 192)ISBN978-4-06-352192-4
 第6巻 2008年02月(イブニングKC 213)ISBN978-4-06-352213-6
 第7巻 2008年12月(イブニングKC 244)ISBN978-4-06-352244-0
 design ARTEN
 
 かつてテレビアニメーションにもなった作品だしみなさんよくご存じだと思うので作品紹介は省略しますが、このコミックス、欄外がたいへんやかましい。わたしは最初はあまり気にしてなかったんですけど、巻を追うごとに「うるせーな」と思うようになり、一転して7巻では「これはこれで面白いかも」と心境が変化したんですが、いまではこの欄外も含めてひとつの作品になっていると言っていいと思います。欄外アオリ文は作家ではなく担当編集者の手によるものだそうなので、厳密に言えば著作権方面はどうなるのかも気になるところ、とはいえ将来文庫化されたときには字が小さすぎて読めなさそうなんですが。
 もっとも、今回の再読で気がついたんですが、なにも連載当初から欄外が爆発していたわけでもなくて、単行本第1巻はまだおとなしいもの。とくに連載初回は全てのページが断ち切りで描かれているので、そもそも「欄外」が存在していません。ところが第2話以降は登場人物紹介(登場菌紹介)が必ず表示されるようになったので、裁ち切りのコマがぐっと減ります。「欄外」の必要性が本編の作画表現に影響を与えた例、としていいかもしれません。この欄外の文章は雑誌掲載時と同じものかと思っていたのですがそうではなく単行本用に微妙に変えてあるそうで(第5巻15ページ)、これも今回の発見。
 
 エントリ冒頭に掲げた「この物語はフィクションであり云々」の一文は、雑誌連載時には毎回必ず入っているはずの文章です。いくつかのマンガ雑誌ではこの文章がかならずどこかに入っていますが(出版社によって対応が異なります。きちんと調べたわけではないので不正確ですが、小学館のマンガ雑誌では巻末目次欄の下だけで済ませており、対して講談社は各作品ごとに記載というパターンのようです。もちろんそもそも記載しないところもあるでしょう)、ビールの広告に必ず入っている「お酒は20歳になってから」という一文やタバコのパッケージにでかでかと書かれている喫煙の害の警告文などと同じく、あまりに多用されすぎてもう誰も気にもとめなくなっている注意書きでもあります。酒や煙草の場合と違って「フィクション云々」は別に法律で決められているわけではないだろうに、それでも律儀に表示されているところをみると出版社がわにはそれなりの御利益があるんでしょう。ふつう単行本では奥付に小さく載っていますが、『もやしもん』の場合はさらに目次に「このマンガはまったくのフィクションです。念為。」という断り書きが入っています。
 保険というか免罪符というかテンプレというか、このお定まりの陳腐な文句が『もやしもん』コミックスの欄外でネタにされだしたのは第21話から。単行本第2巻の後半になってからです。その第21話はまだおとなしく、

今回は、努力・友情・勝利(そして菌)みたいな話です。
 の「話」の横に「フィクション」とルビが振ってある程度。ところがつづく第22話では
このお話を読んで農大を受験することに決めました。という手紙をいただきましたが、あくまでもフィクションですから。
 と、いきなりミもフタもなくなり、以後はその路線になります。作中の主人公は大学に入学したばかりの18歳ですが、物語の進行上酒をかっくらうシーンが続出します。そこでついには
このお話はフィクションです。ところで読者の皆様に伺いたいのですがこのフィクション=ウソのお話の中で未成年の学生がお酒を飲んでいるのは問題があるとお考えでしょうか? いっそのこと「この世界では18歳から飲酒が可能です」と書こうかなぁ。(第5巻第55話)
 などと読者に問いかけ始める始末。
 
 それ以前から、舞台となっている大学や登場する教授にモデルはあるのかという問い合わせがたくさんあったそうで「フィクションだからモデルはありません」と何度も強調されていたんですが、そういえばどうしてわれわれは「実在のモデルの有無」をかくも執拗に気にするんでしょうね。モデルが実在したところでそのオハナシの面白さには何も変わらないはずなんですが、にもかかわらず「あの○○という人物は△△がモデルなんだって」と聞くとへぇ〜と思うし、あらためて物語を読み直してみてさらに面白く感じたりするわけです。
 
 虚構作品の面白さのある部分は、他ならぬ現実世界が担保しているという面は確かにあるでしょう。虚構作品が徹頭徹尾荒唐無稽なものに終始していたら、われわれはどこからその作品世界に入っていけばいいのかわかりずらくなります。ということは、虚構作品に対して執拗に「モデル探し」をするのは現実との接点がどこかにないと不安になってしまう意識のあらわれかもしれません。言い換えれば、それだけ読者のがわに想像力が衰えていることのあらわれである、としてもいいのかも。
 じゃあ、かくも声を大にして「このお話はフィクションです」と強調し続けている『もやしもん』は面白くないのか? といえばそうでもなくて、ちゃんと面白さを保ったまま連載が続けられています。
 それは、このマンガに描かれている「菌」や「醸造」や「醗酵」に関する話題は事実に基づいている、そこにはウソはないと(少なくとも一般の)読者は信じているからで、「全くのフィクションです。」と宣言しているからには菌の話だって全部デタラメだろう、とまでは誰も思っていないでしょう。ただし作者サイドからすれば、万が一専門家から「○○菌の記述は通説とは異なる」と指摘を受けたとしても「ええ、だからフィクションと謳ってますってば」という逃げは可能で、フィクションであることをしつこいほど強調しているのもそのためではないかと推測できます。
 
 
 というわけでこのエントリはとくにあらたまった結論もなく終わりますが、最後に「このお話はフィクションです」という定型文を作品内に上手に取り込んでいる例をもうひとつだけ。モーニング掲載でこちらも単行本がいまのところ7巻まで出ている『へうげもの』(山田芳裕、講談社)です。こちらも雑誌連載中のアオリ文がたいへん面白いんですが、残念ながら単行本には収録されておらず、なのでそこだけをコレクションしておられる奇特な方もいらっしゃいます(→へうげもの アオリ集)。これによるとこの作品も「フィクション云々」を独自に遊びだしたのは連載途中から(第51話以降)のようです。
 単行本の奥付に掲げられている文章は
この漫画はフィクションにて候。実在の人物、団体等と無関係にて候。
 となっていて、雑誌掲載時はこれをベースに毎回ストーリィにあわせた工夫がなされています。たとえば、2009年01号(2008年12月04日発売号)に掲載の「第八十七席」ではこうなっています。
☆この物語はフィクションにて候。「文化」描写には「大義」と「名分」はござりますが、「歴史」とは無関係にて候。

 史実とことなる話を描いて無用なツッコミを受けないがための制作者側の防衛方法でしょうが、なかなか洒落てますね。
 というか、そもそも「作品内に描かれていることがなんでもかんでも事実である」と思いこんでしまう人が世間にそれほど多いからこそ、こんなヘンテコな文章が編み出されたんでしょうけど、なんだかなぁ。
 

2009 01 05 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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