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リハビリの日々
事故は一瞬、手術は数時間だが、それに比べるとリハビリは気の遠くなる程の時間がかかる。先日からようやく車椅子に乗れるようになって、とはいえベッドからの乗り降りはまだひとりでは無理で介助の手を煩わせなければならないのが心苦しい。もっとも、一人で気軽に車椅子で動けるようになったら、一日中病院の敷地内をあちこちうろついているかもしれない。要はリハビリ以外にやることがないので暇なのである。
自由に身動きがとれず、かといって病室の窓からは向かいの病棟以外、何も見えぬ。わずかに晴れているか曇天かは伺い知れるが、寒暖までは知る由もない。テレビニュースか、たまの来客の言葉で推察する程度である。
先生についてのリハビリは今のところ一日30分程度で、この先訓練時間が徐々に延びていくのだろう。まだ始まったばかりだが「普段無意識でやっている動作」を意識すること、というのは非常に面白い。
わたしの場合、怪我をしたのは左脚だけである。右はなんともない。
ある日のリハビリでは、ベッドに横たわるわたしの右足に軽く触れてから、先生が「この感覚が10としたら…」続いて左足の同じ部所を撫で「こちらはどれくらい?」と質問なさる。あっと思った。右と左で触感覚に違いがあるというのは、なるほどほとんど初めての経験だ。以後、リハビリ中でなくとも両足の感覚の差を注意深く観察するようになった。
別の日には、車椅子に座っているわたしの左足をまっすぐ持ち上げながら、膝を曲げてみろという。「膝頭あたりに力を入れてみて」へぇ、膝を曲げるのはこの辺の筋肉なのか。逆に伸ばす方はひざ裏らしい。試みに元気な右足を使って何度か屈伸してみる。あまりに当たり前の動作すぎて、「ほら力が入っているでしょ」と言われても今ひとつピンとこない。いかに自分が普段なにも考えずに動いているかを思い知った。
いわゆるトップ・アスリートと呼ばれる人たちは皆、いやトップでなくてもそうなのだろう、自分の身体が動くメカニズムをきちんと把握している。その上で必要な部位をトレーニングしたりサプリメントで補ったりしている。
そうかぁー、と、思わず感心してしまった。何を今更的なごく当たり前のことなんだろうけど、「脚を曲げる」というごくシンプルな仕組みにさえ無自覚な身には、人体の動作のメカニズムを熟知している人というのはそれだけでとんでもなく尊敬できてしまうのである。
病院内の全ての職員は、勤務中は常にマスクをしている。リハビリの担当医も同様なので当初気がつきにくかったが、どうもこのセンセイ、少々くしゃみが多い。この時期だからきっと花粉症だろうか。骨や筋肉の動きを熟知し自分の身体をスミズミまで掌握しているはずの専門家でも、どうにもならない相手というのはいるものなのだ。
2009 04 06 [living in tradition] | permalink
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